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1月17日は防災とボランティアの日ーあの日あの時何を感じたか

こんにちは。ガーデンプランナーのhacoです。
昨日1月17日は「阪神淡路大震災」から28年の日でした。そして1月17日はその震災の起こった日にちなんで「防災とボランティアの日」と制定されています。

今日は、植物の話からちょっと離れて「防災とボランティアの日」について復習をしておこうと思います。。

復興していく美しい街ー神戸

1月17日が近づくにつて、ニュースやSNSでその当時の様子が改めて放送されていました。大人になって改めて見てみると目を覆うような光景、まさに大惨事。
そして、その震災から10年もならない頃に私は大阪で10年ほど過ごし、神戸の街もよく遊びに出かけていたのですが、当時の面影はないくらいにとても美しい街並みが広がっていたのを覚えています。

私のお友達に、まさにその震災を経験された方がいらっしゃいます。
写真家(フォトグラファー)のYaSuSHiさん。
昨日の「阪神淡路大震災1.17の集い」の様子も写真でご紹介されていますし、日々のnoteでは美しい現在の神戸の様子も垣間見ることができます。言葉より写真で、今を感じたい方はぜひYaSuSHiさんのnoteを覗いてみてください。

因みに、見出しの画像はYaSuSHiさんが撮った梅田の街です。

防災とボランティアの日

そういえば、確か「防災の日」という日もあったのではないか?と思って調べたら9月1日が防災の日でした。では、なぜこの日は「防災とボランティアの日」とされているのかというとこのような理由があります。

阪神・淡路大震災では、政府や行政の対応の遅れが批判された一方で、学生を中心としたボランティア活動が活発化し、「日本のボランティア元年」と言われた。

Wikipedia「防災とボランティアの日」

日本各地で災害が起こるたびに、現地でボランティア活動をされている方が活動されているのを目にしますが、このボランティアしてくださる方々の重要性を改めて認識したのがこの震災だったそうです。

ボランティアってそもそも何だろう

この機会に、そもそもボランティアって何なんだろう?と考えてみました。実際に災害の現場以外でも「ボランティア募集」なんて言葉を目にすることがありますよね。身近なところだとオリンピックの時もボランティア募集されていましたもんね。

そこでボランティアについて、厚生労働省から発信されているサイトを見つけました。ボランティアは「(明確な定義は難しいが)自発的な意思に基づき他人や社会に貢献する行為」と書かれています。

ボランティアについて明確な定義を行うことは難しいが、一般的には「自発的な意志に基づき他人や 社会に貢献する行為」を指してボランティア活動と言われており、活動の性格として、「自主性(主体性)」、 「社会性(連帯性)」、「無償性(無給性)」等があげられる。

厚生労働省社会・援護局地域福祉課

当然のことでしょうが、ボランティア活動の性格やそこで求められている活動の内容も含めて、よく理解した上で自らの意思で参加することが大切になりますね。

まとめー私には何ができるのでしょう

震災の記憶

実は私、東日本大震災の時には埼玉県に住んでいました。息子がまだ生後3ヶ月で里帰り出産から帰ってまだ出かける機会も少なく、なんとその前日にベビーカーを購入したばかり。
地震が起きた時は、自宅にいましたが本棚の上からモノが落ちてきて、余震が立て続けに起こり、ただ事ではないと思って息子を連れて外へ避難することに。

しかし、「どれくらいの時間避難するのか?」そうなると「何を持っていったら良いのか!?」とりあえず、息子のオムツと着替えを持ちました。そして、なんと、折り畳んであったベビーカーの開き方がわからない!!!
結局、どうにかこうにかベビーカーが開き。近所の公園へ向かいました。

そして寒空の下思ったんです。「この子だけはどうにか守らなくては。」そして「それにしても、なんて孤独なんだろう。」とも。
友人も親戚もいない街でワンオペで子育てをする不安は薄々感じていましたが、その状況を改めて現実として感じたのです。
その時に「赤ちゃんにミルクを飲ませるならポットのお湯が使えますよ。」と声をかけてくださった女性がいて、それはありがたかったのですが、それよりも何よりも「怖かったね。」と共感してくれる人が身近にいない寂しさを強く感じた事をよく覚えています。

もっと大変な人がたくさんいる。もっと悲しい思いをしている人がいる。それは理解しているけれど、お母さん歴3ヶ月の私に撮っては、子供一人守るためにどうすればいいのか。その事の方が最優先課題だったのです。無力でした。

被災地へ、少しでも。と、学生時代の友人がボランティアへ行くと聞いて、タオルや石鹸をその友人へ送ったのは、それから3ヶ月ほど経ってからでした。

あれから次は13年

大きな災害が起こり、みたこともない悲惨な現場を見るたびに「今私にできることは何なんだろうか。」と考えさせられます。そして、時間が経つと「被災された地域に継続的にできることは何なんだろうか。」とも。

東日本大震災でも、被災地でボランティア活動をされた方がいらっしゃって、実際に現地でボランティア活動をされていた方からのお話を聞く機会がありました。その方、ボランティア活動から2年も、その地に留まっていらっしゃったそうです。

そのお話を聞いても、どのような形で、社会と関わっていけるのか。誰かの役に立てるのか。何を求められているのか。を考えて行きたいし、最善の方法を選択して実行できる自分でありたいな。と常に思います。

それぞれの震災

2016年4月14日16日には熊本県でも大きな地震がありました。「熊本地震」です。その被災地は、今私がお仕事で通っている保育園もあること、それ以外にもご縁があって、地震があった直後から度々訪れる場所です。
そこでもやはり、その当時の地震が起こってからのお話をしてくださる方がいらっしゃいます。

大阪に住んでいた頃は「阪神淡路大震災」の話も、友人や知人から聞く機会がありました。大きな台風や土砂崩れの現場でも、被災された方に出逢います。
その方たちそれぞれのお話を聞いていると、それぞれの震災がそこにはあるのだと感じます。

備えは大切ですが、備えにも限界があります。
もしも身近で災害が起きた時、細やかでも、支え合える私でいたいと思うばかりです。

とても長くなってしまいました。
今日はここまで。今日も最後まで読んでくださりありがとうございました。


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