【コラム】自分で決められない指示待ち人
それは、九州唯一のウルトラトレイルレース「第2回阿蘇ラウンドトレイル」の終盤に起きた。
ピーカンだった日中の空は東に抜け、夜明け前から降り始めた雨により、火山灰の堆積物でできた阿蘇のトレイルはツルツルのスリップ状態に変わリ、急勾配のアップダウンが連続するレース終盤の、特にスリッピーなトレイルの下りで大渋滞が発生した。
2018年6月発売号の『RUN + TRAIL Vol.31 トレイルランで山の魅力再発見』で掲載した同コラムは、誌面の後半、しかも縦長にレイアウトされ、ひっそりと佇んでいたこともあり、加筆・修正して再掲します。
「レース開始から24時間経過した朝7時過ぎでしたでしょうか、当初は渋滞の一報ではなく、参加者から『コースがスリップ状態にあり、このまま先に進んでいいのか』という問い合わせでした。下りが危険な状態であること、後続ランナーが続々と来ていて引き返せないことなどを確認し、ゴール地点から逆走する形で現場に向かいました」
と話すのは、大会を企画運営した高木智史さんだ。
「現場に着くと想像通りのスリッピーなトレイルでした。しかも、ロープを使って1人が下りるまで次の人が待つ状態で、さらに片手で降りる人が多く、時間が掛かっていた。それが渋滞の要因でした」
高木さんはその場で決断し、参加者に指示を出す。
「安全性を考慮して、ロープを両手で持つことと、1人ではなく、複数人でロープを使って降りるように指示しました。また、ロープを使わずに滑り台を滑るようにお尻で滑って降りられる人は、どんどん行ってください」
高木さんの決断後、渋滞は程なく解消され、合わせて制限時間の撤廃を判断したことで、終盤の参加者たちは、全身泥まみれでフィニッシュしていく。
渋滞が解けた理由とその意味
ここで検証したいのは、「なぜ、渋滞が起きたのか?」ではなく、「なぜ、渋滞が解消されたのか?」だ。
高木さんの指示は、1人ではなく、複数人でロープを両手で使って下り、可能な人はお尻で滑ること。計算するまでもなく、1人が下りるまで次の人が待つ状態よりも何倍も早く多くの人が下ることができる。
実は、このレースに私も参加し、この終盤の渋滞の中にもいたため、当時の状況がよくわかるのだが(しかも、渋滞の先頭付近にいた)、参加者同士でこんなやり取りがあったことを記しておきたい。
私「(渋滞現場に着いて)何かあったんですか〜?」
A「渋滞です。たぶん、スリッピーのため下りの渋滞だと思います」
B「安全を考慮して、一人ひとり下りているみたいですよ」
私「なるほど〜。ちょっと見てきますね!」
渋滞現場の先頭に行ってみると、確かに長く急な幅1.5mほどの下りのトレイルが続く箇所がツルツルに近い状態になっていて、完全にビビって腰が引けた女性が、トレイル脇につながれた一本のロープを頼りに、慎重に下っていた。
ただ、ツルツルのトレイルのセンター付近、および、踏み跡がほとんどないロープと反対側のトレイル脇は、誰も使っていないことも確認した私は、わざと後方で並んで待っている人に聞こえるような大きめの声で言った。
これって、行けちゃう人は、センターや反対サイドから行っちゃダメなんですかね〜? どう思いますぅ〜?
すると、一人の男性が私を睨みつけるように言い放った。
ルールなんだから、守れよ!
彼が主張するルールとは、渋滞の原因でもあった「ロープを使って1人が下りるまで次の人が待つ」というもので、誰が決めたルールなのか誰も説明できない謎のルールだった。
スキルをつけよ!
「ルールなんだから守れ!」ときつく言われた私は、「試しに僕がやってみますね」と爽やかに言って、行動に出た。ガラ空きのセンターを体育座りして尻餅をつく形で、ツルツルのトレイルを滑り台のように滑り、キツく言った男性に振り返って、言った。
「行けちゃいました〜♩ じゃあ、お先ですぅ〜」
トレイルランのキャリア10年以上のためか、難易度が高い下りとは思えず、これくらいは平気だなと自信があったのは事実だが、スキル(経験)があれば十分クリアできたはずだ。
近年、トレイルランニングの裾野が広がっている。競技人口の増加は歓迎することではあるが、一方でトレイルスキルが未熟な人が、身の丈に合っていないレースに参加している事実もある。
1昼夜ないし2昼夜を要するウルトラトレイルという世界を走りきる準備として、走力はもちろんのこと、精神力、ギア力、自分マネージメント力、トラブル対応力、天候への適応力など、走るために必要なあらゆる総合力が必要になる。特に変わりやすい山の天気への適応力は必須中の必須スキルである。
例えば、ウェアのレイヤリング知識、その選択とタイミング、補給知識、悪天候時の対策、そして、早い遅いといった速度とは違った走力=不安定なトレイルを的確に進む力も、走るために必要なスキルとなる。
主体は常に自分にある
スキルは経験を重ねれば手にすることができるが、厄介なのは国民性にも通ずる『主体性』だ。
ここでサッカーの話を例に出してみたい。Jリーグの名古屋グランパスの監督に就任したアーセン・ベンゲル氏の体験談だ。
「就任当初、ある選手から『ボールを持ったらどこにパスを出せばいいか約束事を決めてほしい』と要望された」
1球ごとにベンチからサインを送ることができる野球とは違い、ピッチ上の局面では自らの判断が求められるサッカーにおいて、ベンゲル氏の困惑は容易に想像できる。
「この体験を通じて日本人の国民性を理解することになったよ」
プロスポーツに限らず、日常においても困難な状況を打開しなければいけない時、誰かに決めてもらわないと動かない(動けない)人がいる。
しかしながら、トレイルランニングというアウトドアスポーツは、ドピーカンに晴れて熱中症のリスクがあろうが、気温が急激に下がり寒さに震えようが、雨が降りトレイル状態が悪化しようが、あらゆる条件を受け入れ、全てを自分で決断するセルフマネージメント力が試される。これはこのスポーツが持つ根源的な問い掛けでもある。
(写真は参加者の一人が撮影したもの。結果的に200人ほど渋滞が発生した)
「なぜ、渋滞が起きたのか?」をほとんどの人が把握することなく待たされ、エマージェンシーシートにくるまりながら「なぜ、渋滞が解消されないのか?」と思ったことだろう。
誰が決めたか分からないルールを、受動的に遵守したことで、全体の利益が大きく毀損された“渋滞”という結果を招いた。「1人ではなく、複数人でロープを両手で使って下り、可能な人はお尻で滑ること」を選手が自主判断していれば、これほどまでの渋滞は回避できただろう。
今一度、提言したい。
1人ひとりが山でのリスクを理解し、その準備をし、オウンリスクのスポーツである事をもっと受け止めないといけない。自己判断力の精度を磨き高めていくことは、このスポーツの醍醐味でもあり、トレイルランニングは「指示待ちスポーツ」ではない。主体は常に自分にあるのだ。
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