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【続】不登校になったときのことを思い出してみる。~保健室登校~
こんにちは。ナツミです。
↓以前こんなものを書かせて頂きました。
中学校に入学してから不登校になるまで、をお話しました。
今回は保健室登校について書こうと思います。
不登校初期 ~ひたすら家で過ごす~
記憶が曖昧な部分がありますが、不登校になった中学2年生の夏から3月の終わり頃まで、学校には行っていませんでした。
その期間はどうやって生活していたかというと、ひたすら寝ていました。本来登校しなければならない時間に起きているのは、なんだか罪悪感があって耐えられず、寝ている間にその時間が過ぎてくれれば良いという気持ちからでした。
たまに担任の先生が家までプリントを持ってきてくれて、それを使って勉強していました。
次に先生が訪ねてきてくれたときに、終わらせたプリントを渡し、また新しいプリントを貰い…と、時間と手間をかけてくださっていました。先生が持ってきてくれたプリントをやり終えたら、次のプリントを貰うまで自発的に勉強をするようなことは無かったと思います。
その当時、私達家族は祖父母一家と同居しており、前年におじいちゃんが亡くなったばかり。まだまだ元気の無かったおばあちゃんと、日中は一緒に過ごしていました。
しかし、不登校はまだまだ珍しいことでしたし、おばあちゃんも優しいとはいえ昔気質の人。孫が急に学校に行かなくなり家で無気力状態でダラダラしている訳ですから、何かしら思うところはあったのではと思います。
忙しい中で家庭に訪問してくれる担任の先生や、娘が不登校ということに辛さを感じているであろう家族に対して申し訳無いという気持ちが段々と強くなり、保健室登校をしようと決めました。
不登校児から保健室登校児へ
保健室への登校とはいえ、学校内に入るのはとても緊張することでした。他の生徒と鉢合わせる可能性の低い授業中の時間を先生と母親とで相談して、登校するタイミングを決めてくれたようです。
元々は電車で通学していたのですが、保健室登校を初めてからは母親が車で送り迎えをしてくれていました。学校に向かう車内では、胃がきゅーっとなるような感覚だったのを覚えています。
保健室の先生は女性で、読書好きの方でした。この先生とは不登校になるまではそこまで深い関わりはありませんでしたが、不安がっている私のことをとても温かく迎えてくれました。お話するとき時間もあれば、先生はただ黙って読書、私は勉強という時間もある。本当に程よい距離感で私と接してくださっていたと思います。
この読書好きの先生に勧められた本を読むようになり、読書が私の趣味の一つとなりました。生徒が来ない時間、先生はインスタントコーヒーを淹れて読書をしていて、私はその香りがとても好きでした。
保健室登校をその学校でしたのは、おそらく私が初めてだったのではないかと思います。本当に有難いことに各教科の先生がたまに保健室を訪ねてくれて、プリントをくださったり、分からないことがあればそのタイミングで質問させてもらったりしていました。
行事など、他の生徒との関わるような行事には一切参加せず、保健室でひたすら勉強と読書をしながら過ごしていました。
保健室登校で自分を取り戻した
「学校に通えなくなった。人間関係が上手くいかなくなった。静かな教室が怖い私が高校受験なんてもう出来ない。」と悲観的になっていた時期の私は、勉強を一切していませんでした。
しかし、先生方のサポートのお陰で少しずつ勉強を再開し、担任の先生に勧められた通信制高校の受験を前向きに考えられるようにまで回復しました。
勉強だけなら自宅でも…と思いますが、実際はなかなか難しいです。勉強の問題に加えて、自宅で引きこもっていては、外部との関わり自体がどんどん怖くなっていきます。
保健室登校は勉強の習慣をゆるく取り戻させてくれて、さらに人との関わりへの恐怖心も和らげさせてくれた、大切な期間だったと今改めて思います。
次回は、この時期に学校と並行で週一回通院していた心療内科について思いだしてみようと思います。
ここまでお読み頂き、ありがとうございました!
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