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どう育てたいか

最近長男(6歳)の発達に関して、私の悩みだったり心の中をここに記してきた。
その時々で、どこに進むべきか?どこなら私たちは救われるのか?が常に心を占領していたのだが、「私がどう育てたいか」が抜け落ちていた気がする。
というか、そもそもその考え方はなかったのかも・・・?


完璧主義だから私は今、幸せになれていたのだ


昨日は、地域の公民館で行われるロビーコンサート。
そこでお手伝いをしているのだが、長男が4歳だったころ(2年前)に育児相談をしたことがあった区の発達支援相談員の方に偶然お会いした。

帰り際に、「子供の発達のご相談したいんですけど、予約って取れますか?」と声をかけたら、すぐにつながる電話番号を渡してくださり、その日のうちに話を聞いていもらうことが可能に。

その方は、以前私(声楽)のコンサートにも足を運んでくださったらしく「あの時相談してくれたお母さんだよね・・・?自分のことができるようになってよかったね!」と私の社会復帰を喜んでくださった。
確かに2年前は次男もまだ1歳で、家で長男の癇癪と孤独と戦っていた時代。

そこを伸ばす?


話をしていくうちに、完璧主義は遺伝するのかどうか…みたいな話になって…
「確かに、同じような経験をされた親御さんどちらかは、そういう傾向にあることが多いよね」とおっしゃっていた。

私はその瞬間、やっぱり私の完璧主義のせいか…なんて心の中で思ったのだが、それを察してか

「お母さんさ、人前で歌を歌うって普通のことじゃないよ!でも、完璧主義だったから、何十時間、何百時間をかけて練習して、継続して、今こんなに輝いてるんじゃないの?」
「お母さん、こんなに輝いていて幸せじゃないの?」なんて言われて…


「それにさ、お父さん(合唱指揮者)は完璧主義じゃないっていうけど、プロの音楽家やってて完璧主義じゃない人がいるわけないよ!」

そうか!夫も完璧主義者だったのか!!!

ネアカに隠れていて見えてこなかったのか、私生活のだらしなさですっかり忘れていたのか…(こんなところで悪口はいかん)

つまり!今の私たちがいるのは、完璧主義があったからなんだよね。
そして、それって普通じゃないんだね?
凄いことだったんだ!!!

音大時代から、音楽をやる人間が周りにあふれていて、その中で歌だけで食べていけない自分はむしろ落ちこぼれのように感じていたんだけど、、、

続けていたから今も歌っているし、コンスタントに演奏してないわりに、完璧主義があるから、本番に合わせて努力できる。。。

「二人の遺伝子を受け継いで完璧主義の素質があるなら、そこを伸ばせばいいじゃない」

突き抜けろ


今までの私の思考には、どう育てたいか が抜けていた。


長男君、あなたは私たちのように、きっといろんなことに挑戦して、好きなことは突き抜けて努力できる、、、そんな人間になるでしょう。

そして、そのために必要なサポートを、ママも精一杯しよう

私たちが教えられることは、挑戦することと、諦めない気持ちだったんだね
いろいろ悩んだけど、今はここに落ち着いている



私たちのいいところ、伝えていくからね!



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