感傷と呼ぶには余りにも笑える晩夏に感じる多くの孤独について。冷蔵庫に貼ったメモについて。溶けた思い出と幻みたいなワンピースについて。

 晩夏というには物悲しくもない今日の気温と空の色。机に残るつまみの残骸がリーンであると幻視してしまうぐらいには脳に酒が残っている。要は私の最近の日々は進んで境界を滲ませようとする裸眼の殉教者みたいなものだ。

 落葉の道を進んでいくと、昨日よりも今日、今日よりも明日と夏が去ってしまうのを感じる。私の頭には例えば紀野恵のこんな短歌が思い浮かぶ。

「台所嫌ひの女友達よスイス・ロマンド・カンゲン・ガクダン」

「人類を信じなくなる午後のためこのニルギリは手つかずのまま」

 公演が終わると、ようやく音楽や読書に気を傾けられる。この時間がたまらなく好きだ。周りの方々も頃合いを測ったかのように「○○の新作聴きました?」「○○の新曲出てますよ」と教えてくれる。そうして私は何度も旅に出る。自宅のベッドに仰向けになりながら。神経質な音の世界へ(by山野一)

 7年ぶりの新作となったハドソン・モホーク『Cry Sugar』を手始めに。素晴らしい。なんて素晴らしいのだ。実は去年リリースされたブリアル『Antidawn』が余りにも物悲しくて中々リピート出来なかったので、「久しぶりの新作」という状況自体にやや警戒していたのだが杞憂に終わった。black midi『Hellfire』は公演中に時折聴いていたが改めて素晴らしい。ダモ鈴木の匂いは消臭されてしまっていたが。FKATwigs『Magdalene』は素晴らしい作品だがやはりアルカ『&&&&&』ジャム・シティ『クラシカル・カーヴス』に戻ってしまう。自分でも何回聴くんだよと思いながら。そこから進はヴェイパーウェーヴとリミナルスペースの混合による喪失。それは心地よい感傷を幾度も私に与えて、泣きながら笑うみたいな感じで飲酒へと導いていく。

 rirugiliyangugili『Burr』を聴く。ハードコアさはやや鳴りを潜めたがこれはこれで個人的には良き。どのアルバムにも入っていた冷えたロマンを帯びた曲の集合の様なEP。逆にYokai Jaki『Jealousy』はまさかのダークアンビエント。ラップ無しの意欲作。そこで鳴らされる音は徘徊者の不穏さ。バラバラ殺人事件の起きなかったパラレルの真夜中は井の頭公園で象徴を探す不穏な徘徊。4s4ki『Killer in Neverland』もまた素晴らしい。ハイパーポップを全く聞いてない身としてはその真価を判断できないのかもしれないが、愉快な悪夢に時折現れる生活の生々しさが良い。セントラルキッチン型の家系ラーメンを食べていた時に不意に店内から流れビックリしたのはつい先日の事。

 Grey October Sound『ローファイ・ジブリ』は持っていかれそうになる危険物。素晴らしいが迂闊に聴けない。Tomi Lahtinen『Arcade』は80年代ゲーム音楽を大胆に引用したローファイ・ヒップホップのアルバムだが、ジャケットの溶けたアーケードゲーム筐体の様にバクチルを起こすドラッキーアルバム。これまた危険。にしても、ローファイ・ヒップホップの象徴でもある勉強する女の子は、このようなバクチルを引き起こす音楽を聴いてしっかり勉強できているのか心配である。しかしリスナーの素晴らしいコメントを引用すると「しっかり勉強出来た?明日はテストで良い点とれるといいね」優しいジャンルである。ローファイ・ヒップホップ。

 Hyperdubの主宰でもあるKode9のこれまた7年振りの新作『Escapology』もようやく聴く。『メモリーズ・オブ・ザ・フューチャー』を永らく愛聴していたのも遠い昔。主に80年代後半の日本ゲーム音楽をHyperdubが監修してコンパイルした『DIGGIN IN THE CARTS』を聴いていたのはつい今年の冬頃である。「ダブステップ」なる言葉にも古い匂いを嗅ぎ取ることの出来る今日において、このKode9の新作は素晴らしさと少しの憂鬱を私に齎す。「私たちは全てを踊って過ごしてしまったのだろうか?開いた目を閉じているように錯覚して」

 Kode9もマークフィッシャーもニック・ランドのCCRUにかつて参加していた。アートに明るくない私はジェイク・アンド・ディノス・チャップマンもこのニック・ランドやCCRUに影響を受けていたと知る。何とも言えない気分になる。良いとか悪いとかじゃなく。何とも言えないのだ。

 公演が終わり真っ先に私がやったことは寝しなに『超神伝説うろつき童子』をネットの海から取り上げて鑑賞する事だった。しかしそれは直ぐに『くりいむレモン』を鑑賞する事に変っていった。正確には私が求めていたのは『くりいむレモン黒猫館・続 黒猫館』でありもっと言えば倉田悠子『黒猫館・続 黒猫館』なのだ。ようやくそこで私は今回の排気口新作で終ぞこの作品を思い出さなかった事を悔やんだのだ。この作品を思い出していれば排気口新作はもっと別の形になっていたかもしれない。多分ね。

 ワークショップの台本は難航中である。時々ホントに書けなくて次の排気口で使おうと思っていたアイディアをワークショップ台本に使う事があるのだが、その禁じ手は、そう遠くない未来の私を著しく苦しめる事になるので使いたくない。フト、昨日の夜に鈴木光司『夢の島クルーズ』という短篇を思い出した。何かの天啓かと云々考えてみたが、ただ理由もなく思い出しただけだろう。いやはや、こうして直ぐに新しい台本を書く事の難儀さよ。自分で言い出しといて愚痴ばかりが出てくるのだから。

 つかの間の晴れの天に私が目を向けるとなにやら過去の事ばかりが浮かんでくる。そうしてそれら全ては、どんな事をしてももう二度と戻って来ないのだ。私はその実感に酷く安心して、それから、次に目を向けた時に浮かび上がる様々の事を、今から歩き出そうと動かす片足からまた、作り出すことに豊かさを感じるのだ。そうやって色んな所に歩き出すには、今の季節は淋し過ぎるにしても。

 元気でね。とにかく。

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