卒業研究への協力と宿坊についての小話【学芸員のバックヤード】
卒業研究への協力を行いました
先日、卒業研究の調査として大学生の方がいらっしゃいました。
宿坊についての調査をしているとのことで、事前にいでは文化記念館にお問い合わせいただいておりました。宿坊に関する有識者に声をおかけし快諾いただけましたので、僭越ながらお話を聞く場をセッティングしました。(写真掲載の許可をしていただきありがとうございます。)
卒業研究だけでなく、個人、大学を含む研究機関から調査研究目的でいらっしゃる方は毎年少なくありませんし、県内外からいらっしゃいます。研究で新たな成果が生まれれば、今後の出羽三山研究の更新がされるので、学芸員としても幸いです。
宿坊についての小話
宿坊経営において「檀那場」と「霞場」という、その場所から修行のために羽黒山に来山した方々に宿泊の場と潔斎する場を提供するため、特定の宿坊が受け持つ地域があります。檀那場は関東地方、霞場は会津若松付近を除く陸奥・山浜通り以外の庄内一円を除く出羽・佐渡・越後・信濃を指します。地域と特定の宿坊に関しては羽黒山別当や国幣三山神社(現在の出羽三山神社)から命じられた授与・免許状が現代にも残されています(※1)。
江戸時代には盛んに「東の奥参り」として、「生まれかわりの旅」という出羽三山で修行する旅が流行りました。特に関東地方ではその文化が根強く残っている地域もあり、千葉県の海岸地域では「講中」という参拝のための組織文化が今に伝えられています。
現代は自動車の普及や道路整備によって日帰りができる場所が増えました。特に羽黒山は山頂まで自動車で行けるようになったこともあり、檀那場と呼ばれた場所の人々が宿坊に宿泊することが減ってしまいました。
それとは逆に、公共交通の発達によって、霞場と呼ばれた場所の人たちや日本の他の地域、海外の方などの来山が容易になり、宿坊に宿泊することが増えたといわれています(※2)。そのため、修行目的の人だけでなく旅行者も泊まれる宿坊が増えてきています。
ぜひ当館をご利用ください
いでは文化記念館には展示資料だけでなく、図書閲覧室にはこれまで開催したセミナーや講演資料、出羽三山や旧羽黒町に関する文庫本もあります。閲覧希望の際はメールや電話、あるいはいでは文化記念館の職員にお声がけください。
脚注
※1 『授与状(霞場之事)』『授与状(霞場之事)』『免許状(霞場之事)』『免許状(霞場之事)』『霞状』他数点(いでは文化記念館所蔵)
※2 『別冊東北学vol.8』 宿坊町のいま昔 吉住登志喜 談