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Live | saki

朝、目覚めるとカーテンを開けて陽を浴びる。
ベランダに出ると、ハーブをはじめとした植物たちが育っている。朝一番に伺いみる姿はまるで、子どもたちが「おはよう!」と迎えてくれる笑顔のように明るく、エネルギッシュに弾けている。
様子を眺めながら"乾いている"と感じた植物に、水を注ぐ。朝のコップ一杯の水が身体の隅々まで沁み渡るように、土や植物に触れていると、むく、むく、むくむく…と、元気や活力が足元から全身に漲り湧いてくる。

台所に向かい白湯を沸かす。その間に、床拭き掃除をする。数日、掃除をしないでいると床や花瓶に薄ら塵が積もっている。わたしはサボって怠けても、(それさえも生きてる証だな。)と感じる。
塵を祓うと靄がかかっていたのが、身も心も明澄になり、微睡みから、ゆっくり、ゆっくり覚めていく。

湯が沸いたら「朝のひとりお茶会」を開く。
これは、わたしが、わたしのために、ハーブティ、煎茶、中国茶等、その日、その時にぴったりなお茶を煎れる。わたしにとって朝の一大メインイベントだ。
季節、気温、湿度、心身の体調・状態によって、お茶の味わいや印象が変化する。また、煎を重ねる毎に、甘み、酸味、渋みの風味が流転する。
日々、色んな時があるけれど、今の自分のコンディションをお茶を通して感じられる、ひとときでもある。
きづけば川の下流から上流へと歩みを進めていて、水や空気が澄み渡るのを呼吸や毛穴からも感じ、森の静謐に身も心も委ねて、すーっと、芯に風が抜ける体感がある。

なにげない朝の習慣@自宅。
単調な繰り返しのようでいて、木の葉と葉が擦れ風の音が生まれるように、一瞬として同じは無い。むしろ重ねていく毎に、型、流れ、儀式のようにも思えてくる。
その日常を言の葉に乗せると、身体や心の動きにリズムや流れ、音が生まれる。

人には人の数だけ、それぞれの暮らしがあり、それぞれの月日が流れている。
「暮らし」は、様々なジャンルの音楽を奏でる演者になったり、観客になって歓声を上げ踊り、揉みくちゃになる音楽フェスやLIVEのように。
日々、一瞬一瞬、「自分という存在」を全感覚、全身、全体で確かめ、味わっているものなのかもしれない。
どんな日々も、どんな人も、どんな暮らしも、慕わしく愛おしく感じてくる。

目を留めてくださり、ありがとうございます。 いただいたお気持ちから、自分たちを顧みることができ、とても励みになります! また、皆さまに還元できますよう日々に向き合ってまいります。