HAKKOU/リレーエッセイ

暮らしに関するエッセイを世代も住むところも異なる5人がリレー形式で1日おきに更新します…

HAKKOU/リレーエッセイ

暮らしに関するエッセイを世代も住むところも異なる5人がリレー形式で1日おきに更新します。HAKKOU(はっこう)は発光・発酵・発行にかけたプロジェクト名。

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HAKKOU 5人のプロフィール

noteに来てくださり、ありがとうございます。 HAKKOUは5人のメンバーが1日おきに更新する、 リレーエッセイです。 (各エッセイのタイトル末尾に著者名を入れています) メンバー5人のプロフィールは以下です。 ◾️Kii(きぃ) 大阪府在住。珈琲焙煎業と施設職員。山羊座。 雑木林と海を眺められる家に家族と暮らす。 親戚と食器は多いが、口数と運動量は少ない。 ◾️莉琴(りこと) 東京都在住。美食・美容が好きな牡牛座。 趣味は文章を書くこと、本を読むこと、 あまり歩か

    • 旧知の友のように | Kii

      以前、長年変わらないインテリアの嗜好について書いたけれど、衣服の好みもほとんど変わりがない。 体つきの変化で選べる範囲は狭まりつつも、選びたい素材や色合いは同じままだ。ワードローブはリネン、コットン、ウールで占められている。 現役で着ている服は学生時代からのものもあって、おそらく一番の古株はZuccaのコットンニット。ごくシンプルながら、首の詰まり具合や袖口のリブの長さが絶妙で、これを上回るものに未だ出会えず、手入れをしながら大切に着続けている。 確か1万円くらいして、

      • 吹く風に服が膨らむ心地よさ|ひかり

        両親が服好きで、実家の暮らしの中で着るものは、重要な立ち回りにあった。 両親と言っても、とくに父が無類の服好きで、ちょっと面倒なほどこだわり屋だ。 私たち姉弟が使っていた実家の子供部屋は、今では新しい洋服ダンスが置かれ、半分は両親の洋服部屋になった。 子供の頃などは、友達と遊ぶのに、サテン生地のパーティーみたいな服を着せられ、場と私の気持ちとのミスマッチ具合が恥ずかしくて、せっかくの一日が台無しになり、子供ながらに、ほどほどにしてくれと思ったことがある。 しかし、そんな中で

        • 長女の鎧、しっかり者 | 莉琴

          わたしには2歳年下の妹がいる。 似ていないところが多く、「しっかり者の姉」と「マイペースな妹」という周囲からの見られ方が幼稚園の頃には出来上がっていた。 最も古い記憶はわたしが5歳、妹が3歳だった夏の夜のことだ。 公園で盆踊り大会が開催されていて、両親は係の仕事で離れたところにいた。 すると突然、見知らぬ大人の男が妹を抱き抱えて連れ去ろうとした。何が起こったのかわからないまま抱えられ離れていく妹を見て、わたしは大声で泣き叫んだ。 只事ではない様子に周囲の大人たちが気付くと、

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        HAKKOU 5人のプロフィール

          日々に育まれる | saki

          親の仕事の関係で引っ越しが多かったのもあり、家で動物を家族のように迎えるという経験はなかった。 近所に住む友人から「家の犬が赤ちゃんを産んだから見に来ない?」と動物に馴染みはそれほどないけれど、誘われるがまま行ってみることにした。 子犬は手のひらに乗るほど小さく母親から離れて寒いのか心細いのか、小刻みにプルプル震えている。一方でわたしの手は子犬の体温がつたって、あたたかい。 この地上に生まれたばかり。わたしの手がそばにあると目を瞑ったまま鼻をクンクンさせて指に辿り着き、おっ

          日々に育まれる | saki

          ダレカと暮らす|茉記

          わたしは動物と暮らしたことがない。 姉が小児ぜんそくだったことや父の転勤で引っ越しも多かったため、動物との暮らしは家族の話題に上がったこともなかった。 両親は実家で犬と暮らしていたから、ひとりで暮らすようになった母に提案してみたけれど、一緒に暮らしてきた犬たちのぬくもりが忘れられず、お別れが辛いからと迎えたがらなかった。 特別動物好きだった姪のために、姉家族が垂れた耳がなんともかわいいロップイヤーといううさぎを迎えたと聞いた時は、母もわたしも驚いた。 時折発作を起こすことが

          ダレカと暮らす|茉記

          フラットな関係と根っこ | Kii

          母は日常的に私を名前ではなく「お姉ちゃん」と呼ぶことが多かった。そして3つ年の離れた妹のことは、単に「妹」という呼称がないだけで、他意などなかったのかもしれないけれど、名前で呼んでいた。 小さい時からそう呼ばれ続けて、まったくなんの疑問を持たずに育ったので「私はお姉ちゃんだ」と一層強く姉然としていたし、それがどこか誇らしかったのかもしれない。 「姉」という立場が強く刷り込まれての振る舞いからか、母から何かと頼りにされることが多く、そんな日々を重ねた結果、私はすっかり人に甘

          フラットな関係と根っこ | Kii

          巡る対話|ひかり

          子供の頃からそうだったと思うが、相談をするということをあまりしてこなかった。 それは意識的にでもあるし、無意識でもある。 私が進むべき道を選ぶ選択は、やっぱり自分以外の者が決めることではないと思っているし、反面、早くこの話を聞いていたらよかったと人と話して思ったりすることもある。 相談をするということの塩梅がアンバランスなのだ。 すなわち、対話不足なのだと思う。 「対話不足」その理由を考えてみると、両親との関係性が影響していることの一つなのではないかなと思う。 実家では、家

