見出し画像

お金を使えない専業主婦と、お金で時間を買いたいワーママ

ある時私が
「お金を使うことにいつも躊躇する」
というようなことをポロッとこぼしたら、その言葉に夫がとても衝撃を覚えていた。

夫は、私がそんな風に思っているなんて、考えたこともなかったらしい。

子育て中のママたちでもお金を使えるのはいわゆるワーママか育休中の人それ以外の人はめちゃくちゃ財布の紐が固いというのは、私の子育て中の仲間内ではいわば常識だった。

だから、夫が私のお金に対する意識にショックを受けてたことに、逆に私も驚いた。

「専業主婦」の金銭感覚

私は日々の食品や消耗品や、子ども用品で必要なものは普通に買うけれど、自分のものは滅多に買わない。遠慮せずに買えるのは100均やスリーコインズ。

お昼も外食はしたとしてもなるべく安く済ませるし、ママ友と優雅にランチ三昧なんて絵図は、どこか遠い世界のことだ。

財布の紐の固さは、正社員的な働き方をしているか、つまり安定した収入があるかどうかが分水嶺になっているように思う。私も専業主婦ではないけれど、説明がしづらいのでここではやや乱暴に「専業主婦」と「ワーママ」という書き方をする。

家計を支えているのは夫で、実際には自分の小遣い分くらいは稼いでいたとしても、稼ぎを頼っていることにどこか引け目を感じているんだろう。自分のものを買うときにも「人のお金で買わなければならない」と感じる。

自分のお金じゃないから、そんな無遠慮には使えない。

お金と自信のもやっとする関係

実は、お金を使うことに対する引け目は、以前はかなりあったのだけれど、今はだいぶ薄れてその気持ちがよくわからなくなってきている。

物を買わないというライフスタイルが定着して、大して欲しい物もないということもあるけれど、気持ちに余裕を持って子育てをできているかどうかというのも影響しているように思う。

子どもたちが小さかった頃、すべてを子どもに合わせて行動し、毎日振り回されるばかりで些細な家事一つ満足にこなせず、選択の自由も、達成感もゼロ!な日々の中で、「お金を使わせてもらう」と思うことは、ある種自己否定されるような胸のもやもや感があった。

私がそのような思いを抱いていた頃、周りの専業主婦の友達と話していると、
「この人こんなすごいのに、なぜこんなに自信がないんだろう」
と思うことがよくあった。

どれほどすごい特技やスキルを持っていても、「私なんて」とか「自分には無理」とかそういう類の言葉をよく聞いた。
そんなことない、こういうところがすごいよと周りがいくら褒めても、他人の言葉はまるで響かない。

この驚くほどの自己肯定感のなさは何なんだろう?

お金を稼いでいないことがそれと完全に直結しているとは思わないけれど、ちょっとした作業で少額でもお金を得たいという気持ち、お金に対する強い執着を、私も含めて小さい子を子育て中の専業主婦の多くが持っていると感じていた。

今は昔と違って女性が働くことが当たり前になり、「働かない」という選択をした場合に、そこに何か理由が必要であるような社会的な雰囲気を感じる。

私が住む横浜という土地柄もあるかもしれないが、私の周りの専業主婦たちは、夫がブラック労働や職場が遠いなどで毎日帰りが遅い、単身赴任、転勤族、交代制勤務など、実際、妻が専業でないと家庭が回らなかろうと思われる人が多かった。
専業主婦をやってるからって、必ずしも家計に余裕があるわけではない。

やってみるとわかるけれど、一日中子どもの相手をするというのはとてもしんどい。オフィスで仕事するほうがよっぽど楽だと感じる。
それだけ大変な子育てだけど、毎日毎日休まずそれを続けることを、誰かに褒められることもない。下手すると、楽してると思われる場合すらある。

そんな世の中だから、仕事をしてお金を稼ぐことによって、自分自身の存在が認められたと感じられ、救われる人も、ある程度はいるだろうと思う。

お金と人の尊厳を、今や完全に切り離して考えることは難しい。

キリキリ舞いの「ワーママ」たち

子どもたちが乳幼児期は専業主婦的生活を送っていた私だが、子どもたちがこども園に入園すると、仲良くなったのはワーママばかりだった。

こども園では、いわゆる幼稚園枠の「1号」と保育園枠の「2号」「3号」という異なる二つの形態が一緒になっている。

幼稚園枠の子たちは14時降園。ママたちはそのまま園庭でおしゃべりしながら、しばらく子どもを遊ばせてから帰る。夕方遅くにダッシュで来てダッシュで帰るワーママたちは、その人達にはほとんど出会えない。

