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苦悩を超えたベートンベンのピアノソナタ「ワルトシュタイン」


ベートーヴェンの難聴は1798年頃から自覚されていました。
1802年に二人の弟に宛てて書かれた「ハイリゲンシュタットの遺書」には
精神的苦悩が書かれています。しかしそこには死への憂いではなく新しい生き方へと進みゆく宣言でもありました。
音楽家として最大の困難を受け入れ精神的克服を果たしたベートーベンは
これまでにない傑作を生み出すこととなったのです。
これはその遺書の内容です。

私の弟カールと(ヨハン)ベートーベンへ

おお、君たち、私を敵対心溢れ、頑固で、人間嫌いだと思い、またそう噂する人々よ。いかに君たちが不当であることか!!

君たちは私がそのように見える秘密の原因を知らないのだ。

私の心、そして私の精神は子供の頃から優しい感情に傾いたものであった。そして私は偉大なる行いを進んで成し遂げるべきだとも考えていた。

だけど考えてみておくれ!私はここ6年ばかり治る見込みのない病に侵されているのだ。無能な医者のせいで状態は悪化するばかりなのだ。

私の状態が良くなるかもしれないという希望は、年が変わる度に欺かれる事となってしまった。そしてついにはこの状態がそう簡単には治らない物である事、もしくは回復不可能であるという事を受け入れざるを得なくなってしまったのだ。

私は情熱的で活発な性格の下に生まれ、社交の楽しみを進んで受け入れる性格であったが、人生のまだ早い段階において人々から距離を取り、孤独の下に生きていかなければならなくなってしまったのだ。

私は時にはそれを乗り越えて外へと出ていきたいと思いもしたが、その都度私の耳が聞こえないという悲しい事実を2倍にも目の当たりにし押し戻されてしまったのだ。それがどんなにつらい事か!

私には人々に対して、もっと大声で話してください。叫んでください。私は耳が聞こえないのです。と言う事が出来なかったのだ。

ああ、いったいどうして私に聴覚の衰えを打ち明ける事が可能だっただろうか。それは私にとっては他の人々よりも完璧でなければならないはずのものなのだ。かつてごく限られた専門家だけが持ちうるものであり、私が完璧に持っていたものなのだ。おお、私には打ち明ける事などできない。

だから君たちが、もし私が避けている姿を目にしたとしてもどうか許して欲しい。本当は私も君たちの仲間に加わりたいのだ。それだけに、私が間違った受け取り方をされるという点においてこの私の不運が私を二重に苦しめる。私には人々の輪に入って元気を回復させたり、相談し合ったり、互いに心の内にある事を言い合ったりする事さえ許されないのだ。

本当にほとんど一人きりなのだ。人々の輪に入っていくのは、それがどうしても必要な時だけなのだよ。

だから私は人々を避けている人物であるかのような生き方をしなければならない。私は私のこうした状態が知られてしまうのではないかという大きな不安におびえている。田舎で過ごしたここ半年の間もそうだった。私は、できるだけ聴力を温存するようにという分別のある医者の助言に従がったのだが、これは私の考えにも一致するものだったのだ。でもそれでも時には人々の所へ出たけていきたいという強い欲求に負けてしまう事もあったのだ。

しかし私の隣にいる人にフルートの音色が聞こえて私には聞こえない事が、そして時には隣の人に羊飼いの歌声が聞こえているのに私には聞こえない事が、なんと屈辱だったことか!。

これらの出来事は私を絶望させた。そして私が自分の人生を終わらせるまであとほんの少しであった。芸術だけ、芸術だけが私を引き止めてくれたのだ。

私には自分が使命を果たすまではこの世を後にすることができないと思われたのだ。このようにして私は惨めなこの人生を続けなければならなかった。本当に惨めだ。私は、ほんの少しの変化によって最高の状態から最悪の状態へと投げ落としてしまう、不安定な体を引きずって生きてきたのだ。

忍耐。今や私が案内役とすべきものは忍耐であると人々は言う。私にはそれがある。私は耐えようとする決意が長くもちこたえてくれればと願っている。運命の女神パルカがその生命の糸を切るその時まで。もしかしたら良くなるかもしれないし、良くならないかもしれないが、覚悟はできている。私は28歳において悟った人間になる事を迫られているのだ。しかしこれは簡単ではない。芸術家にとっては他の誰よりも難しいのだ。

