排気口の名前のない役者達に参加しますの巻。

 タイトルの通り、名前のない役者達に参加します。ただ私だけです。他の排気口の方々は排気口新作公演に出演します。名前のない役者達とは「名前のない演劇祭に個人で参加できる 演劇企画第六弾「名前のない役者達紫」 新進気鋭の演出家達によるWS公演」との事。まず名前のない演劇祭とは、「名前のない劇団」が主宰する演劇祭です。恐らく若い方々が作る演劇祭では少なくとも東京では最大規模の演劇祭です。要はガチ上げって事。その名前のない演劇祭のメインプログラムの1つであるのがこの「名前のない役者達」演出家3名と参加者の役者の方々で作品を作り公演します。その、演出家3名の1人が台本作業難航中、A型、山羊座、台本書き上げたら全員酒奢ってこと菊地穂波、つまりは私なのです。

 私は24名の参加者の方々と新作短篇『その後にちょうどいい涙というのがあって』という作品を公演します。

 『その後にちょうどいい涙というのがあって』という作品は元を排気口WSに書き下した台本に依ります。それを大幅に書き直したのが今回です。
もしも排気口の短篇公演があったら間違いなく選んでいたと思えるほど自分でも気に入ってる台本です。

 あ、そうだ。排気口スケジュール的に短篇公演が中々出来なくて、でもやりたい短篇が3本ぐらいあります。短篇やらしてくれる演劇祭の方、連絡待ってます。

 この名前のない役者達、1回の稽古が13時間あります。稽古の日は朝7時に起きて帰ってくると0時を超えています。めちゃくちゃ長いです。1班約2時間半を5回繰り返します。なので参加者の方々は2時間半で終わりです。もうラスト11時間目とかになると頭が爆発しそうになります。それでも今のところ乗り越えています。

 各班1人1人にそれぞれ当てて演出したり、台詞を変えているので、全ての班が違う作品として立ち上がっています。参加者の人たちも違う班を見るとかなりビックリすると思います。多分、5班全部観る人はいないと思うけど、全部観たら全部違うのでとってもビックリすると思います。

 そしてなんと現在の私はこの名前のない役者達と排気口新作公演の掛け持ち稽古&台本作業の真っただ中です。流石の私も先月から数えて2回も大きく体調を崩しました。皆さんも体調ホントに気を付けてください。

 というか、名前のない演劇祭と佐藤佐吉演劇祭を作・演として掛け持ちしてるのは私だけではないだろうか・・・?流石にお祭り野郎と名乗ってもいいでしょう。

 この掛け持ちの中でも一人一人に当てて台詞を細かく直したり、動きを付けたり、排気口新作公演も足すと約35人の役者の事を毎日考えている事になる。なんてすごいんだ自分。なんて健気なんだ自分。その上で排気口の新作も書いているのだ。ああ自分。もう健気通り越して逞しいよ自分。この暖かな冬の日差しの下、行きつけの居酒屋で一杯もせずに!!

 名前のない役者達では、ほぼ初めて演劇について色んな事を喋っています。自分が思う発声の仕方や身体の動かし方を、ともすれば台本の説明や自分が書く時に注意してる事も話します。出来うる限り具体的に。稽古場に着いている演劇祭のスタッフは内心、「この人全部の班に同じこと言ってるな」と思っているはずです。

 ハッキリ言って私は独学でここまでやってきました。だから言ってる事に専門的な正統性はないです。だから私の言った事を1つの文脈として持って欲しいと参加者の方々には言っています。1つのこーゆう考え方として、自分の役者としての引き出しにしまって欲しいと。お気に入りのTシャツと一緒に。それが必要な季節になったら取り出して欲しいと。

 色んな考え方、やり方があります。そのどれもに正しさと豊かさと美しさがあります。でも演出家はそれを至上のルールだと押し付けるのではなく、役者はそれを至上のルールだと受け入れるのではなく、いくつもある文脈の1つであると思うのがいいのでは?と思います。その思いで私は演劇を作っています。

 もしかしたらバトンに近いのかもしれません。私の思っている事を作品を通して役者の心身にバトンとして渡すみたいな。それを掴むも捨てるも皆さんの自由です。でも、そのバトンが、皆さんが次に立つ舞台、その次に立つ舞台で困った時、悩んだ時、イケイケの時、落ち込んだ時、夢中になってる時、ワクワクしてる時、貴方は気が付かないけれども、その手のほんの端っこに握られていたら、これ以上の嬉しさはありません。

 演出家は親ではありません。演出家は師匠じゃありません。演出家は先生じゃありません。皆さんと同じように悩み、同じよようにワクワクする、同じ地平に立っているのです。だから皆さんは過度に神聖視してはいけません。休憩中に自分たちで楽しく話してたら急に割り込んで話してくる演出家にはちゃんと嫌な顔しなくちゃいけません。恋人いるの?なんて酒の場で聞かれて答えたくなかったら「答えたくありません」って言えばいいのです。年上とかも関係ありません。偉いとかも関係ありません。

 この名前のない役者達が終わってから、みなさんの先の演劇活動において名前をつけてやるとスピッツ以外に言われた時、名前は自分で決めると答えることの出来る貴方であって欲しいと思います。

 名前のない役者達という複数の匿名が、美しいラベリングの一瞬を舞台上で魅せる様をどうか観に来て下さい。

 『その後にちょうどいい涙というのがあって』という作品のラストは先ではなく今、一瞬で過ぎ去ってしまう今をどう想えるかという事において参加者の皆さん全員に当てて書きました。どうか困難の最中でも笑えますように。そう思える想像力が皆さんの、観に来てくれた皆さんの中にも宿りますように。

 さて、良い事も書いたし、この先も13時間稽古だし、もうホント、もっとギャラ欲しいし、酒奢って欲しいし、原稿料も欲しいし、でも皆さんが元気で、そしてなにより観に来て欲しいです。

 詳細は上記から。宜しくお願いします。

 穏やかさを祈って。子供たちにチャンスのない世界でも。

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