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本当にそうなの?と疑ってみることの難しさ

こんにちは、Gakuです。
今回は電車内で自分の思い込みにハッとさせられた話です。
暗黙の前提って怖いなぁと気づかされたエピソードを書きました。
よかったらお読みいただけたら嬉しいです。

日曜日の午後のこと、用事があるので電車に乗って2つ隣の駅まで向かっている途中の話。だいたい時間は15時くらいでした。

電車はちょっと混んでいて席には座れず立っている方が7割くらいいました。日曜なので、キャリーケースを持った方がちらほら。
帰省をしているのか、観光で来ているのか、若い方たちもたくさん。
外国の方の姿も見えていました。

そんな中、急に「あぁお疲れ様です!」とかなり大声で話をする声が近くから聞こえてきました。

その声のする方を振り向いたら、どうやら男性が電話で仕事の話をしているみたいでした。男性の表情は焦っている様子もなく、笑顔で話をしているようでした。その声は車両半両の中に乗っている乗客全員に聞こえるくらいの大きさでした。

電車に乗っている時間が約10分ほど、そのうち電話で話していた時間が5分ほどだと思います。

僕自身、心の中で、

「なんか、、うるさいなぁ。。」

と思っていました。

心の中をもっとみていくと、こんな声がありました。
「あぁ、電車の中は静かに過ごしたいなぁ」
「そもそも、大きな話声は苦手なんだよね」

その背景にある声を探ってみると、うっすらと小さく
「みんな我慢してるんだから、ルールを破らないでほしい」という声が聞こえてきました。。

僕はそこでハッとしました。

あぁ、無意識のうちにこうして何も考えずに暗黙の前提を持ってしまっていたんだなぁ。そして、それに反する人に対して不快な感情を持ってしまっていたんだなぁ、と。

つまり、無意識的に感情に流されていたんです。


我に返った僕は、少し冷静に考えてみることにしました。

電車で大声で電話をしている人。
これが日本だったら「電車で電話をしないというルールを守るのが正しいことだ」となるのかもしれません。
「しかも、みんな我慢してるんだから」、と。

けど、それが海外であれば自分が電車内で電話をしている人にそもそも「うるさいなぁ」と思うのだろうか?という問いが立ちました。

オランダからドイツ行きの列車に乗ったことがありますが、同じように電話で仕事の話をしていた男性がいた時に、「うるさいなぁ。。」とはならなかったなぁと思い出します。

その電車では電車内で電話をすることが当たり前だったからです。
電車では電話をしてもいいというルールだったから、ルールを破ってイラッとして「うるさいなぁ」とはならなかったのかもしれません。

つまり、僕たちの中にある暗黙のルールや前提を破った時に感情が動いてしまうのかもしれないと。

話を戻すと、そもそも日曜日に僕が出会った方はもしかしたら緊急で電話をしなければならない用事があったのかもしれません。僕はその背景を想像できていたのかな?とも思いました。もしその背景を想像できていたら、「うるさいなぁ」とはならなかったのかもしれません。

海外イギリスでは、電車内で電話で通話をすることが前提としてあるので、逆に静かな車両を作っているという記事がありました。
日本の優先席のように、静かに電車に乗りたい人はその車両にいくことができるようです。

こちらの記事↓

つまり、場所が変わればルールや前提も変わる。
そして、その人なりに今電話をせざるを得ない背景があるのかもしれない。
だって人間だもの。

そう考えた時に、正しい、正しくない、ではなく、感情が流された時に、「あれ、本当にそうなんだっけ?」と少し余白の時間をとって、考えてみる。無意識に自分が持っている当たり前を疑ってみる。

そこから新しく「じゃあ、どうしていったらいいんだろう?」と思考を前に進められ、新たな気持ちで自分と人との対話が始まるのかもしれません。

そして「みんなが快適に過ごすにはどうしたらいいんだろう?」と考え対話し続けながら、そういう選択肢を増やしていくことがみんなの豊かさにつながっていくのかもしれないなぁ。と改めて考えた日曜の午後の時間でした。



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