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正しさの商人~情報災害を広める風評加害者は誰か~

提供する情報の付加価値に対して対価を支払う。
新聞やテレビなどマスメディアの多くは、これが基本的なビジネスモデルである。
だが、その情報の「正しさ」はいったい誰が、どういう形で保証してくれるのか。
また、間違った情報、あるいは意図的に偏った情報を流したメディアは、何故社会的な責任を取ろうとせず何度も同じことを繰り返すのか。
 
本書はこの問いに、鋭く切り込んだルポルタージュでありノンフィクションである。
本書の著者は福島出身のライターで、東日本大震災後も被災地に留まった人物である。
被災地の立場から、いかに大手マスメディアの報道がフクシマを政権批判の素材として政治的に使われ、消費されてきたかを克明に綴っている。
そして今まさに福島第一原発のALPS処理水の海洋放出を巡る報道でも、同じことが繰り返されている。
 
 
マスメディアの社会的役割とは何だろう。
司法・行政・立法という国家権力の三権分立の仕組みは、学校で習うと思う。
実態としてはそれぞれの力関係は対等ではなく、日本においては行政が圧倒的に強い
そして三権の発信する情報は、ほとんどすべてマスメディアを通して国民が知ることになる。第四の権力と言われる所以である。
 
ところが、この大手マスメディアは記者クラブ制度によって、行政側と癒着し情報の談合を行っているのが実情だ。こうした排他的な情報の囲い込みは既得権益となり、業界に不利な情報は報道しない自由を行使する。
自浄作用は働かない。
巨大な情報コングロマリットはグローバルな事業展開を行い、必要なら他国のメディアを使ってまで政治家に圧力をかける。
 
 
ある知財セミナーで行政法の専門家が語っていた経験則が深く心に残っている。
「日本では特定の事件、事故などを報道する新聞記事が100本を超えると、新しい法律ができるようになる」というのだ。
 
新しい法規制は、それを監督する認証団体が必要となり、その団体のトップには法律を管轄する官庁から天下りするのが通例である。そのための予算も割り当てられる。
つまり霞が関のお役人にとっては、たくさんの記事を書いてもらって法規制を強化することが省益となる。政治家にもレクを行い、国会でたくさん質問してもらう。有識者を招いて政策委員会を開き、法案作成に向けて地ならしを始める。

そうした一連の報道は省庁のお墨付きを得たものであり、有料で提供されたものだから「正しい」情報であるはずだし、たくさん報道されているのが重要な証拠である。
一般の人はそう考えがちである。
 
これは真理の錯誤効果(Illusory truth effect)を利用したもので、
①  間違った情報でも、何度も報道されていくうちに本当だと考える効果
②  初めて知った主張よりも、すでに知っている主張を正しいと考える傾向
③  デマを繰り返すことで、その情報の受け手がそれを真理と考えるようになる
というものだ。
 
ナチス・ドイツのプロパガンダを担った宣伝大臣、ヨーゼフ・ゲッペルズの有名な台詞「嘘も100回言えば真実となる」がまさにその通りの効果を表す心理学分野の理論である。
内容の正誤にかかわらず、多くの人の目に触れた情報が無意識のうちに事実であるかのように刷り込みがされてしまう。
つまり、デマ拡散を放置すると「既成事実化されてしまう」のだ。
 
 
問題はこうした錯誤を狙った情報の氾濫が、組織的かつ悪意を持って扇動的に行われたことであり、日本という国を弱体化させようと狙う近隣諸国が仕掛けた情報戦の一面もあるということだ。
古川英治著「破壊戦~新冷戦時代の秘密工作」第四章には、サンクトペテルブルグに存在するIRA(インターネット・リサーチ・エージェンシー)という会社の実態を暴露している。
 
この会社は1日24時間365日休みなくネット上で世論工作を行っている「トロール(荒らし)工場」である。
300-400人の工作員が身分を偽って国内外のメディアのサイトにコメントを投稿。事実とは異なるフェイクニュースを作り上げ、SNSに偽情報やプロパガンダを大量に拡散させている。運営主体はクレムリンである。
同様の組織は中国にもあり、五毛党と呼ばれているのはよく知られている。
 
 
しかしながら、こうしたプロパガンダを押し返し、正しい情報を流通させて誤りを正すのは容易ではない。
ドイツ出身の政治経済学者、アルバート・O・ハーシュマンは、不正・抑圧に対して、それを解消しようとする動きに対して抵抗する「反動のレトリック」という理屈について分析。3つの基本的なテーゼに分類し、その詭弁性を明らかにしている。
①  逆転テーゼ(意図に反した結果がもたらされるとの主張)
②  無益テーゼ(結局何も変わらず無駄だという主張)
③  危険性テーゼ(得られる成果以上に副作用が大きいので、実行するべきでないという主張)

