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④身体が教えてくれたこと〜そのまんまの自分でいる〜

こんにちは、Gakuです。
現在僕は坐骨神経痛と椎間板ヘルニアの痛みに悩みながら日常を過ごしています。似たような状況にいらっしゃる方の何かの役に立てればと思い、体験談やそこからの学びをシェアさせていただきますね。

状況はこちらに記載しています。

今回は休むことが苦手な自分が人生の大切なことに気づけた話です。

4、5月の2ヶ月間は僕にとって立ち止まり、これまでの生き方に目を向けざるを得ない大切な時間でした。

まずはこれまで自由にできていたことができなくなりました。
東京や地域への出張、好きなトレッキングやsup、友人とカフェでお茶することもできない。泣く泣く家にこもり生活をせざるを得ない状況でした。
身体が自由に動かせない、動けない状態だとどうしても考える時間が増え、内面に意識を向けることが多かったです。

どうしてここまでの腰の痛みになるまで放っておいてしまったのだろう?
身体からの痛みのサインは出ていたのになぜそれを無視していたのだろう?今後同じようなことを繰り返さないためにちゃんと向き合っておいた方がいいなと思いました。

姿勢を良くする、同じ体勢を長時間続けない、など生活習慣を変えていくのはもちろんなんだけど、何かもっと内面を変える必要があるかもしれない。根本的にブレーキになっている考え方に気づき、そして変える必要があるなぁと。。

実はこの期間、ちょうど自分で決めたことを習慣化していくためのコミュニティに所属しており、ここでの実践が自分の考え方に気づくヒントとなりました。

やめられない習慣

僕は寝る前にスマホをダラダラみてしまう習慣があり、これをなんとかやめたいと思ってるけど、なかなかやめられない。そんなことを2年くらい続けていて、この習慣をやめて本当は早寝早起きしたいと思っていました。
本当は23時にはぐっすり寝て6時に起きたいけど、スマホをダラダラみてしまい気づくと24時になっている、しかもブルーライトの影響で睡眠の質も悪い。と夜ふかしして朝疲れがとれないまま目が覚めるような悪循環になっていたんです。

スマホを見ずに23時に寝て6時に起きる習慣を実践し始めてから、あることに気づきました。1週間くらいは続くけど、そのあとはリバウンドしてまた元の習慣に戻ってしまうことの繰り返しだったんです。

これ、よくあるパターンですよね。で、結局今までと同じ習慣に戻ってしまい継続することができない。過去を振り返ると他の習慣に対しても同じパターンを繰り返しているなと。

なんでこんなことが起きるのだろう?とコミュニティの中でいろんな人から話を聞いたりフィードバックを受けて気づいたのは、休むことが苦手な自分がいる、ということでした。成長したい自分を大切にしすぎてしまい、遊びたいダラダラしたい自分をあまりにもないがしろにしすぎていたんです。

これどういうことかというと、さっきの早寝早起きの例で説明すると、最初は成長したい自分でモチベーション高く早寝早起きを実践できるけど、続けているとそのうち疲れてきてしまう。疲れている時に早寝早起きができず遅く寝てしまう。「あぁ、自分は継続できないんだ、ダメだ」と思い、やる気を失う。2日くらい早寝早起きができないと、もうやめようかなと思ってしまい、また同じ習慣に戻るという繰り返しでした。

でも本来疲れたら休みをとらなきゃいけないですよね。適切に休みを入れて、「もし疲れていたら早寝早起きしなくてもいい」、としたら長期的にみればその方が継続できるし生産性も上がる。

休むことができない

でも僕は適切に休むということができなかったんです。しかも休んでいる時も罪悪感を感じながら休んでいる感じ。それは疲れもとれないよね。
でも本当は遊びたい、ダラダラしたい自分もいるし、そうしたいとも思ってるんです、でもできなかった。

今回、腰を痛めて成長しなきゃいけない想いが強い自分に改めて気づきました。で、休みたいダラダラしたい自分に蓋をしていたこと。

休みたいダラダラしたい自分はダメな自分だ、と思っていたんです。
だから腰の痛みがあっても身体からの声に耳をかたむけずにいたんだなぁと、今回ダウンして初めて気づきました。。

2つの自分の良いところに目を向けてみると、こんな言葉が出てきました。

成長したい自分
決めたことをやり遂げることができる、スケジュールを管理して時間を決めたことに使える、理想の未来に向かって自分を高めることができる、多くの人を助けることができる、コツコツ努力を継続することができる

遊びたい、ダラダラしたい自分
クリエイティブで新しいアイデアを生み出せる、豊かさを生み出し周りと分かち合える、子供のようにやりたいことをやってみる、楽しい何かをやってみたいと感じる、リラックスできて心地よさを感じる、弱音を吐ける

こうして言葉にしてみると、遊びたいダラダラしたい自分を本当にないがしろにしていたなぁと。良い面がたくさんあるのにそれに気づけていなかったし、見ていなかったな。

気づくと涙があふれてました。ごめんね、と。
それに気づけた時、スッと心が軽くなった感覚がありました。

腰の痛みはこのことに気づくサインだったのかな、と思うとともに、幅広い視野で物事を見れたら、今抱えている課題も解決できる、という学びでもありました。

それからは罪悪感なしにゆっくり休むことができています。たとえできていなくても、それも自分だからいいじゃん、と。立ち止まり停滞している自分も、かっこいいよ、とちゃんと言葉をかけてあげたい。
「そのまんまの自分、かっこいいよ」。


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