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「試合に出た」


この記事は前回の記事の続き。





そんな補補補補補補補補補補補補欠の私にも、高校野球人生で一度だけ公式戦に出たことがある。正直出た、とカウントすることすらおこがましいくらいの出場だったのだが、それでもスコア上にか細く、しかし確かに私の名前が書かれた試合があった。


それは3年生になるか、ならないかの時期、最後の春の大会の地区予選会だ。


神奈川の高校野球の春の大会は予選の地区大会というものがあり、そこを勝ち上がった上位2チーム(もしくは1チーム)のみが本戦トーナメントに進めるという形式になっている。地区予選は、どこかの球場を借りて行うのではなく、選ばれた高校のグラウンドを借りて開催される。私の高校はグラウンド提供に選ばれており、いつも使っているグラウンドで試合ができる、という有り難い環境であった。

その地区予選では4校とリーグ戦形式で試合をすることになっており、私たちの高校は既に2試合で勝利をおさめ、本トーナメントへの出場決めていた。それでも最後の試合は消化試合で終わらせる、といった雰囲気はサラサラなく、3戦全勝で本戦へ行ってやるとチームが勢いづいていた、そんな記憶がある。



そんな最終試合に、私は試合に出た。



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なぜ、私は試合に出れたのか。それは決して自分の努力が報われたとか、結果を残していたとかの話ではない。では何故か。それは信じられないくらい圧倒的な点差をつけて勝っていたからだ。

記憶が曖昧で申し訳ないが、おそらく「35ー0」くらいのスコアで結果的に勝った気がする。高校野球には、5回までに10点差以上つくともうそれを勝利とみなし、試合を終了する「コールド」というきついルールがある。(甲子園にはそのルールは適用されない。)

この試合は、結果的にその5回コールドで終わったのだが、5回まで辿り着く前にもうこんなにも点差が開いてしまっていた。本気で勝ちに行った結果、消化試合になってしまった、ということだ。こういう状況で監督が取る行動と言えば、もう皆お分かりだと思うが、ベンチに入っている控えのメンバーをことごとく試合に出したのだった。


監督なりの優しさなのだろう、こんな誰でも出れる状況で出させてもらうことでさえ、今でも嬉しく思う。誰が何と言おうと、私は「試合に出た」という事実は、この先も残る。0と1に大きな差はないが、まったく別のものだ。何よりこの1が、この記事を書く原動力にもなっている。


私は、春の大会では有り難いことに最高学年というお情けだけで、ベンチ入りのメンバーに入れさせてもらっていた。専ら定位置はボールボーイだったのだが、それでも試合に出れる権利だけは持ち合わせていた。私はこう見えて投手をやらせてもらっていたので投手での出場かと思いきや、その日なんとサードで出場した。

実は私はもともとサードを守っていたのだ。だがバッティングに関するセンスがなく泣かず飛ばずだったが、なぜか肩の良さだけは定評があった。そして練習中、野手投げでよくバッティングピッチャーをしているのが目に留まったのか、呆れて見切りをつけたのか。監督の鶴の一声で、2年の初めにピッチャーにコンバートされたのだ。

そんな過去があるため、私は投手ではなくサードで出場したのだが、なんて滑稽な結末だと自分でも思う。しかし、いくら点差が開いているあの状況であっても、私を登板させるという選択肢はあるはずがなかった。私が監督でも同じ判断をしていた自信しかない。それくらい私の投球はギャンブルでしかなかったのだ。


私は公式戦の出るということで、ただでさえ緊張しいなのにいつにも増して不安だらけだった。試合に出るということにものすごく委縮していた。どんなミスをしようとも、負けようがないこの状況であってもだ。

しかし、緊張しまくりながら初めて公式戦のダイアモンドに足を踏み入れた時に、何かいつもと違う感覚を覚えた。普段は自分の中に芽生えるはずのない感情、とでも言うのだろうか。とにかく程よく緊張はほどけ、気合が入った。今でも、あの感覚はとても不思議な感覚だったと思う。

結局打球は飛んでくることはなく、ベンチに戻り、今度はやる気満々で自分の打席を待っていた。なんだか本日の私はやれる気しかしなかった。しかし、そこは私の人生。回ってくる直前で代打が送られ、私は打席を立つことはなかった。自分の中に起きた不思議な変化を、どこにもぶつけることができないまま終わってしまった。それが私が高校時代、唯一試合に出た時の記憶である。



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言ってしまえば、ただ一回の間だけ守備についただけの男だ。試合に出れただけ運がいいで片付けられる、とも心のどこかで思っている。それでも、あの経験は確かなものに感じた。これこそが、試合に出ることで得られる「成長」だとも思った。そしてこの経験をできているレギュラーメンバーは、補欠とは全く違う速度で伸びて当然だとも思った。補欠とレギュラーメンバーの差が開く要因らしきものが、こんな一瞬の出場機会で分かった気がした。


