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傷つける権利と傷つけられる権利は、何人たりとも奪えない愛の証だ

恋も仕事も、自分からアプローチできない人は「傷つけられること」を恐れている。相手からにべもなく断られ、いたいけな心がざっくり切られるのを恐れている。「真っ二つにされるくらいならしっぽを巻いて退散だ」と無言で踵を返す。

エイヤーと捨て身覚悟で切り込めるのは「この人になら傷つけられてもいい」と腹をくくったときだ。リスクを天秤にかけてなお、ぶつかりたい対象が見つかったとき、玉砕してもいいからと突進する。「当たって砕けろ」と思えるのは幸せなことだ。それだけ強い思いを傾ける対象があるのだから。

知り合いの女性が、パートナーから体の一部を譲り受けた。愛しい人の一部が自分の体に取り込まれ、命をつなぐと同時に、愛しい人の一部が欠けた。きっと当人同士にしかわからない葛藤、当惑、苦しみ、そして愛があったのだろうと思う。計り知れないほどの逡巡がふたりの間に降り積もり、そのうえで決断し、進んだのだ。

女性はその事実を発信した。同じ病気に苦しむ人たちのために、そのまわりにいる人たちのために、無知な私たちのために。すると顔も知らない遠くの他人から、顔を見せないまま、名も明かさないまま「人の体を傷つけてまで生きたいのか」「そんな人間に生きる価値があるのか」といった言葉がぶつけられた。覚悟はしていたものの、心がこわばった、という。

大切な相手との間にだけ芽生える権利がある。それが、傷つける・傷つけられる権利だ。

この人になら傷つけられてもいい。そう思える相手が稀に現れる。そう思われた相手は、傷つける権利を手にする。その権利を行使するもしないも当人たちの自由で、当人以外からは一切侵害されない。崇高で希少な権利だ。

傷つけられてもいいという覚悟は誇りにもなる。自分の痛みも厭わず無防備なまま相対する姿勢は、逆に生きる強さを培う。たとえ深手を負ってでも正面から立ち向かえる自分でありたいと願う気持ちは、自尊心すら育んでいく。

あなたになら傷つけられてもいい。
あなたのことなら傷つけられる。
傷つけ傷つけられても、変わらず愛しているから。

そんな愛ある人生を送りたい。
痛みを力に。

aki kawori | Twitter


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