ベートーヴェンの難聴は1798年頃から自覚されていました。
1802年に二人の弟に宛てて書かれた「ハイリゲンシュタットの遺書」には
精神的苦悩が書かれています。しかしそこには死への憂いではなく新しい生き方へと進みゆく宣言でもありました。
音楽家として最大の困難を受け入れ精神的克服を果たしたベートーベンは
これまでにない傑作を生み出すこととなったのです。
これはその遺書の内容です。
・・そして翌年の8月、パリから思いがけない贈り物が届いた。5オクターヴ半の音域を備え、ペダル装置の完備したエラール製のグランドピアノであった。「ワルトシュタイン」(1804年)や「熱情」(1805年)に見られる音域の拡大とダイナミックな書法は、このエラール・ピアノなしには考えられない大きな様式変化を示している。
「ワルトシュタイン」
それは何よりも、生身の人間の情感の動きを想起させるものだった。
第1楽章、第1主題。低音の主和音連打で始まるが、外から何かが急かしてくるのでなく、せき立てるのでなく、ベートーヴェン自身の内面の湧き立ちを感じる。
希望を感じ取ろうとする情感の高まり。取り巻く状況ではなく、心を持った人物から出発しているのである。
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こうして、第1楽章で苦しさと希望が心の中で精妙に混じり合っていた作曲家に、次第に世界が確かな存在感をもって見え始めるのである。