その時湧いてきた感情とは、なかなかひとつの言語化できるものではないが、大きく捉えるとしたら「おれに任せろ」という感情だった。


正直、練習試合などで投手をしていた時もサードを守っていた時も、心の底から「投げたい」「自分のところに打球飛んで来い」と思ったことはなかった、「ばっちこい」とか叫んでいるクセしてだ。何なら飛んできてほしくなかった、ミスが怖かったのだ。ハナから私には、闘志というものを持ち合わせていなかったのだろう。

それでも、あの瞬間は違った。心底からボールを呼んでいた。サードの練習なんて久しくしていないのに、何故かボールをうまく捌けるイメージしかなかった。バッティングがダメダメでピッチャーになったのに、何故か本当に打てる気しかしなかった。

そう、気しかしてなかった。それだけのことだ、ただの勘違いだと言えばそれまでだし、実際はどうだったのか、神ですら知らないことではある。それでもここまで鮮明にできるイメージが湧いて、それをぜひ実行したいなんて思ったこと、今までなかった。こんなにもチャレンジがワクワクしたことは、これまでの人生を数えてもないとも思っている。

そして、その瞬間に小さくとも大きくとも成功体験を積むことで、人は飛躍的に成長するのだと、直感的にわかった。積んでいないのにも関わらずだ。逆に言えば、このマインドが出来上がっていない時に、いくら成功体験をしたって大した成功は望めない、とも言えるのではないだろうか。


本気の思い違いを、確信に変えること。


これが頭一つ飛びぬけたような成長をしたい時に、積むべき経験だと思う。その本気の思い違いをするには、恐らく試合に出なければならない。試合に出るということは、「自分が熱中して追いかけている夢の中で、自分が望んでいる立ち位置につくこと」とでも言えるのだろうか。そんな根拠や経験がないのにも関わらず、闘志が湧き上がるような、できるイメージしかできないような、「自分が自分に任せることを心から望んでいる状態」そんな経験が必要だ。



だからこそ、私は「試合に出たい」のだ。「おれに任せろ」と自分の中に芽生える闘争本能を、常に胸に宿していたいのだ。それは、試合に出れる環境でない限り、私にはできないことだ。今絶賛就活中であるのだが、私は意識が高く今後も成長していくのが予測できる「勝ち確の企業」ではなく、自分自身が若手の段階から最前線に立って挑戦できる「試合に出れる企業」を望んでいる。

チャンスが一度、二度しかないところで結果を出す才能は私にはない。常に試合に出続け、ミスを繰り返し、試行錯誤し、そういう成長ができる環境でない限り、いくら優秀な人に囲まれていたって、私は芽を出すことができないと思う。それこそ、またボールボーイのようなポジションに陥るだけだ。小さくたって、弱くたっていいから、試合に出たいのだ。あの不思議な感覚を今度は何かにぶつけられるように、そういう場所に身を置きたい。


「東京で大企業に勤めても、せいぜい打席に立てるのは一度か二度だろう。
 でも地方なら、何度だって打席に立てる。何三振もできる。
 だって、プレイヤーが足りていないから。」


これは、岩手県の宮古に行った時にパッション溢れる人に言われた言葉だ。私が地方に憧れるのは、こういうところなのかも知れない。


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蛇足ではあるが、なぜ私はベンチでの役割の中でボールボーイを選んだかという話で、この記事を締めようと思う。


何を隠そう私は8番手投手だったので、ベンチでの定位置は専らボールボーイだった。バックネット沿いの一番ベンチに近いファールゾーンに、いつも鎮座していた。打者がボールを前に飛ばすたび、ファールボールを打つたびにグラウンドを行ったり来たりし、選手に負けないくらい動き回っていた。

何故、わざわざそんな大変立ち位置にいたかは言うと、アホみたいな理由だが、ちゃっかりグラウンドに立てるというのが大きかった。

ダイアモンドに立つことはまずなかったが、グラウンドに立っている時間は言ってしまえば、試合に出ているメンバーより長かった。それに生還した選手に混じってワイワイもできるし、試合に参加している臨場感が味わえた、試合に出るプレッシャーを感じることなくだ。

そして働きっぷりが監督の目に入りやすいし、監督との距離も近いが視界に入らないため、レギュラーメンバーへの助言やアドバイスも堂々盗み聞きできた。疲れるためなかなか人気のないポジションだったので、奪い合うことはなく常にその位置を確保できたし、適度な疲労感で試合後の雰囲気をまとえた。ただベンチに並んで試合を眺めているよりも、よっぽど収穫があると思っていたし、今も思っている。

しかし、ボールボーイなんて誰でもできるので、私じゃなきゃいけない理由なんてものはなく「ボールボーイでワンチャン夏のメンバー内定できるのでは」という儚い希望は粉々に砕け散った。


だが、この世界にはボールボーイのような美味しいポジションは案外あるように思える。今すぐに試合に出られない人たちは、こういうポジションをまず確保することを、僭越ながらオススメする。今のままよりも、確実に学びは多くなるし、まず偉い人たちの視界に入ることが重要だ。認知されてこそ、次につながる。


ただ、そのポジションは通過点でしかなく、そこでの学びを生かせることができなければ、私の高校時代のように万年補欠でそのキャリアを終えることになるだろう。



何度でも言うが、優れた環境に身を置くことより、試合に出ることの方が、何倍も大事である。




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