薄っぺらい優しさは暴力だ。 「あなたのためを思って」 「良かれと思って」 まったくの善意からくる暴力だ。 言葉を誤解し曲解し取り違え 思い込みのまま暴走し怒り、 傷ついたと騒ぎ、 周りを巻き込んでいくタイプの人。 関わらないでほしいけれど、悲しいかな、 世間ではこのタイプが多いようだ。 わたしは、薄っぺらい優しさや友情に振り回されるほど暇じゃないし、 だがしかし関わられてこられたら徹底抗戦してしまう。 自分の性格も面倒。 他人を変えることはできませんよ。 絶対にできませ
ここではないどこかに行きたいよ ここではないどこかには楽園があるんでしょ? そこでは誰もが笑っているんでしょ? 足枷を壊そうとして剥がれ落ちた爪から流れる赤いものは なぜか僕を笑うあの花にも似て みだらとも思えるような染みを足元に残したんだ あの窓から見える青い空は誰のものなの あの柵から聞こえる歌は誰の声なの 教えてよ ただそれだけでいいのに 逃げようとした僕を罰するならば これが一番効果的だって知ってるんだね ずるいな ここではないどこかは確かにあるんでしょ? ここ
眠れない夜には色々モノ思う 来し方 行く先 捨てたモノ 手のひらから溢れる愛情 握った拳の中で折れた爪 流離って来た振りばかり得意になって 期待される背中ばかり見せて 自分の気持ちは誰にも言わずに 1人で泣くのは簡単だ 憐れまれないように 見透かされないように 強がるふりは手慣れたものだ 前だけ見ていればいいからさ 闘わないヤツが嫌いだ 逃げるヤツが嫌いだ 自分を否定されるような気がするからさ 泣いてばかりのヤツが嫌いだ 愚痴ばかりのヤツが嫌いだ 弱音を吐くのは苦手な
春が嫌いだ。でも春の夜は好きだ。 暖かくなりはじめ、どこかがなにかが疼いてくるような感じ。 人間も動物なんだなと感じる季節。 寒いころぎゅっと固まっていたものが、強制的に解されていく感じ。 嫌いだ。 春の夜の、何かが起こりそうなうずうずしてくる感じは嫌いじゃない。 どこか湿った土の匂いがして、なまめくような風の匂いがして、 誘うような湿った春の夜は嫌いじゃない。 寒くもなく暑くもないどっちつかずが苦手だ。 何かが萌えてくるような鬱陶しさが苦手だ。 たぶん新しいものになか
5年も続いたアカウントを閉じてしまった。 Twitter。 またいつもの、アレだ。 「インターネット」というものが一般に普及し始めたころから いわゆるSNSに参加し始めて20年以上。 チャットやミクシーやFB。Twitterは創世期からアカウントを作ってきた。 ぼそぼそやっていると、反応してくれる人は必ずいる。 そして仲良くなって、輪が大きくなって。オフ会にも行って。 そうなるともう自分のキャパを超えて持ちきれなくなってしまう。 本当に仲のいい人以外との、薄っぺらな挨拶やや
巷間美しい言葉は溢れていて 優しい甘い囁きが手ぐすね引いてまっている 撥ね退けてしまうことができないなら 溺れてしまうのもまた一興 都会は大きな森のようで 路面はがたつく坂道ばかりで 気を許せば足元すくわれる轍だらけ 顎をあげて奥歯噛みしめ さあ走れ こんなはずではなかったと悔やんだって 取捨選択の果ての終焉 哂いながら踏みつけてきたものを 累々と積み重ねもがけ 一瞥だにしなかった屑どもに 取り縋られ動けなくなるまで 握りつぶしてきた感情を 持て余しすぎて捨て所もなく
誰もが自分を特別だと見せたがり 誰もが自分に優しさを欲しがり そのくせ与えることはせずに 奪うことを愛と呼んでいるんだろ 情け容赦のない雨に打たれて 悲劇の主人公を気取ったって 化けの皮はすぐにはがれちゃうよ 誰もお前のことなんか見ないから 装って偽って気取って嘲って それで勝ったつもりでいるんだな 可愛い虚像 優しいふりして壊していくよりはいいかもね そんなやつらが多い世の中だからさ 媚びて諂って阿って嗤って それで有頂天になれるならいいよな 小さい世界で踊らされてい
足元が昏いからさ 泣きながらキミの名前を呼んだんだ 声は届かない 知っている そんなことは問題ではなくて 反響する音だけが聞こえればよかったんだ 自分の手さえも見えない中で 右往左往しているだけで流れる刻 自分の心の中でさえも 誰も何もわからないまま流れてきたんだろう 誰も何も知らないまま消えるんだろう 灯りのないまま進む夜は 凍えた指先を尚痛める 救いはない 救いはこない 期待するだけ無駄なんだよ キミのことさえ思い出せないんだよ
