はると

はじめまして!はるとと申します!!新卒で小学校の先生として3年目を迎えました!! …

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はじめまして!はるとと申します!!新卒で小学校の先生として3年目を迎えました!! 現場で働いているからこそ感じたことや自分の考えを記事にしていきます! ちょこちょこ趣味のことも、、 みなさんと、日本の教育について考えていけたらいいなと思ってます!よろしくお願いします!!

最近の記事

学校の常識について考えたい!<その4>ー給食のあり方ー

戦後まもなく給食が当たり前となり、いつしかそこに「残食はよくない」という考え方が生まれた・・・・ 時代も変われば子どもも変わる。なのに、給食のあり方は変わらない。 給食というテーマで話してきた。給食で一番大切にしなければいけないのはなんなのか。そこに迫っていきたい。 給食に対する疑問 いつものように給食を食べ終わり、子どもたちが食器を返しに前に出てくる。 そのとき、僕の顔を見て、 「先生、今日も全部食べれたよ!」 と、笑顔で教えてくれる子ども。 それを、素直に褒

    • 学校の常識について考えたい!<その3>ー給食のあり方ー

      なぜ、学校給食が当たり前になったのか―――― そこには、学校給食の長い歴史がある。 起源は1889年の市立忠愛小学校で貧困児童に対象に提供された昼食が起源とされている。 1941年に太平洋戦争で中止されたが、戦後、食糧難のため児童の栄養状態が悪化し、国民の要望が高まったことで順次、再開される。 当時の子どもたちにとって、栄養を第一に考えられた給食は必要不可欠だった。 1954年に「学校給食法」が成立し、「学校給食の目標」のひとつに「適切な栄養の摂取による健康の保持増進

      • 学校の常識について考えたい!<その2>ー給食のあり方ー

        現在の小学校の大半は同じ教室で同じ学習を多くの子どもが一斉に受けるという一斉指導を行っている。 しかし、時代は、合理的配慮だとか、個別最適な学習だとか、 個人に重きを置かれ始めている。 その考え方は好きなのだが、現場でどこまで実現しているのだろうか。 学校給食の矛盾 平成29年度に改訂した学習指導要領にて、 「学校における食育の推進に関する指導を各教科の特質に応じて適切に行うように努めること(一部要約)」 と明記されている。 いわば、学校の授業で食育をしなさい

        • 学校教育の常識について考えたい!<その1>

          僕がノートを始めようと思った原点。それは、今年の夏休みにお会いした大学時代のM先生の言葉だった。 とある日のM先生との会話僕は、高校卒業後、関西の大学に進学しました。その大学は志望校にも入っておらず、半ば「仕方なく」入学しました。 その「仕方なく」入学した大学でM先生と出会いました。 M先生はユーモアたっぷりに愛情をくれる先生でした。M先生のおかげで様々な経験をさせていただきました。(また記事にします) そんな恩師とも言えるM先生と夏休みにランチに行きました。 その

        学校の常識について考えたい!<その4>ー給食のあり方ー

        • 学校の常識について考えたい!<その3>ー給食のあり方ー

        • 学校の常識について考えたい!<その2>ー給食のあり方ー

        • 学校教育の常識について考えたい!<その1>

          大切な人が突然死んでしまったらあなたは何を思いますか <その1>

          プロローグ中学1年生の僕がいる教室で担任として自己紹介していたのがU先生だった。U先生は岩手県の海沿いの小さな町の出身だった。 新学期が始まる4月。当時僕は中学校1年生だった。初めて袖を通す学ランに胸を弾ませながら中学校へ向かった。中学校に着き、クラス発表を受けた。「同じクラスになれた!なれなかった!担任の先生はどんな人なんだろう。」そんな会話を繰り返し、指定された教室へ向かう。慣れないエナメルバックの肩掛けが擦れて痛み出したころ、教室にたどり着いた。友達と話す間もなく、担