この3つを恣意的に利用すれば、偏っていて不正確な情報を正義に仕立て上げ、たとえ実際には合理的で正確な情報を伝えたとしても、それをはねつけることが可能なのだ。
特にその情報が、実際の生活と係わりが薄い「他人事」と意識している相手ほど有効である。いわゆる「寝た子を起こすな」という言い方だ。
 
 
本書ではこうした意図的に偏った情報の氾濫による風評加害が、長期的な影響を及ぼす事象を「情報災害」と定義し、その対策を強く訴えている。
だが、私に言わせればそれでも表現としては穏当すぎると感じる。
これは明らかに人災であり組織的な犯罪に近いものである。
国益さえ損ない、数百万人オーダーの人生を狂わせてきたのだから、むしろ「情報公害」と呼ぶべきであろう。
 
そう。
かつて半世紀前に有害な化学物質による環境汚染が健康被害をもたらした公害のように、有害な情報の氾濫による社会的な混乱および誤った政策による国益の毀損、企業の国際競争力の低下や相次ぐ倒産などが、マスメディアによって惹き起こされたならこれは「情報公害」というべき社会現象であろう。
 
 
歴史を振り返ってみれば、太平洋戦争もこうした偏った情報によって戦意を煽られ、誘導された世論形成によって起きてしまった可能性が高い。
日米貿易摩擦やその結果としての半導体産業の没落、バブル経済の崩壊とデフレ経済による失われた30年なども、こうした情報公害による国家的な戦略の迷走がもたらしたものと言えないだろうか。
 
殊に知財戦略の失敗は、甚大な国家的被害をもたらす。
企業単体の破綻にとどまらず、産業がまるごと壊滅してしまう結果につながるのだ。
 
日本という国は、国家的な情報戦略というものがほとんどないといっても過言ではない。
これは国家的な機密情報を扱う体制が不備であるだけでなく、マスメディアが諜報活動のような情報公開を強く求めてきたせいでもある。
その結果として、日本は軍事的あるいは戦略的な機密情報の扱いに関しては、米国の統制下にある。
これはスパイ防止法がないため、防諜には外為法を使うしかないという日本の特殊な事情によるものである。日本の司法が弱すぎて話にならないのだ。
 
 
じゃあどうすればいいのか。
このまま国際的な情報戦争に負け続け、他国の軍門に下るしかないというのか。
実現は極めて困難だろうと思われるが、私はデジタル庁などという中途半端な行政庁は潰して、情報省を立ち上げるべきだと私は考えている。
 


もちろん省庁の序列のなかでも上位に置き、危機管理部門情報戦略部門もその中に置く。国益を損なうようなマスメディアやSNSを通じた情報工作世論操作の動きも監視し、必要に応じて行政指導を行って「情報公害」を未然に防ぐ。
このくらい厳しく対処しないと、もう立ち行かなくなってきているのだ。
 
有害な情報氾濫によって、メンタルにダメージを受けた人も決して少なくはない。
繊細で思いやりのある人物ほど、こうした報道によって「共感疲労」を起こしてメンタルヘルスを崩しやすい。
環境ストレスに対しての耐性は、心理学的には「レジリエンス」と呼ばれる能力で示される。これが「共感疲労」によって低下すると、うつ病などの気分障害を発症しやすくなる。
悪化すると社会生活や家庭生活にも支障をきたす。
 
 
天然資源に乏しい日本という国は、人材育成と人権保護が国の発展において必要不可欠な条件である。そしてこの国の歴史や伝統、文化は、言論・表現の自由によって守られ、独自の大衆文化を育んできたのは間違いない。
その一方で行き過ぎた報道の自由は、国民生活を脅かす「情報災害」「情報公害」を生み出し、個人の自由な発言を封殺し国益を損なってきた。
これらを主因とする人的損害、経済的損失は計り知れない。
 
機密情報は扱いによっては危険物となる。
扱いを間違えるとたくさんの人が死ぬ。
それをまったく何の資格もない、対プロパガンダ教育を受けたこともない人物が取材して記事を書く。イデオロギーに狂った人物が、妄想が入り混じった嘘まみれの記事を書き散らす状況を咎めることもしない。
それがこの業界のお寒い状況である。


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