147. 小規模な企業が生き残るには、局地戦に勝て。〜永谷嘉男〜
みなさんこんにちは。
今回は、永谷園の創業者であり名誉会長でもある永谷嘉男さんの格言について紹介します。
永谷嘉男とは
1923年、東京で「青製煎茶製法」を開発した農家である永谷家に生まれました。
お茶漬けといえばの「お茶漬け海苔」のルーツは、江戸時代中期に京都の宇治で製茶屋を営んでいた永谷宗七郎に行き着きます。
この宗七郎さん、当時は赤黒く香りも味も薄かった煎じ茶に代わり、
薄緑色をした芳しい煎茶を開発して流行らせた人でした。
時を経て1895年、永谷家の分家が京都から東京に進出、
昭和初期から中期を担った9代目当主の永谷武蔵は随一のアイデアマンで、
昆布茶やアイス緑茶などを開発しました。
その中に、細かく切った海苔に抹茶や食塩などを加え、お湯を溶いて飲む「海苔茶」がありました。
しかし、太平洋戦争の敗戦により、永谷園も一時的に看板を下ろします。
そして、永谷園復興を担ったのが10代目当主の永谷嘉男でした。
永谷園の復興をするために、様々な商売を経験し、
いつかお茶ではなく新しい商品での復興を考えていました。
実際、醤油に代わる調味料を開発するなど、
父親譲りのアイデアマンでしたが、看板を掲げられるほどの商品は中々生まれませんでした。
仕事終わりに居酒屋で飲みながら「どうしたらいいのか」と悩む日々が続きました。
ある日、居酒屋で酒を飲んでいる時、いつものように締めのお茶漬けを頼みました。
「美味しいなあ。こんなお茶漬けを家でも食べられたらいいのに。」
そう思った時、父の作った海苔茶が蘇りました。
「そうだ。何もお茶から離れる必要はない。海苔茶をご飯にかけたら、美味しいお茶漬けができるんじゃないか。」
という発想から、即席茶漬けの開発が始まりました。
原料は塩、砂糖、抹茶、昆布粉、刻み海苔、調味料、
これらの配合を研究していましたが、何かが足りないとも思っていました。
その解決のヒントは京都にありました。
京都にはカリカリとした小粒あられが散りばめられた「ぶぶ茶漬け」や、
おかきを入れた「かきもち茶漬け」を食べる習慣があり、
「あられを入れたら香ばしい風味もプラスできる」
と考え、早速海苔茶漬けに取り入れました。
このアイデアで、あられに吸収性があったため、海苔が湿気るという問題も解決しました。
1952年、お茶漬け海苔の原型ができ、
紙製の小袋を二重にし、底に石灰を敷いた瓶に100袋ずつ詰めて販売しました。
手作業だったため価格は1袋10円で公務員の給料が6000円だったため、かなりの高額商品でした。
開発の翌年、永谷園本舗を設立、復興の責任を無事に果たしました。
しかし、お茶漬け海苔を売るのは簡単ではなく、
即席商品自体が珍しかったこともあり苦戦しましたが、
嘉男自身が試食販売をし、食べ方と美味しさをアピールしました。
日本人には恥み深いお茶漬けであり、家庭で簡単に食べられることが分かり、
地道なセールスはすぐに効果が出て、生産量は上がり、次々に工場を対上げました。
実はヒットした理由はパッケージにもあると言い、
黒、濃い緑、柿色の帯と赤のラインの鮮やかな柄は一度見たら忘れられないインパクトがありました。
当時は食品に鮮やかな色は使わず、
柄も歌舞伎好きな両親のために、定式幕からデザインしたそうです。
小規模な企業が生き残るには、局地戦に勝て。
元は製茶屋だったところから、戦後景気が悪くなり永谷園は一時的に看板を下ろすことになります。
そして、看板復興を掲げた嘉男により再建が始まりましたが、
当初は醤油代わりになる商品を開発したり、
アイデアはあるのですが、鳴かず飛ばずでした。
そして、迷っていた時に出会った飲み屋でのお茶漬け。
このお茶漬けが家でも食べられたらいいのに、
この考えから全てが始まりました。
そして、父が作ってくれた海苔茶を思い出し、
やはり原点はここにあると気づきます。
それは、お茶屋だったことの強みを活かし、
家でも即席でお茶漬けを食べられたら喜ぶ人がたくさんいるということに目をつけ、
改めてお茶に戻ったことです。
自身の、永谷園の強みを見直し、美味しいお茶を使えること、
色んな企業がひしめき合っている醤油や一般的なものではなく、
特化した部分で戦うと決め、お茶に戻ったことから永谷園も持ち直します。
お茶という得意分野を活かしつつ、
即席のお茶漬けという他にない局地戦に挑んだからこそ、
活路が見出せたのだと思います。
最後に
今回は、永谷園の創業者であり名誉会長でもある永谷嘉男さんの格言について紹介してきました。
事業が小さいうちは特に、自分の得意分野で闘い、
かつ広い分野で取り扱われているものではなく、
一般的でも取り扱っている分野が狭いなど、
あまり開拓されていない分野で掘り下げていくのがいいと思います。
即席お茶漬けもそうですが、
最初は誰にも理解されないものでも、
今後良くなるという確信があれば必ず花開くと思います。
その成功のために続けていくことが大事だなと思いました。
今はあまり開かれていない分野でも、
イマに会う売り出す、提供する方法があると思いますので、
自分も今後どのように価値を提供していくかを考えていこうと思います。
それではまたどこかで。
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