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夢って不思議なんだけど


夢と現実の境目がわからなくなるときがある。

夢が現実のようで
現実が夢のようで

起きていても夢を見ている?みたいなこともあるし、
夢の中でパラレルワールドの世界を旅することもあるし、
夢から夢へ移動することもある。

同じ夢を何度も見ることもあるし、
過去に見た夢に行くこともできるし、
同じ世界の違うストーリーを見ることもできる。


現実も本当はバーチャルリアリティ?



子どもの頃の記憶。

生まれる前はお空にいて、神様みたいな人がわたしに紙芝居を見せてくれていた。

それはわたしの人生のストーリーだった。


内容までは覚えていないけど、女の子がものすごく怒っている顔と、別の女の子の名前だけなぜか覚えていて、

そのとき見た怒っている顔と同じ顔に出逢ったし、別の女の子の名前と同じ名前の女の子にも出逢った。


あれも夢だったのか現実だったのか。

『胎内記憶』とかではないと思ってるけど。


だから時々、どっちが本当の世界なのかが、わからなくなってた。


今存在している(と思っている)この世界が、本当は空の上から見ている想像の世界なんじゃないか。


それを感じると、いつも怖くなってた。


今ここの世界にいるのが、現実のわたしじゃないなら、今感じてるこの感情とかは何なんだろう。

ニセモノ?夢?


怖かったんだけど、誰にも言えなくて、

そして時々、怖いのに、そのお空に還りたくなって、よくひとりで泣いてた。



誰からも理解してもらえないだろうと思ってたし、わたしが変なのかもしれないと子どもながらに思っていたけれど。


大人になってからは、そういう感覚も時々しか出てこないから、あのときの感覚が本当かどうかもあいまいになってるんだけど。


4年くらい前に、『認知科学』という学問を知って、『情報空間』『物理空間』があるということを知って、
子どもの頃からのこの感覚は、そういうことだったんだって安心した。


だから、認知科学をベースにした気功を学びはじめた。


だけど、わたしと同じような、子どもの頃からのこういう感覚を理解してくれて共有できる人は、本当にごくわずかで、

話してもスルーされるだけだから、話さない。


冒頭で書いたような夢の話も、わたしは理解されないと思っていたし、
もしかしたら夢ってみんな、そういうものなのかもしれないと思っていたから、

時々似たような夢の話を自慢気に話す人を見ると、ちょっと冷めた目で見てしまう自分がいる。

薄っぺらく感じてしまう。


いや、もしかしたら、その人なりの何かがあったのかもしれない。

と、思うようにしてみても、そうは思えず、
どちらかというと、
「この人は何から目を背けているんだろう」
という印象。


わたしにとって、そういう夢を見ていたかどうかは、すごいことでもなんでもなくて。

ずっと当たり前だったし、苦しかったから。

みんなそうなのかな。
わたしだけなのかな。

誰にも言えなかった。聞けなかった。


でも、それを顔や言葉に出したら、嫌な人になるから出さないけれど。


だけど、そうやって自慢気に話すと、「すごーい!!」ってなるのはなんでだろう。


「すごーい!!」ってなるなら、わたしも自慢気に話せばよかったのかな。


いや、やっぱりそんなのはどうでもいいや。



ほんの少しだけ、羨ましくはあるけれど。

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