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【エッセイ】 思い出も、泡と共に飲み干して。

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 「美味いビールは泡でわかるんだよ。でも、それ以上にお酒っていうのは・・・」

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 お酒が飲める歳になった今、毎晩のように晩酌をする父親が口癖のように言っていた言葉の意味が分かった気がした。
僕はきっと、真面目な部類の人間だった。タバコもお酒も20歳になってから始めた。今思えば、周りに合わせる勇気がこれっぽっちも無かっただけだと思う。

 当時、就職していた不動産では、企業戦士としていつも最前線で人と関わらなければならない毎日にうんざりしていた。
それこそ働き始めは雰囲気の良い職場であったのは間違いない。優しい先輩に、しっかりと与えられる休憩時間。だがそれも初めの頃だけだった。

仕事とは関係のない悩みを長々と聞かされ、そこで知る人の嫌な部分、止まらない誰かの悪口、矛先がどこを向いているのか分からない怒り、合わない人と行動を共にする苦痛の時間、そして次第に無くなる一休みの時間。
負の連鎖の中、仕事に対する喜びは、着々と僕の中に存在しなくなっていった。

『きっと、ツラいと思っているのは僕だけではない』

こんな馬鹿な考えのせいで「辞める」という選択肢は毛頭なく、

『今頑張れば、いつか結果が実る』

そんな精神論を自ら叩き込み、愛想良く振る舞い、その日その日を乗り切っていくだけの繰り返しだった。

・・・

 忘年会シーズンになり、勤めていた会社も例に漏れることなく忘年会をやる事になった。
社長やチーフマネージャー、他店舗の人と顔を合わせる事が殆どないので『顔を覚えてもらうだけでも・・・』と、あちこちの席に自己紹介をしに回った。
だが、どこもグループが出来ていて「あーはいはいよろしくね」と素気のない返事だけ返された。

「ダメだ、顔なんて覚えてもらえねーよ」

同期たちが座る席に、ドカッと勢い良く腰を落とし、悪態をついた。

「お前でダメなら、俺らもダメだろうな」

大人しく隅っこの方で、同期だけで乾杯をした。
金色が美しく、上に登っていく炭酸が喉の渇きをより加速させたあの白い綿飴のような泡が乗っていたビールは、挨拶回りをしている間に、元の姿とは違うものになっていて悲しくなった。一口だけ飲んだ後は、汗をかいたジョッキをただ見つめることしかできず、"お酒がこんなにも美味しくない"もので、"お酒の席がこんなにも楽しくない"ものと感じられたのは、この日が最初で最後だろう。

・・・

 年末年始の長期休暇。しっかりとした休みが取れるのはいつぶりだろうか。
決して会えない距離にいた訳でもないのに、学生の時みたい気軽に会えなくなってしまった大の仲良し3人組で、数年ぶりに飲みに行くことになった。
空が薄暗くなりかけた頃、僕らは駅で再会を果たし、予約していたお店へと足を運ばせる。

「仕事どうよ?」
「あー・・・完全に社会人なめてたわ」
「ほんとそれ。学生様様だったって感じだよね」

同じ学校に通い、何かあれば笑い飛ばし会える最高の中。きっと同じ会社でも行くんだろうなと思っていたあの時代が懐かしく思えた。
お店に入り、通された席に着く。

「みんな何飲む?」
「やっぱり初めはビール一択っしょ」
「俺、カルーアミルクにしようかな・・・」
「はぁ!?!?」

そういえば甘いものばかり飲む奴だったと思い出したが、にしたって最初に選ぶか?と、少し呆れた。(何飲んでも良いんだけどね。)

「冗談だよ。俺もビール」

こんなちょっとした場面ですらゲラゲラと笑ってしまうほど、こいつらといるのは楽しいと思った。
程なくして「お待たせしました」と持ってこられたビールは、ステンレス製の入れ物に入れられて美しい金色が見えず、さらに泡がへたっているという有るまじき状態だった。

「店のチョイス失敗したかもなー」

僕は笑いながら言った。友人2人も微妙な笑顔を浮かべながら頷いていた。

「とりあえず、乾杯しよう」

3人でタンブラーを軽くぶつけ合う。再会に乾杯。お疲れ様2人とも。喉に落とすビールは、ピリピリと心地の良い刺激を与えてくれて、一気に飲み干した。

「んまいっ!!!」

心の底から本当にそう思って、咄嗟に口から出てしまった。正直なところ、泡はお粗末なものだったし、あまり冷えてはおらずむしろ温いくらいだったのだが、僕にはこれ以上とない最高の味だった。

・・・

 唐突に父親の口癖を思い出した。

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『美味いビールは泡でわかるんだよ。でもそれ以上にお酒っていうのは、大好きな仲間と飲むから美味しいんだよ

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味が美味しい。雰囲気が楽しい。お酒とは、そんな単純なものではないと分かった気がした。
作り上げてきた仲間たちとの思い出を、一滴足りとも零さず一緒に飲み干すから美味しい。父親はそのことをずっと言っていたのだと知った。

 毎朝7時半には会社へ入り、帰りはいつも終電。次の日が休みと分かれば泊まり込みでの仕事を与えられ、何のために仕事をしているのか、そもそも何で働くのか、今苦しいのか楽しいのか、そんな判断も付かないほどドップリと会社に浸かる日々。

何もかも言われた通りにやるのが当たり前で、客入りが少なければ店の前に立たされて呼び込みの仕事。道行く人に「部屋借りたくないですか?」って、今考えてみれば絶対におかしい話なのだろうが、それが当たり前になった生活に、何の疑問も持たず、ただ機械のように命令されたことをこなす操り人形になっていた。


 でも、友人と1杯目のビールを酌み交わした瞬間、僕の中で何かが弾けた。

「よし、決めた。仕事辞める」
「えーっと、まだ飲み始めて5分で衝撃の決意表明が出ましたー。はい拍手」

 友人2人に茶化されたが、笑いながら「本気だから!」と言った。そしてその次の月に、本当に仕事を辞めた。
今こうして、僕がより良い場所に辿り着いたのは、父親の口癖と、友人と作り上げてきた思い出と、あの時に飲んだ一杯のビールがあってこそだ。

 そしてまた1年近く、3人で集まって飲む事をしていない。だが年明けに、久しぶりに会ってキャンプの約束をしている。きっとそこでお酒を飲むことになるだろう。今の世の中、新型肺炎で騒がれているこの時期、いつもより徹底された対策の元、僕らは大自然の中で、疲れ切った1年から解き放たれる。

 僕にとっての#ここで飲むしあわせの、"ここで"とは、友人といる空間ならどこでも当てはまるだろう。友人たちと飲むお酒は幸せを感じざるを得ない。

会って、笑って、ジョッキを持てばその都度更新されていく幸せがそこにはある。


おしまいっ


我が家のにゃんこへ献上いたします。