神よ!あなたには私の心の中が見えている。分かっておられる。そこには人類への愛と善行への愛着がある事をご存じのはずだ。

おお、人々よ。君たちがいつかこの手紙を読むことがあるならば、君たちの扱いがいかに不当であったかを考えてくれ。そしてもし不幸な人がこれを読んだのであれば、あなたと同じような境遇にあった人間が、自然がもたらしたあらゆる障害にもかかわらず、尊敬に値する芸術家として人々に受け入れられるために全力を尽くしていたという事を慰めとして欲しい。

お前たち、弟のカール、そしてヨハンよ。私が死んで、シュミット教授がまだ生きていたならば、彼に私の診断書を書いてもらうように頼んで欲しい。そしてその診断書をこの私の手紙に添えてほしい。できるだけ多くの人が私の死後、私と仲直りできるように。

それと同時にお前達には、わずかながら私の財産を残したい。これを財産と呼んでよいのであればだが・・。二人で正直にそれを分け合ってほしい。互いに仲良く助け合ってほしい。お前たちには、自分達が私になにをしたのか分かっていると思うが、私はもうそれを許している。

カールよ、お前には特に、ここ最近私に対して示してくれた態度に感謝したい。私の望みはお前たちが私よりも良く、心配のない人生を送る事だ。子供たちには美徳を教えるのだ。美徳だけが幸せにさせてくれる。決してお金ではないよ。これは私の経験から言っているものだ。私を惨めな生活から救ってくれたのがまさにそれだからだ。私の人生が自殺によって終わらなかったのは芸術と美徳のおかげなのだ。さようなら。互いに愛を忘れずに!

またすべての友人たちに感謝したい。特にリヒノフスキー侯爵、それからシュミット教授には。リヒノフスキー侯爵の楽器が君たちの所で保管される事を私は望んでいるが、どうかそれで争う事はしないでほしい。

しかしそれが何かの役に立つ事があるのであればそれを売って欲しい。私が死んだ後でも君たちの役に立つことができてどれだけ嬉しい事か。そうなってほしいものだ。私は喜んで死に行くだろう。

もしその時が自分の芸術的な能力をすべて発揮する前にきてしまったら、いくら私の運命がすでに過酷だといっても、それは早すぎるだろう。なのでもう少し後に来ることを願っている。でも仮に早く来たとしても私は満足だ。それは私を終わりのない苦しみから解放してくるではないか?だから来たい時に来ればよい。私は勇敢に君について行くだろう。

さようなら。そして私が死んだとしても忘れないで欲しい。私はそうされるのに相応しいのだよ。私はこれまで人生においてお前たちが幸せになれるようにと、よく考えていたのだから。だからきっとそうして欲しい!

ハイリゲンシュタット 1802年10月6日 ルートヴィッヒ・ヴァン・ベートーベン

※日本語訳:車田和寿

https://kazuhisakurumada.com/youtube/heilgenstadt-testament/

 

・・そして翌年の8月、パリから思いがけない贈り物が届いた。5オクターヴ半の音域を備え、ペダル装置の完備したエラール製のグランドピアノであった。「ワルトシュタイン」(1804年)や「熱情」(1805年)に見られる音域の拡大とダイナミックな書法は、このエラール・ピアノなしには考えられない大きな様式変化を示している
 
 「ワルトシュタイン」
それは何よりも、生身の人間の情感の動きを想起させるものだった。

 第1楽章、第1主題。低音の主和音連打で始まるが、外から何かが急かしてくるのでなく、せき立てるのでなく、ベートーヴェン自身の内面の湧き立ちを感じる。
希望を感じ取ろうとする情感の高まり。取り巻く状況ではなく、心を持った人物から出発しているのである。
....
 こうして、第1楽章で苦しさと希望が心の中で精妙に混じり合っていた作曲家に、次第に世界が確かな存在感をもって見え始めるのである。

第1楽章 アレグロ・コン・ブリオ
 
わたしのもとに、新しいピアノが届いた。触れてみたら、自分の底にあったものが湧きたってくるのを感じた。心が動き出そうとした。わたしは、その響きにすっかり鼓舞されていた。そして、大きく大気を吸い込み、心を伸びやかに広げていた。
 それでわたしは、自分の生の不安を託してみた。溶け合わせてみた。わたしの苦しみと希望が、精妙に混じり合った。苦しみと希望は、何と親しいことだろう。
 わたしのもとに、新しいピアノが届いた。心が動き出した。この響きとともに、前へと歩んでいこう。

芸術の仕事
https://geishigoto.exblog.jp/30892347/


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