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「障害者」とか「不適合者」を作り出してるのは社会だと思った件

障害を持つ者はそうでない者より
不自由だって誰が決めんの!?
(Mr.Children「擬態」より)


何年か前、「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」という暗闇を体験できる施設にいった。

10人程度の参加者が、真っ暗な空間に作られた一軒家に入り、部屋を回ったり、お茶を飲んだりするもの。

案内人は、目が見えない人たち。

参加者たちは、時に手を繋ぎながら、声を掛け合い、そろりそろりと前へ進んで行く。

体験後、私に芽生えた感情があった。

日常では、目が見えない人が障害者と言われるけれど、暗闇の中では、目が見える人が障害者なんだ。


その後、「車椅子の人向けのレストラン」をテレビで見たときも同じことを感じた。

車椅子に乗っている人が健常者だから、天井もテーブルも低く、椅子がない。

二足歩行の人は、終始窮屈な姿勢を強いられ、さらに、頼んでもいないのに、車椅子の人に使い方を教えられたり同情されたりする。

社会に適応できない「かわいそうな」存在として。

この時も、「障害者」と「健常者」は、社会が作り出しているものだと思った。



この社会は、「多数派にとって便利な仕組み」で作られていることが多い。

そう考えると、全ての要素が多数派などという人はいないから、恐らく、全員が、何らかの部分で、社会の不適合者になる。

もちろん、私も立派な不適合者。

例えば、
正社員じゃない
貯金も少ない
結婚してない
持病がある
女のくせに料理好きじゃない
掃除も好きじゃない
他人の悪口も好きじゃない
安定より変化を好む
目に見えないものに興味がある
役に立たなくても、今やりたいことをやりたい


そうですよ、
社会に適応できてません。
そーです、そーです。
不適合者です。


でも、
でも、
それが個性でしょ!!


これを読んでるあなたも不適合者ですからね〜。

でも、いいじゃん、いいじゃん。
みんな一緒だから!

社会を変えるのが難しいなら、自分を変えればいい。

認めて、笑い合いたいんだ、私は!

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