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「過去の日記まとめ」No.1

令和三年十二月二十八日(火)

【愛情も憎悪も永続しない。心を燃やすにはエネルギーがいる。それが尽きれば激情は燃え尽きる】


 午前九時半頃。電話の着信音で起床した。連絡してきたのは父だった。手短に会話をして、私は思い出した。今日は父と映画を見に行く日であった、と。

 父が迎えに来る約束時刻は午前十一時。最近の寒さから、ますます朝起きれなくなっていたのだが、この時はすんなり起きれる事が出来た。

 朝食を摂り、必要最低限の身支度を整える。しかし、こんな日に限って寝癖が直らない。一緒に出かける相手が父とはいえ、映画館があるショッピングモール『ららぽーと』に行くのだから、せめて寝癖は直したかった。

 四苦八苦していると、妹の理琴が手伝ってくれた。こういう時は、たっぷりと髪を濡らしてからドライヤーの温風で乾かし、次に冷風でセットすると良いらしい。勉強になった。オシャレやファッション、身だしなみについては妹のほうが詳しい。姉としてのプライドなどはもはやない。

 そうこうしているうちに十一時を過ぎた。父からまた連絡が来たので、もう外で待っている、と催促かと思ったが違った。道が混雑しているので、遅れるとのことだったので、しばらく待つこと約十五分。到着した父の車の助手席に乗り、家を出発した。


 妹たちの様子や仕事のことなどの近況報告をしていると、体感ではすぐに目的地に着いた。着いてすぐに混雑を避けるため、やや早めだが昼食をとることにした。オムライスを食べたのだが、かかっていたチーズがよく延びたことが記憶に残っている。

 本屋を覗き、スタバの誘いを受け流して時間を潰し、上映時間の十四時よりかなり早めに映画館へ向かった。映画関係の土産屋を見て下妹の瑠月に土産の希望を窺う連絡をした。それからしばらくして、ポップコーンとドリンクを注文。しかし、妹二人が居ない分、父と私だけでは食べきれないだろうことに気づいた。

 映画館エリアに人が増えてきたと思ったら、係の人が待機していた私たちに整列を促した。すると、周囲の人々がほとんど列に加わったので、皆も同じ映画見るのだと知った。流石、劇場版『呪術廻戦』。


 『呪術廻戦』は美麗アニメで人気に火がついた少年漫画が原作の作品だ。私はアニメは観たものの、マンガは一巻しか読んでいない。しかし、神道や陰陽道に興味があり、調べていた私にとっては呪術を題材にした作品は非常に興味深かった。

 幼少期、好奇心といじめっ子へのうらみつらみから『蟲毒』という呪いに手を出したことがある。『蟲毒』は凶悪すぎるという理由で平安時代に禁止令がでるほどのものだ。安易に子供が実行して良いものではない。幸い、何も起こらなかったものの、今考えるとかなり危険で向こう見ずだったと思う。変に成功して呪詛返しなどの形で自分に返ってこなくて本当に良かった。

 人を呪うこと自体は違法ではない。たとえ、人が呪い殺されても現代の科学技術では証明できないからである。ただ、「お前を呪った」だとか「呪ってやる」などと発言することは恐喝罪などが適応されるようだ。逆に誰にも知られずに呪うことは罪ではない。まあ、もともと人を呪うことはバレないようにやるのがセオリーなので(呪うための儀式などを他人に見られると、失敗したり自分に返ってくる場合もあるから)そこは問題ではない。だが、古来から呪法を実行するには現代の細かい法が邪魔をするだろう。

 例えば、釘崎野薔薇も使っていた藁人形と釘で有名な『丑の刻参り』。これを実行しようとすると、勝手に神社に入る(参拝目的ではないため)不法侵入になる。さらに、神社の木に釘で藁人形を打ち付けるため、木を傷つけることになるため器物損壊になる。人を呪うのって面倒なわりに不確実だし、リスクも高い。軽い気持ちではできないけど、人を呪いたいと思う時点でかなり追い詰められている状態なのだろう。自分も身に覚えがある。


 映画を見終わった後、何事もなく帰宅。結局、お土産はないのかとむくれる瑠月。私が持ち帰ったポップコーンに文句を言いながらも、そのほとんどを彼女は食べたようだ。

 昨日のうちに仕事先からの模擬案件(給与は発生しない)を片付けた私はこの後寝るまでの時間を小説執筆の腕を磨くために使う。私は未だに、幼少期からの夢を捨てきれずにいるのだ。

令和三年十二月二十九日(水)

 今日はかなり寝坊したようだ。起きたときには十二時を過ぎていた。これではいけない。生活習慣を改善したい。

 そういえば、朝に瑠月から連絡があった。寝ぼけていたので何を話したかは覚えていない……。


 みんちゃれを再インストールした。読書を習慣化するためである。だが、加入したルームはあまり活発的ではないところのようだ。かといって他のルームは読む書籍がビジネス本とか自己啓発本、哲学書などの堅苦しいものばかりだった。私の本棚にあるのはエンタメ系のフィクション小説ばかりだから、場違いに感じるので加入は憚られた。


