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われわれには2つの自然がある

昔は北海道の田舎街に住んでいたのだが、今から4年前に札幌に引っ越してきて、すっかり大自然と離れてしまった。身近な小さな自然はたくさん探せばあるけれど、田舎にいた頃のように、天然記念物の野鳥や渡り鳥を観察したり、海辺をひたすら歩きビーチコーミング(海岸などに打ち上げられた漂着物を収集の対象にしたり観察したりする行為)をしたり、海岸に打ちあがったイルカの遺体を発見し食べたり、有害駆除されたヒグマを解体して食べたり(上記の写真)、ハンターさんに同行させてもらって、エゾシカの狩猟を体験して、遺体を解体して食べたりする機会がぐっと減った。

札幌なのでジビエの専門店くらい沢山あるだろうが、そういう店で食べるのと、自分で自然の中で遺体を解体し焼いて食べるのとは全く違う。

こうした動物遺体との関わりは特殊と思われがちだが、私の中の自然や生き物は「生」だけでなく「死」も同等に含まれている。解体したときの生臭い血の臭い、独特の獣臭、死んで間もない遺体の温もり・・。
私の中で大自然を味うとは、そうした生臭い「死」も含まれる。

苦手な人がいることは承知しているのだが、自然を知るには「死」も堪能してほしいというのが個人的な考えだ(押し付けはしないが)。
動物写真家の故・星野道夫氏が「身近な自然・遠い自然」と題し、われわれには2つの自然があると著書の中で述べているが、日本にいて平凡な日常の生活を送りながらも、異国の遠い雄大な自然が今、自分と同じ時間に存在していることを感じる取ることができるかどうか。それが、どれほど心が豊かなことであるかを最近、意識するようになった。

日本で都会に暮らしていても、平凡な日常の中でも大自然は感じられるものだと、札幌にきてしばらく忘れていた感覚をふと思い出した。都会に暮らしていても、「われわれには2つの自然がある」ということを常に意識して生活していきたい。
※以下は、海岸に打ちあがったネズミイルカ。発見時、すでに死亡しており、研究用に北海道大学・水産学部に遺体の一部を サンプル提供し、残った肉は新鮮だったので私が食用にしたときの写真。

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