見出し画像

私達は何を学ぶのか?何を学んだのか?本当のレガシーはこれからなのでは?

選手の戦いはやはり感動を与えてくれた。閉会式のARIGATOは選手達と現場で運営に尽くした人々へ と思った。閉会式はかなりシンプルでしたね。

オリンピズムという始祖が目指した哲学がある。

「スポーツを通じて心身を向上させ、さらには文化・国籍など様々な差異を超え、友情、連帯感、フェアプレーの精神をもって理解しあうことで、平和でより良い世界の実現に貢献すること」


閉会式で一番心に響いたのは、実は選手達がそれぞれで交流する姿だったと思う。女子バスケ表彰式で3カ国の全員で写真を撮る姿。スケートボードで国を超えて讃え合う姿に心を動かされた。まさにオリンピズムだ。

が、残念なことに開催費用は過去最大に膨らんだ。色々なものが犠牲になった。それに加え疫病という事態。その意味では式典やエンブレムなどクリエイティブは象徴的に攻撃の対象となった。集団主義や忖度の連鎖で進め、責任を取らない代理店や組織。粗探しする某雑誌やメディア。そしてそれを読み、非難や意見をする私たち。
最悪の地獄絵図を見事に実現した。

クリエイティブもスポーツと一緒で応援はできるが、誰もが参加できない。いつしか私達はクリエイティブを誰かに託すことができなくなった。

今回の式典チームは世間の非難に耐え、理不尽な組織に制御され、最後はその組織も自滅し、現場だけが残った。トドメに前日までメディアと世間から粗探しの洗練を受けて、誰もが逃げ出したい中で現場チームは耐えて進めたはずだ。人間は都合が悪いと逃げる。
あの現場の人達は火中の栗を拾った人達だ。

感想は個人それぞれで良いが。タラレバ満載の中で「もっとこうすれば」と言うのは戦ってる戦場の兵士に”殺し合いなんて早くやめればいいじゃない?”と言うくらいのものだったんだろう。そんなに簡単な話じゃない。それを知ってか知らずなのか、ある偉いおじさん達は「成功した」と言い切った。

何を学ぶべきだろうか?何を学んだのか?
誰かに託せなくなった私たち。見直すものは沢山あることに気づいた。いつしか皆が「国の恥だ」という言葉を使う様になった。批判し、嘆くのは簡単だ。一方、私達はこの地獄絵図が何故起こり何を学ぶべきか?

「もっとできたはず」
某タレントは”がっかりするのは自信が過剰だからだ”と言う。そろそろ自分たちの現在地を握りしめる時だ。

開会式で「後世に誇れる大会」という言葉が使われた。そうするためにも、今こそこれらの問題に向き合う事で”これをきっかけに変わった”と言うべきものにする必要があるのではないか?今から一人一人の行動にかかってる。悔しくないか?でも答えは自分で作るしかないのだと思う。
それこそ選手達にそれを学んだのではないか?

既に次の北京では五輪開催のために村が一個移転する程の国策が行われてる。パリも動いててプレゼンではその熱気を感じた。これから色々な五輪が始まる中でクーベルタン男爵の描いたオリンピズムは未だ完成形を見てない。それでも私たちは変化し成長させ、目指すべきなのではないだろうか?と思うのです。

そしてまだ東京もパラリンピックがあります。
考えながらも、引き続き選手達を応援しましょう!


この記事が参加している募集

最近の学び

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?