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時間と優しさ


生産と消費 #HNKS06  のエピローグです。



優しさとは消費に表れると言いましたが、特に「時間の消費」にその人の優しさがよく出る、と個人的に思っています。人に対する優しさは「相手の時間をいかに想いやれるか」ではないでしょうか。


俗に言う優しいという行為は案外簡単、というか誰にでもできます。相手の話を聞いてあげる、ドアを開いて待ってあげる、荷物を持ってあげる、などなど。こういう行為をできるからと言って「この人は優しい人だ」と判断するのは、ちょっと待って、と言いたくなります。それができるけど、嫌なやつを意外とたくさんいます、恐ろしいことに。ま「優しいっぽい人だな」と判断するのは、別に間違いではないでしょう。


「時は金なり」とはよく言ったもので、時間というのは自分が想像している以上にとても貴重なものなんだなと、最近感じます。私自身が学生でいられる期間はもうあと一年ほどしかありません。そして一年経ってしまえば、いくら学生だったあの頃に戻りたい、と思っても戻るコトはできません。自分が今の自分で居られる期間は、思ったほど残されていない。そんなこと考えて日々焦ってばかりです。

お金には、価値の保存・尺度・交換という役割があると言われていますが、時間は保存も交換もきかないモノで、正直金よりも貴重なもの、だと感じます。そんな貴重なモノを今この瞬間も消費して私たちは生きているのか、とヒヤヒヤします。貯金より貯時間の方ができるならしたいです切実に。


だからこそ、人と関わり共に過ごしている時、「今、自分だけでなく相手の時間も消費している」という視点を忘れてはならない、と思います。自分だけ時間の使い方は自己責任ですが、誰かと関わっている時間は自分だけではつくることはできません。時間は人と会っている間は共有物です。その時間をいかにしていいものにしようとするか、その姿勢こそが優しさだと、私なんかは思います。


「女の人がメイクもファッションにお金をかけているんだから、男が奢るべき」みたいなハナクソ論争が巷には長年蔓延ってますが、お金だけでなくその準備にかけている時間も含めて見てみると、そこでもやはり男女でしっかり差があるし、その価値を金で換算してみたら案外言い分もわからなくもないな、と思います。何を言っているんだろう。

なので、価値観における時間が占める割合って意外と高いんじゃないかな、とかも最近思います、私だけかもしれませんが。


そうやって自分の生きている世界を見てみると、案外時間を大切にしていない人ってたくさんいると思います。相手の時間をなんとも思っていない人もいます。人に何かに付き合わせることを当たり前のように思ったり、限られた時間しかない中でタラタラ話していたり。相手を傷つけることも立派に時間を奪ってると思います。相手のなんでもない時間をその嫌なことを考える時間にさせること程、無駄な時間の消費はないと思います。

そして自分は優しい人間だと思われていると自覚している人ほど、時間の消費には疎いな、と思うこともあります。それは私自身にも言えることで、そのことに気づくまでは、色々な人にとってひどい時間の消費をしていた気がします。話を聞いてくれたり、遊んでくれたり、そういう嬉しいことがいつの間にか当たり前になって、普通になって、なんとも思わなくなるのが、今一番気を付けたいなと思う今日この頃であります。


当たり前という感情は、すごく無意識に人を傷つけることがあります。しかしながら、時間が経つにつれ、ずっとあるものは当たり前になっていきます。このパラドックスが人生ものすごく難しくしているんじゃないでしょうか。平気で当たり前になっていきますからね、だから全く違う価値感に触れて、視点を増やさねば、と日々自分に言い聞かせています。人の話を聞くのが好きになったのは、これが原因かもしれませんね。

なので、この矛盾を忘れないように生きるようとすることが、この世で最も尊い優しさなんじゃないでしょうか。「感謝」がなければ決してできない、本当に優しい人だけができる行いだと、私は思います。



長くなりましたが、自分と時間を過ごしてくれる人たちが当たり前ではないと思うことから始めたい、と思います。その上で、相手にとって少しでも面白かった、来てよかったと思ってもらえるような時間にしたいな、と思います。今回はその決意のためだけの記事です。


「そんなこと考えてるの」と気を使われるのが嫌な人からしたら引かれそうな発言ですが、ただただいい時間だったと思われたいだけかもしれません。

おこがましいし、純粋にただのエゴですが「無駄じゃない時間を与えられる人」に、まずはなりたいな、とも思います。

相手のとっていい時間を考えられる、楽しい以外の価値が生産できるような人に。

願わくば、「相手の時間の価値を上げられるような人間」になれたら、死んでもいいなと思います。

時間は決して戻らないからこそ、それを平気でポイ捨てしてしまうような人にはならないように。




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