なぜ母が発達障害かもしれないと思ったのか①
いろいろとあって、私はこれまでの人生、ほぼ母と一緒に暮らしてきた。
その中で母が発達障害かもしれないと思った事は一度もなかった。
上記の「母の様子1」で書いたような会話のやり取りは、あそこまでかみ合わないケースは稀だとしても、これまでにも数えきれないほどあった。
それでもそうは思わなかった。
それがなぜ今になって発達障害ではないかと思うようになったかというと、母と一緒に仕事をすることになってしまったのがきっかけだった。
最近私は店を始めた。
やっとこれで自分の居場所ができたと思ったのも束の間、母がついてきてしまうようになった。
正直なところ、イヤな予感はあった。
そこで最初のうちだけありがたく手伝ってもらう事にして、しばらくしたらもう来なくていいよと言うつもりだったし、実際にもう来なくていいと何度か伝えた。
母が店を手伝いに来る事に拘ったのには持病のある私を心配しての事もあるのだろうと思うが、自分の居場所が母に侵食されるのはうんざりだった。
何度も揉めたし、何度も怒鳴り合いになった。「来なくていい」ではなく、「来るな」という言い方もした。
でも結局こうなった。
この辺りの事は改めて書こうと思う。とにかく紆余曲折あって、今私は母が来ることを受け入れ、一緒に仕事をしている状態だ。
母と一緒に働くようになってしばらく経った頃、私は違和感を覚えるようになった。
最初のうちは、自分からついて来たクセに一向に仕事ができるようにならない母に苛立ち、何よりもいろんな事を覚えようとしない態度にただただ腹が立った。
おまけに母の性格の問題がそれを余計にややこしくした。
すぐに不機嫌になる。むくれる。ふてくされる。
お客さんの前でも、不機嫌な態度を隠さない。
家族であるという甘えもあるのかもしれない。
メモを取るように言っても、その辺の紙に走り書きをするだけでそれを見返すことをしない。言われたからやっているという感じだ。
そして同じ事を何度もいちいち聞いてくる。
何度も私は激昂した。
母は大学も卒業し、いわゆる「真っ当な仕事」に就き、正規で働いていた。
だから余計に不思議だった。この人は一体どうやって仕事をしてきたのだろうと思った。
そして職場の人は母の事をどう思っていたのだろうとも思った。
そのうちその苛立ちや腹立たしさは、違和感になった。
年齢を考えたとしても、何か「普通じゃない感じ」がする。
年齢的に認知症を疑ってネットでいろいろと調べてみたが、いまひとつ当てはまらない気がする。
ある時、何度言ってもグラスの種類を覚えない母に、またも私の堪忍袋の緒が切れた。
たいしてグラスの種類があるわけではないが、覚えきれないならメモを取ればいいのに相変わらず一切しない。
イライラが最高潮に達した時、明らかに大きさの違う二つのグラスを手にして「えぇ?これって大きさ違うの?」と言った母を見て、背筋にゾッとするものを感じた。
長くなりそうなので次回に続きます。
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