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「市場」 けっち

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Photo by Cody Chan on Unsplash

エミール・ゾラに「パリの胃袋」という小説があります。冒頭からゾラの小説……なんて持ち出すと、「フーン」と白い目でみられそうですがそれは食わずぎらいならぬ「読まずぎらい」というもの。

罪もないのに政治犯として島流しにあい、脱獄して骨と皮になった主人公が逃げ込んだのが帝都パリの「大・中央市場」の肉屋をやっている弟の家。太ってることが「権力の証」としてイケメンよりもモテた19世紀のパリにおける「食物の大貯蔵庫」である市場を中心に、最初は優しかった市場の住民たちが主人公が脱獄者だと知って冷たくなるのですが……と話はつづきます。

その小説にでてくる活気溢れる「中央市場」の描写はものすごいものがあって、その描写が僕に迫ってかんじられたのは日本の「市場」を知っていたからかもしれません。19世紀のパリ市場も凄まじいですが、日本の魚市場、とくに年末の魚市場の活気はすごいですよね。

魚市場といえば兵庫県明石市にある「魚の棚」。子どもだった当時は「うおんたな、うおんたな」といってました。その「うおんたな」へ年末に家族で行くと、父はよく「おっちゃん!この鯛、舟盛りにしてや!」と大声でたのんでいたものでした。女性服のセール会場なみに混んでいる魚市場で迷惑にちがいなかったのですが、父親が大声だしてたのむと、その大声に「あいよ!」とわりと気軽に応じてくれて、あっという間に奥の調理場で「鯛の姿造り」をつくってくれて、しかもかなり割り安だった(それは大人になって知った)ので毎年のようにその店で鯛の姿造りを買って、それで歳をこす、というのが我が家の年末でした。

僕は父親のように「おっちゃん! たのむわ!」と大声で言えません。なので、市場で鯛の姿造りをかって年末をすごすというのは、今ではノスタルジーです。レジでお金を払えばなんでも買える、というのとちがって「顔と顔のぶつかりあい」で交渉するところが市場にはありますよね。そんな迫力があちこちでぶつかりあうエネルギーの磁場にいるだけで元気になる。おっちゃん!とはやっぱり言えませんけれども。今日もありがとうございます。

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