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何もできなかった2023年に思いを馳せてみる

2023年が今日で終わる。
生産性が全くと言っていいほどなかった一年。
とはいえ、そう言い切ってしまうのも寂しい気持ちになるので、あらためて振り返り記してみようと思う。

タイトルにある「思いを馳せる」の意味としては「遠く離れている人や物事を思いやる」や「遠くの場所や人物に対して心を向ける」といったものがある。この言葉がぴったりなくらいこの一年は体感としてあらゆることがとても遠く感じた。

2月、心身ともに調子を崩してしまい休職に入った。
少しずつ良くなるものだと思いながら過ごしたけれど、そう簡単にはいかず横になっている時間も増えた。
やる気があっても頭と体が重くて取りかかれない。思考は整理できないくらいに散らかっているか、何も考えられないくらい停止している。
体は怠くて朝から晩まで動くのが難しい。活動限界は2時間ほど。
頭が働かないと短歌を詠めないし詩も書けない。大好きな読書もできない。文字が意味を伴って頭に入ってこないから。

休職を決めたときは、時間だけはあるので毎日noteを書きたい、monogataryあたりに掌編小説でも定期的に書いていきたいと思っていたのに、ほとんど何もできなかった。
なのでせめて今年最後の今日くらいは何かを残しておきたいと思ってPCを開いた。
文章を書くことがメインの仕事をしているので、長文を書くときはPCがいい。
おそらく“書くためにはPCを開かなければならない”みたいな観念めいたものがあり、それに対して面倒だと感じてしまったのも文章を書く行為から遠のいた一因かもしれない。

キータッチをはじめさえすれば、自然と言葉は整理されてくる感覚はあるし文章を紡いでいくのが楽しいのだけれど、2023年はこの一連の流れに乗るためのエネルギーが毎日不足していたんだろう。
気持ち次第とか、やる気の問題とか、自分を甘やかしているなどといった度合いの話ではなく、“何をどうしようと無理なものは無理”ということがあるのだと突きつけられた。

それに喜怒哀楽の感情が8割くらいどこかに隠れてしまったので、その影響で言葉に魂のような、念のようなものが乗らない、または意図しない邪なオーラを纏ってしまう気もして、文章が書けなかったのかもしれない。推測の域は出ないけれど。

そんなこんなでただでさえエネルギーがない状態なのに、腕を骨折して通院が増えたり(全治3ヶ月との診断だったのに4ヶ月経った今も完治せず……)、恋人との別れがあったりなど、認識できない何かからの更なるエナジードレインをされた気もする。
では、全てがマイナスなことだらけだったのかとよくよく考えてみると、けしてそんなことはない。

こちらの状態を理解し、返信をせずとも頻繁に連絡をくれたり、外に連れ出してくれる友人たちがいた。無理強いはせず、かといって腫れ物に触る感じではなく普通に接してくれる。当たり前のようにそうしてくれる友人たちの存在はとても大きくありがたい。
今までもずっと遊んできたから特に何も感じていなかったけれど、自分に対しての無価値感に支配された状態が長く続き、(なんで俺を心配してくれたり会おうとしてくれるんだろう?)と漠然と考えてしまったりしたので、その反動なのか友人たちへの感謝の気持ちが芽生え、日を追うごとに強くなった。元気になったらこちらからもコミュニケーションを取ろう。

行動の変化でいえば、頭が働かず本を読めなくなった分、映像や音の作品にたくさん触れた一年だった。
数年ぶりにテレビドラマを見たり、そのクールで放送しているアニメや様々なアーティストのMVを片っ端から見ていったり。一日の大半を仕事して時間ができたら本を読んで過ごし、友人とも出かけたりという日常の中で優先度が低くなっていたことにたくさん時間をかけられた(今までもアニメはそれなりに見ていたけれど)。

ドラマもアニメも音楽も、起から結までの全体の大きな流れをどう構成していくか、どこでどういう切り方で引きを作って次に繋げるか、クライマックスへの入り方と収束の仕方にどのような演出の足し算引き算をするのか、余韻をどの程度必要とし、受け手の頭と心に残したい何かのために取る戦術や仕掛けはいかなるものか。それらは作品の数だけある。
働かない頭でぼーっと眺めているだけでも直感的に引っ掛かり、思考が拡がったり心が動くなどの反応をすることが多々あるんだと、自己観察をしながら気づいた。普段は見落としたり気にも留めなかったりするので、こういう小さな気づきはけっこう嬉しかったりする。

あともう一つ、この一年を通して大きな気づきがあった。
それは自分はニートに向いていないということ。仕事をしているときは、ニートになって人生ずっと夏やすみ!やっほーい!てな感じで過ごしたい。毎日好きな時間に寝て起きて、ぼーっとしていたいと思っていたけれど、いざそれに近い状態で過ごしてみるとかなりしんどいことがわかった。
ADHDの影響もあると思うが、多動傾向でじっとしていられず何かしていないと落ちつかないという気質を持ち合わせ、でも何かするエネルギーがないという不可抗力的に矛盾した状況に置かれ意図しないニート体験ができたわけだが、1ヶ月もせずに飽きた。

ニートにも向き不向きってあるんだなと痛感し、早く元気になって何かしたいと強く思っている。

書きたいことはまだまだあるけれど、新しい年に向けて少しエネルギーを残しておきたいのでこのへんで。
とりあえずざっくりだけど振り返りもできたし、この一年がマイナスで塗り固められただけじゃなかったことにも気づけたし、note書いてよかった。

ここまで読んでくれた人がいるとは思えないけれど、、読んでくれた奇特な人には銀河の光を凝縮したような眩いばかりの幸あれ。

良いお年をお迎えください。

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