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平安時代の食べ物を食べに行こう~1000年前の過去へタイムトラベル~

今から遡る事、1228年前。鳴くよ鶯平安京でお馴染みの794年に
桓武天皇が京都に都を移した事で平安時代が始まった。

それから、鎌倉幕府が開かれるまでの約390年間。藤原なにがしやら、平のなにがしが権力の中枢に君臨し、源氏物語や枕草子に代表されるような華やかな貴族文化が京の都に展開されたのである。

しかし、時は流れ令和4年。今京都の街を歩いてみても当時の面影を残す物は少ない。平安時代は古となりはて、その上に室町時代や応仁の乱や信長や秀吉や江戸時代や幕末などがまるで地層のように堆積してしまった。
もっとも、それはそれで風情があるものの、この中から平安時代だけを感じ取るのは、恐竜の化石を慎重に発掘するような果てしない作業である。

まぁ、考えてみれば当然だ。1228年前に思いを馳せる前に、1228年後の未来をイメージしてみよう。
今から1228年後。
西暦3250年。

未来と言えば、リニアモーターカー?ドラえもん?銀河鉄道999?
リニアモーターカーの東名間開業は2027年
ドラえもんの誕生は2112年
鉄郎が銀河鉄道999に乗り込むのが2221年

今話しているのは3250年の話である。とてもSFじゃ追いつきそうにない。
人間は人間の形をしているだろうか。
人間は銀河系内に住んでいるだろうか。
きっと、遥かに文明は発展し、朝の教育テレビで量子もつれとダークエネルギーについて解説しているに違いない。

つまり、現代から平安時代を探るというのは、それほどの時を超えるタイムトラベルのようなものなのである。

しかし、それだけの時を経てもなお京都には平安時代をそのまま現代に伝える物がある。
しかも、建物や古墳ではない。
そもそも建物や古墳では平安時代をそのまま伝えているとは言い難い。
平安時代から続く寺社仏閣も再建されたものがほとんどであるし、古墳も草木が茂り当時とはかなり雰囲気が変わっているはずだ。

では、平安時代をそのまま現代に伝える物とは何か。
それは食べ物である。

その食べ物を求め、平安時代へ時間を超える旅は京都駅の烏丸口から始まった。

今回の旅のタイムマシーンは京都駅烏丸口正面のバス乗り場から出る。
横断歩道を渡ってA3バス乗り場。そこが出発点である。

タイムマシーンの名前は「京都市バス 206系統 四条大宮・大徳寺・北大路バスターミナル行き」
タイムマシーンの名前としてはいささかダサいが、実際実用性を考えればこのくらいが丁度いい。

そしてこのバス…、じゃなかった…タイムマシーンに揺られる事38分。
「船岡山バス停」で下車する。

バスを降りて、右手に「今宮門前」という信号があるので、ここを左折。
すると今宮神社の参道へと出る。

今宮門前
今宮神社参道


約400メートルある参道を進んでいく。すると今宮神社の大門が現れる。


この大門を潜ると右にすこし小さな門がある。その門を通ると石畳の道があり、両サイドにはかなり年季の入った木造建築の建物が左に一件、右にも一件。いかにも古を思わせる風景である。

そして、その左側。(今宮神社から見て左側、地図で言うと北側)
ここが今回のタイムトラベルの目的地だ。
その名も「一文字屋和輔」である。


一文字屋和輔(今宮神社は画面向かって左側)

なぜこの店が今回の目的地なのか。
それはこの店が日本で一番古い飲食店だからである。
創業は、なんと西暦1000年。平安時代真っ盛り、藤原道長が権力の座についていた頃だ。

メニューはシンプルに「あぶり餅」のみ。
一人前11本、お茶までついて600円。

あぶり餅とは、餅にきな粉を塗して焼き、そこに白味噌ベースのたれをかけたもので、甘味と香ばしさが絶妙なバランスでマッチしている。

初代が西暦1000年にこの場所であぶり餅をつくり今宮神社へ奉納したのが始まりで、千利休の茶菓子としても利用されたそう。

しかも、店内には1000年前の井戸があり、未だこの井戸は枯れる事を知らず今なお生活用水として利用していると言う。


店内にある井戸

これは完全に平安時代へのタイムトラベル成功である。平安時代の人々もこの地でこのあぶり餅を食べていたのだ。
想像してみて欲しい、この前あなたの家のポストに入っていた「近くにカフェがオープンしました!」とういうチラシ。そのチラシの店が1000年先まで続く事を。
1000年後の人がその店のコーヒーを体内に埋め込まれた超小型カメラで瞬間記憶のように撮影し、遠くかなたケプラー452bに向けテレパシーで送ったりするのだ。

とても想像がつかない。

ちなみに、お店の方にお話しを伺うと
「歴史上の人物が来たという話はないけれど、時代的には紫式部が食べていてもおかしくありませんよ」
との事。確かに、Wikipediaによると、紫式部は970年頃~1019年頃なのでない話でもない。

「紫式部の墓もすぐそこにありますし、この辺で生活していたはずです」

そんな事も教えて頂いたので、ついでにその墓にも行ってみる事にした。

今宮門前の交差点まで戻り、そこから東に10分ほど歩いた堀川北大路という交差点を南に曲がった所に紫式部の墓はあった。


この石碑の先に盛り土がしてあるところがあり、紫式部の墓標が立っていた。
紫式部と言えば、世界初の長編小説「源氏物語」を書いた人物。シャーロックホームズも、ハリーポッターも、雪国も、1Q84 も全ては紫式部から始まったと言えなくもない。これはエジソンやアインシュタインやスティーブジョブズだって敵わないほどの功績である。

ここにその遺体が埋まっているのかと思うと、なかなか感慨深い。

墓地の脇に小さなプレハブ小屋が立っていた。見ると、中では老人が一人。イヤホンをしながら数独をやっている。

その老人に声をかけてみた。すると、老人はボランティアでここの管理をしているのだと言う。
「ここらの年寄が子供の頃は、この式部の墓地はうっそうとした茂みで、ようけ誰も近づかんかった」
と老人は語った。
それから老人は三十分以上に渡って式部やこの墓地についての色々な説明をしてくれた。

最後に私が「今、平安時代から続く一文字屋和輔という店であぶり餅を食べて来た」と言うと、
「そんなわけあらへんがな。そんなもの言ったもん勝ちやから、京都の人間の言うことなんて真に受けたらあかん。いくら資料がある言うたって、そんなもんいくらでも作れるんやから。仙人でもいない限り、本当の事なんて分からん」
と言われてしまった。

そう言われてみて思ったのだが、確かに平安時代の食べ物にしては甘すぎるような気がするのだ。
昔は砂糖はかなり貴重品だったはず。
調べてみると、平安時代中期は元々薬品だった砂糖がようやく貴族の間で調味料として使われだした頃で、砂糖が一般的になるのは室町時代後期まで待たなければならない。

いくら最初は奉納品だったとは言え、これを街中でバンバン売っていたとは考えにくい。恐らく、西暦1000年にあぶり餅という物を売っていたのは本当だが、時代が進むにつれ、味が変化していったのではないだろうか…。

すると、これは「平安時代をそのまま現代に伝えている」とは言い難いか…。
残念ながら今回のタイムトラベルは遡れてせいぜい500年程度と言ったところだ。

まあ、兎にも角にも、歴史ある名店で貴重な体験ができたのは間違いない。

皆さんもぜひ京都へ行かれた際には、平安時代へのタイムトラベルへ挑戦されたし。


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