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2020年、コロナ年に採用された教師として 紆余曲折の日々<その2>

子どもたちにも会えず、過ぎていく日々。すべきことが分からなくて焦る。

5月に予定されていた運動会は延期が決まり、授業中の班活動や密になりやすいドッジボールや鬼ごっこは子どもたちの日常から消え去った。

コロナ年、今年は色々なことが変更になりそうだと身構えるのだった。

子どもたちが学校に戻ってきた!

不思議な感覚でした。
“子どもたちが戻ってきた“
学校現場では当たり前のことなのに、学校全体が息を吹き返したような印象を受けました。

休校期間というモノクロの世界を乗り越え、子どもたちが戻ってきたことによって世界が一瞬にして色を取り戻した。といった感じです。
とにかく、本当に不思議な感覚だったのです。

しかし、状況はそんなに良くはありませんでした。

それを物語るように、教師としての初めての授業は異様な形で幕をあげることになりました。

休校期間は明けましたが、以前のような生活には戻れませんでした。
クラスの子どもたちを半分にし、午前と午後に分かれて登校。
30分の授業を4回受けて下校というものでした。

子どもたちは新しいクラスのみんなに会うこともできず、30分という変則的な授業を受ける。どれほど苦痛だったでしょうか。

しかも、授業をするのは、ついこの間まで学生だった新卒の教師なのです。

当然、最初からうまくいくはずもなく、へんてこりんな授業を繰り返すばかりで申し訳ない気持ちになりました。

それでも子どもたちは真剣に授業を受けてくれました。
クラスの友達にも会えない状況で一番不安であろう子どもたちの姿を見て、
「このままではいけない」
と痛感したのでした。

どうにかしなければと思い、初任者研修の担当の先生に相談しました。
すると、模擬授業をすることに。しかも苦手な算数を。

その時の黒板です。

児童役をしてくれた先生からは
「目当てがとってもワクワクしました」

きっと、へんてこりんな授業しかできず、凹んでいる僕を励まそうとしてくれたのだと思います。
しかし、お世辞だとしてもこの言葉は励みになりました。


ここでみなさんに覚えていて欲しいのは、
僕が極端な性格であること。特に褒められると・・・

その言葉が嬉し過ぎて教材研究に躍起になりました。

その頃から、8時ごろまで学校で事務作業、帰宅後、晩ご飯、風呂を済ませ翌日の授業準備に取り掛かる。眠りにつけるのは、早くても午前0時。

その後、慣れない仕事、職場、同僚、いけない習慣により案の定、
2度も体調を崩すこととなり、お医者さんから叱られるのでした。※この習慣は今でも続けています。

コロナ渦での学校現場 長い夏の始まり

コロナ年の夏はとても暑かったと記憶しています。

4、5月の休校の影響を受け、夏休みは2週間でした。とにかく暑かった。

体育は地獄でした。
気温が高過ぎて授業になりません。
もちろんマスクは外せず、子どもたちからは
「暑かった」
という言葉しか出てきませんでした。(笑)

教室も暑く、コロナウイルスに加え、熱中症の危険もありました。

しかも、授業はというと、いまだにへんてこりんなまま。

算数の授業では、最初の5分で子どもたちの反応が「?」ばかりでもう一度やり直したこともありました。

一番賢いクラスの子どもに
「今日も授業うまくいかなかったなあ」
と嘆くと、その子は僕より悲しそうな顔をしながら、
「先生、大丈夫だよ。次頑張ろう」
と励ましてくれるのでした。

僕と子どもたちは先生と子どもたちという関係ではなく、先生っぽい子どもと子どもっぽい子どもたちという状況だったのかなと思います。

まさに、一致団結していました。(と言いたい)

そんな状況の中、運動会と音楽祭的な行事を乗り越えていくのでした。

次回へ続く


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