違和感に際限はない。 これでもない、あれでもない、誰でもない、どれでもない。 何にも救われない。誰にも明かせない。 ない、ことを支えに日をやり過ごす。 愛とはなんだ。 恋とはなんだ。 大切に思うことをそうやって言葉で括らねばいけないのか。 ちからになりたいと思うことをなぜ他人は何かに紐づけたがるのか。 自分の中にある微かな、しかし根深い違和感に気づいてからは 誰かの愛を欲した。 そうすればもしかしたら自分にも変化が起こるかもしれないという 淡い期待を抱いて。 誰かの何かに
昔から違和感があった。 誰のことも愛せない。 恋愛は確かに何度もした。 でも、最初の数カ月が過ぎるともう興味がなくなり、 嫌悪感すら湧いてくる。相手が誰でも。 申し訳ない気持ちから、演技を続けるのだけれど、 途中でもたなくなってたくさんの人を傷つけた。 このひとではない誰かならば。 そう思ってきた。ずっと。どこかにきっと、と。 仕事でLGBTの方やQIAの方と関わることが増え、 違和感が確信に変わった。 自分は、Asexualだと思う。おそらく。 定義づけしてしまうこと
あの夜は確かに存在した 美しい美しい夢のようだった センター2列目 あり得ないほどの近さに 彼の人が居た 丁寧に大切に歌っていた まっすぐ前を見て歌っていた 客席を見て動いて歌っていた わたしはと言えば あまりの近さに身じろぎもできず 瞬きもできず ただただバカみたいに見つめていた 瞬きをしたら消えてしまいそうで 呼吸をしたら消えてしまいそうで 見つめることしかできなかった 美しかった 綺麗だった 凛とした佇まい 優しい仕草 優美な指先 話す時少し斜めになる 親指が反
足下が闇いからさ 前だけ見て走ったんだよ キミの声が追いかけて来るからさ 大声で泣きながら走ったんだよ 傷だらけだったけど 雨が覆い隠してくれた 履き忘れた靴はどこかになくしたままだったけど アスファルトの道はあたたかかった きっとダメなのは自分だけで みんなもっと上手に嘘がつける だから呆れるほど不器用で憂鬱で 笑い方なんて知らない
初めてYouTubeで「麻痺」を観てから、いてもたってもいられなくなったわたしは、ありとあらゆる情報をサーチし、その時点で購入できるすべての楽曲を購入し、ファンクラブにも入り、熱に浮かされたようだった。 その時の熱は今も続いている。 否、日に日に上がっている。 まじめなストイックな姿。 一生懸命な姿。 時々、折れているのだろうなと伺わせる様子。 たどたどしいけれど、伝えたいと伝えようとする姿。 すべてが愛おしくてならない。 彼の人のためならば、いくらつぎ込んでも惜しくない
今日、最新のTFTを観た。 「春を告げる」 「麻痺」 「真っ白」 苦しそうに歌っているように観えた。 正確無比な歌い方をしようとするあまり、観ているこちらも辛かった。 痛ましかった。 本人はそうでもないのかもしれないけれど。 「世界は美しいはずなんだ」 奇しくも、大きなニュースの当日に公開された。 人はそういうとき、何か運命的なことを結び付けたがるものだ。 わたしもご多分に漏れず、そのうちの一人。 「震えた36℃の生命を」 まさに何かを歌にして伝えるべく生まれてきた人だと
初めて彼の人を観たのは、YouTubeだった。 仮面をつけて、ポケットに手をいれたまま、少しの動きもなく 機械のように正確に歌っていた。 実は「東京喰種」という漫画の大ファンだったわたしは、最初、 「仮面をつけているなんて、リアル喰種なのか???そういうコンセプト?まさか喰種コラボ?」くらいの気持ちで観た。 「麻痺」 痺れた。 思考力が飛んだ。 頭の中が疑問符だらけになった。 人間の出せる声なのか? 人間の歌える歌なのか? わたしには音楽の素養がない。 譜面も読めない
薄曇りの空から差し込む光の筋は 甘やかな記憶を拭い去るには十分で 残り香の中揺蕩う時間さえも 背中を狙う悪意に握りつぶされた なぜここにいるのだろう いつ逃げればいいのだろう 窓の隙間を吹いてくる風は 遠い海からの騒めきさえも連れてくるから あの日の暑さを思い起こす前に 閉め切られた室内から音さえ消えた いつからここに いつまでここに 存在さえも脅かされ忘れられ消され どこにもいなことになっている自分がここにいるということの滑稽 光も闇も届かないしじまの波間に 何も見