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働くことと、子どもと共に過ごすこと、その葛藤

中2の頃、それまで特別運動神経が良いとは思えなかった男子に短距離走で負けた。

私はぶっちぎりとは言えないけれど、まあまあ足の早い方で、それまでその男子なんて全然相手にならないと思っていた。
だから、それはもう、めちゃくちゃ悔しかった。
女っていう性別だけで、男に勝てないものがあるような気がしたからだ。

その瞬間、なぜか私の中で、将来自分は子どもが欲しいけれど、そうすると仕事で男と同等に働けない、負けるみたいなイメージがガーっと湧いてきて、どこにもぶつけようのない悔しさと腹立たしさみたいなものでいっぱいになって、猛烈に苦しんだ。
なんで自分は男に生まれなかったんだろうと思った。

たぶん5,6年生くらいからだったと思うけれど、私はとにかく働きたかった。学びたい意欲が溢れすぎて、学校がつまんなくて、働くことの方が授業なんか受けるよりきっと100倍学ぶことがあるから、早く働かせろと心の底から思ってた。
・・・今考えると、かなりキてる小学生だ。

一方で、私は大人になったら子どもが欲しいとも思っていた。
自分の家族が大好きだったけど、いつか両親や祖母は先にいなくなってしまう。安心して帰れる場所があるから冒険や挑戦ができる。だから、自分自身の家族を作らなきゃいけないと、漠然と思っていた。そして、その時描いていた家族像の中には、子どもがいることになっていた。

そんなわけで、「働くこと」と「子どもを持つこと」を同時に為そうと思った時に、子どもを持ったら思いっきり働くことはどう考えても無理に思えた。
男と同じ時間働けない。そうしたら、きっと出遅れる。
仕事という競争の舞台で、私はきっと負ける。
これが95年頃、中学生だった私の想像の話。
中学生にして早くも、キャリアに絶望した。


そしてそれから17年後の2012年、長女が生まれた。
「働きたい」の形は、バリキャリというよりは、「思い通りに働きたい」という希望になっていた。

「子どもを持ちたい」と「思い通りに働きたい」というのをどう両立するか、ずっと考えていた。それを実現するために、2009年にそれまで働いてたゲーム会社を辞めて、その翌年に起業した。
子どもが生まれても在宅で働けるようにしたかったからだ。

ゲーム会社での仕事は楽しかったし仲間にも恵まれていたけれど、自分のやりたい企画が必ずしもできるわけではない。私はプランナーとして、自分の企画がやりたかった。
インターネットサービスの企画なら、ほとんど全て自分でできるし、働き方も自分の裁量でできるだろうというイメージがあって、ネットサービスの会社を立ち上げた。

長女の出産間近の春のことはよく覚えている。
私たち夫婦にはなかなか子どもができなくて、ようやく授かった最初の子は流産に終わってしまっていた。だから、その後にできた子が無事にお腹の中で育って、もうじき生まれてくるというワクワクと、初めての出産へのドキドキでいっぱいだった。

臨月の大きなお腹で、家から歩いていける桜道をあちこち巡って、毎日何キロも歩いた。あんなにウキウキした気持ちになったのは、後にも先にもあの時だけだったと思う。

死ぬほど痛かった初めての出産という儀式を乗り越え、病院のベッドで自分の横に娘を寝かせた時の気持ちは忘れられない。
「この子は絶対に守ろう」と強く思った。

全てが初めての子育て。どんどん新しいことが出てくる。毎日毎日一生懸命小さな赤ちゃんに向き合った。

仕事は夜寝かしつけた後にちょこっととか、疲れて寝落ちしてしまうとできない日も多かったけれど、最初のうちはまだ子育てで慣れないことも多いし仕方ないかなと思っていた。

だけど、後から振り返ると、生後数ヶ月のうちが一番仕事をやる余裕があったのだ。
離乳食が始まるとやることは増え、よちよち立つようになるといよいよ目が離せなくなった。自我が芽生え、自分の思い通りにならないと暴れる1歳の暴君に、下僕同然の母は身も心も疲れ果て、ついに平日は全く仕事ができなくなった。

思い通りにならない家事育児と仕事がしたいのにできないフラストレーションでストレスいっぱいになり、これは無理だと一時保育を利用し始めたのは、娘が1歳4ヶ月のことだった。

一時保育に預けている間はひとときイライラから解放されて、また娘と笑顔で接することができた。
でもその後、長女が2歳半の時に次女が生まれると、一時保育を利用することも難しくなった。一時保育は1日利用すると大体3000円。2人分で6000円はとても払えなかった。

次女が1歳になるまでは、ひたすら我慢。たぶん仕事はほとんどできていなかったと思う。正直なところ、その頃のことはよく覚えていない。

次女が1歳を過ぎてからは、二人同時に預けても1時間700円で済む横浜市の「親と子のつどいの広場」に月に2回程度預けて、その近くのファミレスで仕事するというやり方をしていた。
でも、長女を一時保育に預けていた時ほどこの「心の栄養剤」は効かなかった。この程度では取り戻せないくらい、精神が疲れ切っていた。