          巡る対話|ひかり

          人は仕合わせと呼びます | 莉琴

          ずっと行ってみたいカフェがあった。 知ったきっかけはインスタグラムだったと思う。カフェからの景色が毎日投稿され、深呼吸したくなるようなその絶景を見る度に、行ってみたいなあと思いを馳せていた。 けれど、徒歩や電車で行ける距離ではない。 飛行機で1時間30分、さらに空港から車で1時間以上かかり、旅行必至の場所だった。 でも毎日目にしてしまうものだから、どうしたって思いは募る。家族に一度尋ねてみたが、皆で楽しむなら別の場所への旅行がいいのでは?と返されて諦めた。 だが、何事も

          人は仕合わせと呼びます | 莉琴

          瑞々しき会合 | Kii

          東京へ行く時は決まって早朝便に乗るので、始発電車で空港へ向かう。前日は家を空ける間の家族の生活と私の旅、双方に不足がないよう様々に想定して備えなくてはならない。 今年は息子が中学に入り予定が多角的になったので、より細かな段取りを本人や夫に委ねることになるけれど、タスクを自覚する良いきっかけになることを期待している。 諸々の準備を終えて眠りにつく頃には夜も更け切り、胸の高まりも相まって結局ほとんど眠れない。なので旅は、寝不足ではじまるのも前提だ。 当日、とは言え前日からほ

          瑞々しき会合 | Kii

          実りある何もしない時間|ひかり

          一年ほど前からからだのメンテナンスとして、はりきゅう院に通っている。 腰を痛めた時に扉をノックしたことがきっかけで通い始めたのだけれど、現在は腰の痛みはほとんど感じないほどに回復し、さらに元々備わっているからだの機能が全身で巡りだしているのを感じられるようになった。 そんなはりきゅう院の先生との出会いは、運命の出会いと言ってよいほどに大きな影響をいただいている。 先生の手がからだに触れると、ふかふかの優しさに包まれ、私を大切にすることに、ひたひたに浸れる、最高のご自愛の時

          実りある何もしない時間|ひかり

          開かれた扉 | saki

          朝になるとカーテン越しからおひさまの光が差し込む。日差しが柔らかく、涼やかな風が身体をそっと撫ぜる。「もう少し…」「あともうちょっと…」と、夢と日常の微睡みをついつい行き来してしまう。 朝のお茶時間も夏は滴る汗を拭いながら頂いていたが、今は部屋にいても湿気が少なくサラッとして、あたたかい白湯やお茶が喉元を通りお腹がじんわりと温まるのを感じる。 ちなみに冬になれば太陽の位置や日差しの傾きが変わり、自分の部屋に陽だまりができて猫のように、まあるくなってすごしている。 散歩すれ

          秋の輪郭|茉記

          「いちばん好きな季節はいつですか?」 このところ、この話題が出ることが多かった。 「秋」と答えたみなさんお待ちかね、秋の到来だ。 この数日の間に、秋はしっかりとやってきた。 深まるのはこれからだけれど、すこし前まで夏のような強い陽ざしに日傘をさしたり、冷たい飲み物がおいしく感じていたから「あら、急ですね…」とも思ったものの、秋の足音はところどころに感じていた。部屋の窓から見える街路樹がみるみるうちに葉を落とし、まだこんなに暑いのに…と思っていたら、おひさまが照らす時間に自然は

          書いて話して書いた夏 | 莉琴

          今年が節目の年になることはわかっていた。同時に精神的にも身体的にも物理的にも、もうありとあらゆる面で余裕がなくなることも明白だったから、始まる前は正直リレーエッセイへの参加は難しくなってしまうのではと危惧していた。自分が提案したくせにと歯痒さと申し訳なさを感じていたが、今も執筆を継続できてほっとしている。 書いているから元気なのか、元気だから書いているのか。 自分でも意外なほど、今年のわたしは元気だった。富士急の高飛車に乗り続けているような怒涛の日々ゆえ無表情で虚空を見つめ

          書いて話して書いた夏 | 莉琴

          水たまりから海へ。 | Kii

          50年生きてくるとさまざまなことが起こる。最初の25年はさほど不自由がなかった分、後半の25年は目眩く試練の連なりで、まるで私はシャケかと何度喩えてきたことか。 経たことは人生でかならず誰しも経験する類かと言うと、親の看病や介護、のちに両親を見送ったことの他は、割とレアなことばかりと思う。 友だちとの会話で冗談混じりに、もし「人生イベントカード」なるもので対決するとしたら、私は強めのカードをたくさん持ってる、と話したことがある。試練自慢など自虐的に聞こえるかもしれないけれ

          水たまりから海へ。 | Kii

          太陽の熱に溶けたとき|ひかり

          溶けるような暑さというか、本当に溶けた今年の夏だった。 誕生日ケーキの蝋燭のごとく、照りつける太陽の下に立つ私は汗をかきながら、心も体も夏に溶けていた。 春から始めた仕事は一日中外で作業する仕事だ。 外と言っても職場は標高の高い山の上にあり、作業中は屋根がある所や、木陰があったりするから、環境としては優しい方ではあるかもしれないが、それなりに暑い。 何かを体に塗る感覚が苦手で、日焼け止めなんかも塗らず、この夏用に購入した腕カバーも邪魔くさくなって途中で脱ぎ捨ててしまったから

          太陽の熱に溶けたとき|ひかり