学校教育の常識について考えたい!<その1>

僕がノートを始めようと思った原点。それは、今年の夏休みにお会いした大学時代のM先生の言葉だった。


とある日のM先生との会話

僕は、高校卒業後、関西の大学に進学しました。その大学は志望校にも入っておらず、半ば「仕方なく」入学しました。

その「仕方なく」入学した大学でM先生と出会いました。

M先生はユーモアたっぷりに愛情をくれる先生でした。M先生のおかげで様々な経験をさせていただきました。(また記事にします)

そんな恩師とも言えるM先生と夏休みにランチに行きました。

そのとき、僕はこんなことを尋ねました。

「僕は、学校現場が息苦しいです。大学時代のイメージと全く違う。これは僕がおかしいんでしょうか。」と。

その僕の言葉に対し、M先生は

学校で働くということは専門的だから世界が狭い。そこで働く人たちも最初は息苦しかったはずだよ。でも、3年4年と働いてるうちにその違和感がなくなってしまう。だけど、学校現場に入ってまだ間もない君の方が世間一般に近い。だから、君が抱いている違和感は多くが正しい感覚だと思うよ。現に、学校現場は時代遅れだと言われているしね。だから、君はおかしくなんかないし、その違和感をぜひ忘れないでほしい。教育はその変化をずっと待っているんじゃないかな。

僕は、その言葉を聞いて、この感覚を忘れてはいけないんだと思いました。


そして今こうしてノートにその感覚を残そうと決めました。

学校の常識とは

さて、本題に入ります。
ここで使っている「学校の常識」とは。認識がずれないように定義づけをしていきますね。

学校の常識、それは校則や、学校現場でよしとされていることです。

例えば・・・

廊下は走らない。小学校であればシャーペンを使ってはいけない。
髪を染めてはいけない。ツーブロ禁止。
運動会は入場の時にする行進が醍醐味だ。
給食は好き嫌いせず残さず食べる。

まだまだあるでしょうか。そこにどんな意味があるのか、表向きではなく本質に迫っていけたらなと思います。

それでは。


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