子どもを望んだのは自分だし、子どものことはかわいいと思ってる。
なのに、まだ2、3歳の幼い娘に怒鳴り散らしてしまう。毎日イライラ怒ってばかりの自分自身が本当に嫌だった。

私はなぜか、3歳くらいまでは家で子どもを見たいと思っていた。
かわいい時期を長く一緒にいたいというのもそうだけど、自分の育った家のイメージも強く影響していたと思う。母は子どもがある程度大きくなるまで専業主婦だった。
だから、下の子も3歳まではうちで見るつもりでいた。

だけど、会社の経営の方の問題と、自分の精神的な問題とを考えた時、もう無理だと思って、苦渋の思いで下の子は1歳から園に入れることにした。
かくして我が家の娘たちは、3歳と1歳で同時に入園することになった。

4月生まれの長女は入園すると間も無く4歳。
ここまで4年間、1ヶ月あたりの仕事時間は30時間いけば良い方
一時保育などを使って仕事ができた月でこれだ。
フルタイムで働いたときの1週間分にすら満たない。
私は4年間、ほぼ専業主婦だった。

1歳から次女を週に5日園に入れることは、正直に言えば本意ではなかった。
許されるなら週に2,3日だけ園に預けて、残りの日は子どもと過ごすという時期をもう少し過ごしたかった。

でも、園に預けたことはよかった。
先生たちは愛情深く子どもを見守ってくれるし、子どもたちが同じ年頃の子と一緒に育つことの良さもたくさんあった。
多くの大人と多くの子ども、つまりは社会の中で子どもは育つということを強く実感した。

自分自身も、子どもと離れる時間を持てることで、大人として余裕を持って子どもたちに接することができた。
今だから思うけれど、子育てだけをしなければならなかったその4年間で、私は自分自身を見失っていた。

誰かのために全てを捧げるということ。
睡眠時間も、食事も、休憩時間も、そうした生活のあらゆることが子どもが優先になり、自分のことは全て二の次になり、大人としての自分がどこかに消えてしまっていた。

子どもに目線を合わせ続けることで、世界は狭く、子どもは実際よりもすごく大きなものに見えてしまっていた
自分が見出した、人生で一番大切なことも、子育てに没頭する中で、忘れてしまっていた。

二人の娘たちが入園した後、私は末期癌を診断された母と向き合いながら、新たな事業を立ち上げようとしていた。
ひたすら自分と向き合い、そして自分自身を取り戻した。

「働く」とは、なんだろう。

子どもの頃私は、学ぶために働きたいと思っていた。今もそれはある。
収入を得るための仕事も当然ある。
でも、それだけじゃない。

社会と繋がり、誰かの役に立てるということを、人は必要としている。
そのために仕事はあると、私は思う。

昔は、家庭や親戚関係、近所付き合いなど、仕事以外の場所にも「社会」はあった。
そこには面倒さも多分にあって、それゆえに今の核家族化や都市化が進んできた側面もあると思う。

面倒な家族付き合いや、面倒な近所付き合いはきっと昔より大幅に減って、楽になった部分もあると思う。だけど、その結果孤立する人も増えた。
社会から隔絶されて、頼る人はおらず、他人に迷惑をかけないようにする子育ては、孤独だった。

学校では、将来何になりたいかと聞く。
大人になったら働くことを前提に、今の社会はできている。

女性が子育てに専念することが普通だった時代の価値観と、女性が働くことが当たり前となりつつある価値観との間の苦しさは、まだ多分にある。
95年頃に私が想像していた「辛い未来」は、25年経った今、まだ現実のものとしてある。

ワークライフバランスを考える人が増えて、男性もそれを考えるようになったのは時代が一歩進んだと思う。
でも、ワークとライフのバランスを整えることは、生活上の問題の一端に過ぎないとも思う。
自分の本当の望みをはなんなのか。
それがわからなければ、何をしても表面上の繕いになるだろう。

本当は、息して生きてりゃそれだけで価値があるって思うけど、
「私、生きてる、ヒャッホー!」ってそれだけで大満足できる人間なんて現実にはそういない。

人が自分らしく、社会と繋がり生きられる形があるのならば、それは「働く」という形式を取らなくても良いのかもしれない。

私は、どんどん変わっていく子どもとの毎日を大切にしたい。
でも一方で、できるならば、自分がこれまでに培ったものを、社会の中で生かしていきたいのだ。
何かに勝ちたい、誰かに勝ちたいなんて気持ちは、今はもう無い。
ただ、私の全てを賭けられることがしたい。
それが、強欲な私の望むこと。

#子育て #働き方 #生き方 #人生 #ライフスタイル

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