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底辺の角


昨年の「ラップスタア誕生」を見た。

¥ellowBucksが優勝したあのSeason3から一年、Season4はralphという、とんでもないタフなラッパーが優勝した。もう放送が終わってから5か月ほど経つが、今でもたまにFINAL STAGEのライブを見てしまうほど、かっこよかった。



言ってみりゃ このGAMEは四角錐
でも バカにゃ頂点しか見えてない
俺がいるのは 底辺の角
つまり最先端は1つじゃない



これはそのralphが、同じ大会のファイナリストであるItaqと少し前につくっていた楽曲に出てくる歌詞だ。私はこのリリックに、最近ものすごく救われた。

今、私自身就活生であり、将来についてあれこれ考えている日々だ。ほとんど僅かな可能性でしかない淡い未来の自分の姿を想像しては、これでいいのだろうか、と自分に問いかける。モジモジすればするほど、そのモジモジから抜け出せなくなる。そんな状態でいると、自分の弱さというのをよく見かけるようになる。その度に少し、今までの自分を否定したくなり、呆れる。そんなどうしようもないアホな沼にハマりかけている自分が滑稽でならない。

だが「地方衰退問題をどうにかしたいので、地方に関われる仕事をしたい」いう軸は、恐らく誰に何を言われても変えないと思う。なので大事になってくるのは「どのように関わっていくか」ということ。つまり、「誰のどんな問題にコミットするか」という対象者の顔が明確に見えるかどうかだ。


だが、私にはそこがなかなか見つけることができない。なぜなら私には地方における原体験というものがほとんどないからだ。


神奈川で生まれ、神奈川で育ち、両親の祖父祖母が住んでいるのも神奈川と東京である私にとって、地方というのは遠い存在だ。観光やボランティア、インターンなどで少しの時間関わったことはあっても、当事者という目線で地方を見たことは今まで一回もない。それなのに地方に惹かれ、そこの課題をどうにかしたいと考えている自分がいるのも事実。私のやりたいことは言わば、他人の問題に首を突っ込もうとしているようなものだ。

他人の問題に首を突っ込もうとしても、いいことなどほとんどない、ということも今までの人生ですでに学習済みだ。なので、少し気が引ける。自分の問題に人からあれこれ言われるのは、いい気分ではないからだ。でも自分の問題ならば、いくらでも言いたいことを言える。自戒ってのはある意味清々しく、気も引けないのも知っている。

地方で生まれ育った人たちに、憧れを抱くのはこれが理由なのかも知れない。しかし、地方出身者にとっては、それが自分の枷になっているのかも知れない。結局ないものねだりでしかないのだろう。地方の問題が自分事になるその瞬間まで、このモヤモヤは続いていくのだろうか。地方に生まれなくとも、住まずとも、地方が自分ごとになるような「何か」があれば、地方に想いを寄せる都市住民が増えるのではないか、とふと思う。


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話を戻そう。

更に今モジモジしている大きな要因は、都市で働く方がスケールもドリームも大きいのに、わざわざなぜ地方に行って働こうとしているのか、という自分への問いだ。これに対する納得のできる回答が、なかなか見つからなかった。

尊敬すべき地方出身の後輩が、来年就職する。彼は、地元ではなく東京で働くことを決めた。その理由として「日本でビジネスするなら東京だから」ということを挙げていた。


確かに日本においてビジネスの最先端は東京であることに間違いはない。マーケットであっても小国と渡り合えるほど大きく、日本でも一番だ。上を目指すなら東京、と日本全国から多くの人が集まってくるのも頷ける。顧客の数が地方に比べて圧倒的に多い、わざわざ顧客の少ない地方でやるより都市でやる方が、確率も高い。

これだけ正論で分かりやすい事実を並べられても、都市で働きたい気持ちはそんなに芽生えてこなかった。なのに、「なぜ私は地方で働こうとしているのか」という問いも全然解けなかった。わからなかった。モヤモヤしまくった。それは決心が揺らぐわけだ、と自分自身で納得して笑ってしまった。


そんな時に冒頭の音楽と言葉を思い出した。


言ってみりゃ このGAMEは四角錐
でも バカにゃ頂点しか見えてない
俺がいるのは 底辺の角
つまり最先端は1つじゃない


これだ、と確信した。

この日本がピラミッドだとしたら、頂点は間違いなく東京だ。毎日のように色々なことが起きており、目に見えて分かりやすく最先端だ。でも頂点は一つではない。地方だって、消滅可能性都市だって、限界集落だって、底辺の角だとしても、そこは最先端だ。「課題先進地と呼ばれるこれから様々な不具合が生じ始める地域に身を置き、自分にできることをしたい」というエゴに近い欲望。それはそれで、頂点を目指す行為だと、彼の言葉によって気づかされた。


誰かが作った中古の王座に 興味がないから地べた座る


これもralphの楽曲の中に出てくるリリックのひとつだ。

様々なことに対し、溢れんばかり人によって東京はもはや、開拓し尽くされている。もし何かを始めたとしても、それはもう既に誰かによって整備されたものばかりだ。そこでの基準や価値観でさえ自分ではなく、社会によって作られてしまっている。仮に一番を取ったとしても、それこそ中古の王座でしかない。

しかし、まだ開拓が進んでいなく、競争相手も少ない地方は、自分自身を様々なスキマに差し込める余地がある。価値観だって基準だって自分で生み出せる。はじめに座った場所が、地べただったとしても、そこに自分だけの椅子をつくることもできる。


私は、そこに何よりも夢を感じている。


地方に惹かれるのは、開拓が進んでいないからこその価値がものすごく眠っているからではないだろうか。もちろん一筋縄では行かないのは、想像がつく。様々な障壁があるからこそ、今まで生まれていないのだとも思う。

それでも二番煎じではなく、パイオニアとして生きていくことはできるのは、この国なら都市ではなく地方ではないか、と思う。先駆者の何がいいのか、と言えばそれは一番になれること、頂点に立てることだ。手探りで何かを掘り当てる楽しみが残っているのは、きっと地方の方が多いのではないだろうか。


これは、まだまだ都市住民の考えであり、地方に生まれていたら同じことは思っていないかもしれない。もしかしたら、私みたいな都市住民の考え方は、地方に住む人にとっては「宇宙人」のように見え、簡単には受け入れられないかも知れない。

が、例え「宇宙人」だったとしても、「風の人」だ。内外で生じる温度差があるからこそ、風は吹く。私は「土の人」に憧れる「風の人」でありたい。それが追い風でも向かい風でも、その地に根差した人たちに風を送り続けたい。

それは、都市生まれが地方で生きる時に与えられる、何よりの価値は「そこでは育まれない視点で、物事を考えられること」なのかも知れない、と思っているからだ。




いつか底辺の角から見える絶景を、この目に焼き付けたい。




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