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学校の常識について考えたい!<その3>ー給食のあり方ー

なぜ、学校給食が当たり前になったのか――――

そこには、学校給食の長い歴史がある。
起源は1889年の市立忠愛小学校で貧困児童に対象に提供された昼食が起源とされている。

1941年に太平洋戦争で中止されたが、戦後、食糧難のため児童の栄養状態が悪化し、国民の要望が高まったことで順次、再開される。

当時の子どもたちにとって、栄養を第一に考えられた給食は必要不可欠だった。

1954年に「学校給食法」が成立し、「学校給食の目標」のひとつに「適切な栄養の摂取による健康の保持増進を図ること」を設定した。

戦後の食糧難を鑑みて、、といったところだろうか。

2009年に「学校給食法」が改正され、「食育」の観点が見直された。

そして、現在である。

現在の学校給食

皆さんは給食と聞いてどんな記憶があるでしょうか。

僕は、好きなもののおかわりじゃんけんと嫌いなもの食べる苦しさでした。(後者は前回の記事に載せました。)

あとは、机を突き合わせて友達と話す時間でしょうか。その時間に流れる放送でしょうか。

給食のいろんな思い出があることと思います。

給食によって助けられる人がいたり、楽しい思い出があったりすることは承知の上です。

その上で申し上げると・・・

子どもたちは、それぞれ好き嫌いや体の大きさが違う。

学習は個別に目が向けられている中、給食はというと・・・
決められているメニューや決められた食べる量。

自分でメニューも量も選択できないのに、残さず食べた子どもが認められ、食べ残すと認められない。

「好き嫌いせず食べると必要な栄養が取れて成長できるよ。」という子どもたちにとっては本当かどうかわからない決まり文句。

給食で認められない子がいる中でどのような指導や声掛けが有効なのだろうか。そして、食育をどのような形で取り組んでいけばいいのだろうか。

まずは、食育から見ていきたい。

「食育」の必要性

まず、「食育」とは何かを考えていきたい。


2005年に成立した「食育基本法」では、食育について、

様々な経験を通じて、食に関する知識と食を選択する力を習得し、健全な食生活を実践することができる人間を育てることである。

と定義づけされている。


現場で思いつく食育はというと・・・

給食の時間にテレビに映す「ぱくぱくだより」や3大栄養素や栄養が偏ると起こること等の食育の授業といったところだろうか。

「ぱくぱくだより」とは、給食に使われている食材の豆知識や給食が作られる工程、日本の文化や年中行事などたくさんの食に関する情報が載っているものである。

給食委員会を中心に残食を少なくする取り組みも行っている。


食育の定義と照らし合わせると、
食に関する知識と食を選択する力を習得→食育
健全な食生活を実践する→食育??


上記の食育の取り組みによって食に対する機会を子どもたちが得ることができていると思う。

しかし、現在勤めている学校では、残食は減らない。

健全な食生活を実践する=給食の完食(決められた栄養量を取る)
なのだとしたら・・・

残食を減らす取り組みに「食育」はいらない。

つづく


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