          大切な人が突然死んでしまったらあなたは何を思いますか <その1>

          2020年、コロナ年に採用された教師として 紆余曲折の日々<その5>

          子どもたちは僕のへんてこりんな授業を受けながら、それでも立派に成長していた。 冬休みが明けたときのこと。 子どもたちは、その成長した姿をたくさんの場面で見せてくれた。 季節は冬。僕たちは、激動のコロナ年に別れを告げ、2021年をひた走っていた。 もうすぐ、お別れだね。授業中や休憩時間にそんな声が表情から読み取れるようになりました。 1月になった頃、クラスの仲良しだった女の子2人が交換日記を原因に大喧嘩をした。 それまで仲がよく、いわゆる上位カーストに位置する子どもでし

          2020年、コロナ年に採用された教師として 紆余曲折の日々<その5>

          2020年、コロナ年に採用された教師として 紆余曲折の日々<その4>

          運動会が無事に終わり、平穏な日常を取り戻したと思ったのも束の間、 もう1つの一大イベント音楽祭的な行事の練習が始まった! (自治体が特定できてしまうため行事の名称は割愛します) 子どもたちがお父さんお母さんにかっこいい姿を見せられる大切な瞬間。 僕は、指揮者を任されることとなった。 “何でも屋“と書いて教師と読む例年、音楽祭的な行事は、各学年、合唱と演奏をする。 1年生は可愛らしく、まだまだあどけなさを感じます。 反対に、6年生は、壮大な合唱と演奏で最高にかっこいい

          2020年、コロナ年に採用された教師として 紆余曲折の日々<その4>

          2020年、コロナ年に採用された教師として 紆余曲折の日々<その3>

          本来なら5月末に運動会をする予定だった。 一時は開催も危ぶまれた運動会だったが、10月開催で方針は固まっていた。 僕にとって忘れもしない初めての運動会僕にとって教師として初めての運動会。 与えられた当日の役割は、学級の管理と学年演技と3、4年生の徒競走のスターターでした。 スターターというのはいわゆるスタートの合図を出す人です。 楽しみな気持ちと不安な気持ちが入り乱れていました。 さて、そのときの僕はというと、学年主任とあまり良い関係が築けていませんでした。 という

          2020年、コロナ年に採用された教師として 紆余曲折の日々<その3>

          2020年、コロナ年に採用された教師として 紆余曲折の日々<その2>

          子どもたちにも会えず、過ぎていく日々。すべきことが分からなくて焦る。 5月に予定されていた運動会は延期が決まり、授業中の班活動や密になりやすいドッジボールや鬼ごっこは子どもたちの日常から消え去った。 コロナ年、今年は色々なことが変更になりそうだと身構えるのだった。 子どもたちが学校に戻ってきた!不思議な感覚でした。 “子どもたちが戻ってきた“ 学校現場では当たり前のことなのに、学校全体が息を吹き返したような印象を受けました。 休校期間というモノクロの世界を乗り越え、子

          2020年、コロナ年に採用された教師として 紆余曲折の日々<その2>

          2020年、コロナ年に採用された教師として 紆余曲折の日々<その1>

          これからの教育を皆さんと考えていく前に、 僕の教育観を築き上げた2020年度のことを書き記していきたい。 感染力の高い新型肺炎に混乱を極める学校現場で失敗を繰り返す新任教師の物語である。 2020年1月20日、新型肺炎(以下、コロナウイルス)の国内初の感染者————。 「日本は大丈夫。遠い国の病気だよ」 誰もがそう思っていたのではないのでしょうか。当時、大学4年生の僕もその1人でした。 しかし、その日から新規感染者は増えていく一方。そしてついに、 2020年2月27日

          2020年、コロナ年に採用された教師として 紆余曲折の日々<その1>

          はじめまして!はるとです!みなさんとこれからの日本の教育について考えたい!!!

          はじめまして!はるとと申します!!よろしくお願いします!! 自己紹介小学校の教員として2年目を迎えました。今年で24歳になります。 まだまだ、技術も経験も他の先生方とは劣る中、2年目だからこそみなさんに伝えられることがあるんじゃないかと思いました。 教員として働いてはいるものの、まだ半人前。学生だった時間の方が圧倒的に長いのです。 それ故に、学校現場で働いていると、「これって本当に必要な取り組みなのか?」と思うこともしばしば。そんなこともみなさんと考えられたらいいなと

          はじめまして!はるとです!みなさんとこれからの日本の教育について考えたい!!!