作家活動と並行してやってきた色々を振り返る【自己紹介】
はじめまして、ハイトモニカ/上木理沙といいます。ハイトモニカというのはいわゆる作家名で、私の造語です。主に、刺繍アクセサリーを作ったり、イラストを描いたりしています。
作家としての活動は、こちらに一覧でまとめています。普段は普通のフルタイムの会社員です。
この記事では、私の経歴についてざっくり紹介します!全然ためにならない記事です…!(太字)
大学卒業後、普通の会社員になった
大学を卒業後、実は普通には就職ができず、数ヶ月のブランクを挟んだ後で、WEBの制作会社にディレクターとして入社しました。就活の年にちょうど東日本大震災があったんですよ。タイミング悪く、面接で外出していて帰宅難民にもなったりして、それがきっかけで本当に就職するのでいいのだろうか?そもそも自分は何がやりたいんだろう?と、いわゆる自分探しの道に迷い込んでしまい…。というのは言い訳で、実際には震災が無くても就職できなかった気がします。就活という一連のイベントのこなし方が壊滅的に下手だったんですねぇ…。
ということで、遅ればせながら結局は会社員になりました。
当時はコンプラも無いに等しく、普通にタクシーで深夜帰宅or始発で帰宅の毎日をしばらく過ごしました。辞めたいと思ったことももちろんあったのですが、一つ一つできることが増えるのが面白くて、気がついたら数年経っていました。ブラックじゃん、といえばブラックです。でも、深夜にみんなでコンビニ行ったり、ピザ食べたりして、毎日が文化祭の前夜みたいな日々は、意外と楽しかったです。第二の青春みたいな感じでした。
あとは、最初が一番無茶な働き方だったので、自分のリアルな限界を早々に知れたのと、後にどんなに忙しくなったとしても、あの頃を乗り越えられたんだから大丈夫、という謎の自信がついたのは大きかったです。
刺繍アクセサリーにたどり着くまで
会社員の生活が忙しかったのでしばらくはプライベートで何もできなかったのですが、2年目になってくると少し余裕も出てきました。ちょうど、「ハンドメイド」が流行ってきた時期で、昔からイラストを描いたりは好きだったので、私も何か作りたいなぁと思ったんですよね。今は刺繍一本なのですが、実は刺繍にたどり着くまでには結構時間がかかっているんです。陶器粘土・プラ板・パーツ組み合わせ系などを経て、最終的にはしっくりきた刺繍に絞ったという感じです。
せっかく作ったんだから販売してみたい!と思い、minneで販売を開始。
最初は、刺繍アクセサリーだけではなくて、陶器粘土やプラ板など、他の技法で作ったものも一緒に販売していました。初めてイベントにも出展したのもほぼ同時期。もちろん、しばらくは全っっっっ然売れなかったです笑。
売れない→行けるかも…?に変わったきっかけ2つ
転機となったきっかけが2つあります。
1つは、minneのピックアップに取り上げられたこと。
今でもピックアップはありますが(今は「特集」かな?)、当時のピックアップ掲載の威力は凄まじく、掲載された瞬間からアプリの通知がしばらく止まらない状態に。スマホが壊れたのか?と焦りました。
当時、ピアス1セットで1,500円で販売していました。作業時間や材料費を考えると値段設定が完全に崩壊していますね…。50セット販売しても10万にも届かない(!)のですが、誰かが自分の作品をお金を出してまで欲しいと思ってくれたということが、本当に嬉しくて。全然苦にならなかったです。
もう1つは、雑司ヶ谷の手創り市に出展したこと。
今はコロナ禍ということもあり、オンラインが主流になってきた感がありますが、イベントはイベントで、ライブ感があって楽しいんですよ。首都圏のハンドメイド系のイベントには、ほぼ全部参加したことがありますが、中でも雑司ヶ谷で開かれる手創り市は雰囲気もよくて、好きでした。
それまで、イベントには出ても全然売れずに出展費用も賄えない状況が続いていたのですが、ある時雑司ヶ谷のイベントに出展した時に、持っていったものがかなり売れたことがあって。お客さんの反応も良くて、リアルな感触として「あ、この方向で良いんだ」と思えた日があったんです。
この2つが、活動初期の転機でした。