1号と2・3号は、子どもたちもその母も、行動する時間帯の違いから、自然と1号同士、2・3号同士というグループに分かれていく。

2号で仲良くなった共働きファミリーのグループで一緒に遊びに行くのはとても楽しかった。けれど、全く節約なしに遊ぶので、自分の中で予算オーバーになることも多く、金銭感覚の違いを辛く感じることが少なからずあった。

ワーママ勢は、専業主婦的な立場から見ると、金銭的にはかなり余裕があるように見えた。
でも一方で、彼女たちには時間的な余裕がまったくなかった。

園の送り迎えのときに顔を合わせても「おはよー!」「じゃ!」みたいな感じで、ゆっくり世間話なんかできることは滅多に無い。
子をお迎えに行って帰ったら、急いでごはんの支度してお風呂入れて、なるべく早く寝かしつけないといけない。翌日の朝も早い。

そんな風に、他の保護者とは一瞬のすれ違いがあるかないかの毎日だから、連絡先の交換をするのも簡単じゃない。お互い忙しいことはわかってるから、聞きたくても聞きづらいのだ。

だから、縁あってようやく繋がれて親しくなれた園の友達は特別だ。
平日は仕事があるから、土曜日に習い事に行っている子も多い。遊べるのは大体日曜日。限られた自由な時間に、思いっきり楽しみたい、お金を節約することはその時は重要じゃない。

「お金で時間を買う」というセリフも、ワーママからはしばしば聞く。
目まぐるしい毎日を少しでも楽にしたい、それは働く母たちの切実な願いだ。

交わらない「専業主婦」と「ワーママ」

普段は交わることが少ない「専業主婦」と「ワーママ」だが、園の役員や小学校のPTAで一緒に役をすることがある。

園では役員決めがある時に、本部や卒園委員など、大変そうに見える役を意外とワーママの方が引き受けたりしていた。それは、役をやることが園での貴重なつながり作りの場になるからだ。

そこで専業主婦勢とワーママ勢が一緒になったとき、お互いに理解しあえない部分を見ることがしばしばあった。

一つの大きな原因は、時間の感覚の違いだ。

ワーママたちは、時間を無駄にしたくないから、とにかく仕事が早い。悠長におしゃべりしてやることが進んでなかったりすると、イラッとしてしまう。

専業主婦たちには、そういうスピード感や彼女たちの時間の貴重さを理解できない。そして、”デキるワーママ”たちを目の当たりにして、パソコンもできないしとかで劣等感を持ってしまう。
「自分なんて」とか「私、何もできないから」という言葉を何度聞いたことだろう。

私はそういう様子を見るたびに、なんともやるせない気持ちになる。
実際には、パソコンができなくたって、買い出しに行ってくれたり、電話で問い合わせたり、制作してくれたりと色々やってくれているのに。
彼女たちにもみんなそれぞれ良さがあったのに。

同じ子育て中であっても、お互いの抱える悩みをわかりあえない。

ワーママの目の回るような毎日の忙しさもなんとかならないものかとは思うけれど、これはまだ声を上げてくれる人がいる。

でも、サイレントな専業主婦たちの抱えるお金と自己認識の歪みは、表に出にくい。外部に表出できないその鬱屈したものは、twitterのママアカウントではしばしば呟かれているのだけれど、それを見続けるとこちらも辛くなってくる。

彼女たちに自分自身の良さを認めてほしいと願ってアクションを取ったこともあった。でも、私の思いはいつも届かなかった。褒めてほしいと本人が思っていて、実際に本心からその良さを褒め続けても、それでは砂漠を潤すことはできなかったのだ。

でも、かつては乾いた砂漠のように見えたのが、自分で自分のあり方を探し、自分に合った場所を見つけ、今は「ちょうど良い」毎日を過ごしているように見える人もいる。

結局の所、自分を救えるのは、自分しかいないのだ。

もどかしいけれど、他人にできることは、追い打ちをかけないことと、見守ることくらい。

この物質的には豊かで恵まれた社会にあって、人がそれぞれ自分らしく心地よい毎日を送れる土壌をどうしたら作れるのか、私はいつも考えている。

#コラム #子育て #生き方 #お金 #時間 #人間関係 #幸せ

人がより良く生きられる社会についていつも考えてます。 サポートいただけたら、思考の糧になる本の購入に当てさせていただきます。