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旅の記録ー熊本県葦北郡 「佐敷城跡」は九州一美しい城跡

こんにちは。ガーデンプランナーのhacoです。私が住んでいるのは鹿児島県ですが、ほぼ熊本県の県境。
車で40分も走れば、熊本県です。
今回は、その熊本県葦北郡芦北町にある「佐敷城跡」へ行ってきました。

佐敷城跡は駐車場に車を停めて、
ゆっくりと歩いて5分ほどで城跡に辿り着けます。


佐敷城跡

佐敷城跡は、昭和54年にその石垣の一部が発見され、平成5年から発掘調査が行われました。平成10年(1998年)に熊本県史跡に登録された城跡なので、昔からの観光地。というわけではなさそうです。

しかし、その城跡へ一歩足を踏み入れると、時が止まったかのようなとても不思議な空間が広がっており、本丸跡から見る城下町の景色は、とても気持ちの良いものです。

山頂(標高88m)の本丸があったとされています。
朝霧に包まれた佐敷城は「天空の城」のようだ。と言われています。

本丸から二の丸へ降る場所から

佐敷城とは

佐敷城は、日本の名城の一つとも言われる熊本城(1607年)を築城した加藤清正が築城した城だと言われています。
加藤清正といえば、築城の名手としても有名ですよね。
そんな名手の建てた「佐敷城」はその当時、とても近代的な造りだった。と言われています。

豊臣秀吉の九州平定に伴い天正16年(1588)に芦北地方を含む肥後半国19万石の領主となった加藤清正が、島津氏に備えるべく薩摩・肥後国境防備のための「境目の城」として築城したものと考えられる。

文化遺産オンライン 佐敷城跡

県境の城ということで、島津軍(薩摩藩)の攻撃を受けますが、その反省を活かし守備を補強して、より強固な城と進化していったそうです。

慶長5年(1600年)の関ヶ原合戦では、佐敷城は西軍・島津忠長(しまづただなが=島津家老中)の軍に囲まれますが、1ヶ月にもわたる籠城戦を守りきり、九州の東軍勝利に貢献

ニッポン旅マガジン 佐敷城跡

石垣を積む技術に圧巻

庭を作る際にも、私は比較的好んで石を用いるのですが、石垣のみが残る城跡を見ていると、その時代の石工の技術の高さに驚かずにはいられません。

ユニック車やユンボなどの重機を用いずに、石を運搬し、モルタルやセメントなどの固定材料がない状態で石の自重だけで何メートルもの高さまで石垣を積んでいくのです。信じられない技術と労力だと思います。

また、様々な地域で、古い時代の石垣を見ると、その地域での石の積み方も随分と違いますし、石の材質や大きさにも特徴を見ることができます。

「鏡積み」という技法も用いられているそうで、同じような石の積み方をされている城に関東七名城の一つ「唐沢城跡(栃木県)」の本丸の一部にも同じ石積みを施されているようですが、その全体の石垣を見ると「佐敷城」とは随分と違った印象に見えます。

佐敷城跡の「鏡積み」の説明板

一国一城令による廃城

江戸時代1615年の一国一城令により、「佐敷城」は廃城を余儀なくされました。その後1638年にも、廃城が不十分ということで再度石垣を壊す作業が行われたそうです。

それから1979年(昭和54年)まで、その時を留めたままに眠っていた石垣がまた復元され、このような形で訪れることのできる場所になったのです。
材質としての石って風化に強いなあ。と改めて思ったのでした。
とにかく、訪れた人たちのSNSの書き込みにも書かれていましたが、九州1美しい城跡だとあります。その通り、とても美しい城跡です。
お近くへお越しの際は、是非立ち寄っていただきたい場所です。


まとめー県境に暮らす

最初に書きましたが、佐敷城のある場所、葦北郡は、熊本県と鹿児島県の県境に位置しますので、ちょうど県境の見張りの役目もあったのでしょう。
このように、県境には様々な史跡が他にも数多く残っているんです。

時々訪れる、他の街に暮らすお友達と、少しづつそれらの場所を訪れることで、その土地独特の歴史や文化に触れ、意見交換するのも私自身もより深く自分達の暮らす街について知ることができ、楽しいものです。

↓熊本県境といえば、天草の旅も新しい発見がありぜひまた一度訪れたい場所になっています。

では、今日も最後まで読んでくださりありがとうございました。



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