売上を立てたくて販売を始めたわけではなかったのですが、やっぱり売れる(=反応がある)と嬉しいんですよね。楽しくなってきて、会社員を続けつつ、プライベートでは制作を続けるというのが、自分の中で確立されていきました。
好奇心で、あれやこれやに手を出す
こうして、各種イベント出展・委託販売・キット販売・ワークショップ・書籍販売・オンラインクラスなど、色々手を出してきました。
お話しをいただいて、面白そうだと思ったら基本全部お受けしてきました。特に、「ちょっと今の自分には難しそうかも。もし上手くできなかったら周りに迷惑をかけてしまうかも」と尻込みしてしまう話ほど、意識して受けるようにしています。書籍販売、ワークショップ、オンラインクラスはこのパターンでした。その時、お話しを受けなかったら次いつ同じようなチャンスが来るかってわからないじゃないですか。それに、全力でやりきった上での失敗なら、それはそれで良い経験になるかなと。
実際、やってみたけど芳しくなかったものもたくさんあります笑。委託販売に向けて全力で作ったけど、全然売れなかったとか、新しいワークショップの内容試してみたけど、上手く話せなかったとか、本を出したけど意外と売れてないとかとか。
それでも、経験は損にはならないし、何より新しいことに挑戦していくのが楽しいので、そんなこんなで今に至ります。
結婚・転職して変わったこと・変わらないこと
2020年に結婚しました。
結婚すると、ハイトモニカとしての活動にどれだけ影響があるのか?は気になっていたのですが、結論、変わらなかったです。上に挙げた年表からもわかるのですが、結婚後も新しくオンラインクラス開講したり、2冊目の本出したりできました。年表には書いてないですが、ワークショップで週末不在にすることもちょこちょこありました。
同じ2020年の年末に、1社目の会社を退職して数ヶ月ブランクを経た後に、2021年4月に2社目の会社に転職しました。
結婚よりも転職の方が影響ありました…!。(現在進行形で)
1社目では、WEBの制作会社でのディレクターということで、主にプロジェクトの製作進行管理をしていました。WEBサイトのWF(ワイヤーフレーム。骨組みみたいなもの)を作ったり、ちょっとしたライティングはしていたのですが、基本はクライアントの要望にそって、各専門分野の製作担当をつなぐ役割です。
2社目では、事業会社のマーケティング担当になりました。自社事業サービスのほかに細々としたECコンサルも請け負っている会社です。1社目ではほぼ無縁だった、広告分野をやったり、事業をどうプロモーションしていくか・集客していくか?を主に考えています。とはいえ、マーケティング領域は未経験なので、今のところ毎日わからないことだらけで、先輩に日々質問しながら仕事をしています。
ハイトモニカ への影響ですが、インスタの投稿1枚・noteの投稿1記事でも、なぜそれをするのか?を考えるようになりました。
というのも、1社目ではふわっとしたWFで通っていたものが、今の会社では全く通らなくなりました。FV(ファーストビュー。WEBサイトを開いた際に、最初に表示される画面のこと)を少し更新するだけでも、どういう目的で、どのKPIを狙って変更するのかを考えるようになりました。
この辺りのことは、別途詳しくアウトプットしたい…。
妊娠して変わったこと
現在進行形の話(現在、7ヶ月目に突入)ですが、これが一番活動に影響がありそうです。
どうなるのか全然想像できていませんが、しばらくは仕事も制作もそっちのけで、子供に向き合うことになるのかなぁと思います。2021年の夏~秋は、妊娠に伴う体調不良により一時的に全く制作ができない状態になっていました。最近は徐々に回復してきましたが、妊娠前に比べるとどうしてもスローペースにはなりますね。もどかしいのですが、仕方ないことと割り切ろうと思います。
そんなこんなで今に至りました。振り返ってみると、目標という目標も特になく手当たり次第やってきた感がすごいですね…。また時間がたったら、加筆したいです。
つらつらと書いてしまいましたが、ここまで読んでくださりありがとうございました…!
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