 友人と遊びに行っていた瑠月は、かなり散財して帰ってきた。その様は倹約家の私には理解できない。いや、倹約家と言うと美化されている気がするので、守銭奴といったほうが良いのかもしれない。まあ、私が出費を避けるのは仕事で稼げていない現状のせいでもある。大きな仕事にありつけて給料を得た暁には、母(場合によっては妹たちにも)に喫茶店などで奢ると密かに心に決めている。そのためにも今は努力しなくてはならない。バイト代で奢れば話は早いのだが、それでは意味がないのだ。私は夢を叶えたのだと母を安心させる意味合いも込めて、自分の創作で得た給与で奢ることに拘っているのだから。


令和三年十二月三十一日(金)

 今日は大晦日。どうりで散歩をしに外を出ると寒い訳だ。寒すぎて体力は余っているのに三十分で散歩を切り上げてしまった。無念。

 しかし、大晦日だからといって特別なことは何もなかった。原神やって、瑠月と一緒にプロセカやっただけ。あとは、読書してFate大晦日特番を見て寝るつもり。

令和四年一月一日(土)

 今日は元旦。新年の始まりだ。

 菊川の祖父母と叔母に挨拶をしに伺った。私は成人しているが、驚いたことにお年玉を貰えた。ありがたいことだ。理琴は塾からテレビ電話で会話していた。

 そういえば、私も瑠月にお年玉をあげた。しかし、理琴にはない。まあ、三歳しか歳が離れていないからだ。

 初夢は縁起がいい赤子の夢だった。ちなみに、その赤子は瑠月である。夢の中では疑問に思うことはなかったが、現実の瑠月は中学生だ。

 運気が良いのかもとガチャを引いたが、最高レアは出なかったことを記しておく。戒めとして……。


令和四年一月四日(火)

 日記の書き忘れが長く続いてしまった。これではダメだ。続かなかったことを反省し、再スタートしたいと思う。

 今日は、夕方に母の実家から出発した。掛川市に帰るのだ。渋滞でやや帰りが遅くなったものの、無事帰宅。

 留守番をしていた理琴は、沢山のお土産と預かっていたお年玉を受け取り、喜んでいた。

 私はといえば、特に買ったものもなく荷解きは思ったより早く終わった。

 けれど、嬉しい誤算というべきかお年玉を貰えたので、貯金しつつあわよくばPlayStationを買いたい。

令和四年一月十日(月)

 一週間ほど、日記を書き忘れていた。毎日書かないのならそれは日記ではないらしい。気をつけねば……。


 最近、なににおいてもやる気が出なかったのだ。無気力の極み。ゲームも創作も気がのらなかった。

そのうち、食事も億劫になってきて、数日間はろくなものを食べていなかった。

とはいえ、昨日あたりからは食欲も出てきたので、回復の兆しが見えてきたと思う。

こうして日記を書く気力もあることだし、バイトで忙しく働く荒療治をしても良いかもしれない。

先ほど、謎の勢いでゲームソフトを何本も買ってしまったので、積んであるゲームも消化したい。

積んであると言えば、未読の本もおそらく三桁はくだらないほど溜まっているだろう。

これらを手つかずにしたまま死にそうだなとは思っているが……流石に、もったいないか。

令和四年一月十一日(火)

 今日は仕事を探した。それ以外に特筆すべきことはなかったように思う。

市役所の確定申告補佐のバイトをするか事務職の正社員に応募するかの二択に絞った。

そろそろ定職に就かねばという焦燥感もある。

「いつまでもあると思うな親と金」とも言うし、このまま脛をかじり続けているのは、我ながら情けないと思う。

というわけで、明日、正社員を求人している会社に連絡を取ってみようと思う。

もうすでに緊張していて、寝れそうにない。困った。


 また、一般職に就くにあたって不安なことは大なり小なり沢山ある。

小さなものでいえば、自分の好きなことをする暇がなくなるのではないかということ。

原神とか時間のかかるゲームはできないだろうし、買ったまま積みあがった書籍やゲームソフトを消化する暇はなくなるだろう。

大きなもので言うと、私の精神衛生が健常のままでいられるのかが危ぶまれること。

心を亡くすと書いて「忙しい」ということもあり、追い詰められていつぞやのように心に余裕がなくなりそうだ。

下手をすると、そのまま首をくくりそう……。


 まあ、まだ決まってもないことで不安になっても仕方がない。

とはいえ、物書きで金を稼ぎたいという欲は未だあるし、シナリオライターを辞めるのには迷いがある。

 しかし、この職に就いて二年ほどたつがまともな仕事が最初の案件以降まったくないし、なにより二次創作禁止(一次創作も厳しい)なのが耐え難い。

シナリオライターになってから、(研修もあったとはいえ)創作などで文章を書く機会が減り、物書きとしての能力値が下がった気さえするのだ。

こうなればもう、契約を切って一般職になり、創作は趣味として楽しみつつ作家になる道を探っていくしかないか……。


令和四年一月十四日(金)

太ったと母に言われたので、間食を控えたり散歩時間を伸ばしたり室内運動したりする。


去年やったのと同じ仕事が来た。

小説コンクールの一次審査の案件。

今回は時間があるので、20本ぐらい引き受けて、できるだけ稼ぎたい。


るなのせいでSwitchできないし、サブ端末スマホのバッテリーが劣化した。

すぐ充電なくなる。るなとの関係の悪化。


そういえば、自殺を考えていたこととか理琴へ赤裸々に話したら、泣かれてしまった。

普段なら泣かないが、翌日に受験(共通テスト)を控えていて不安定だったからだそうだ。

話題のタイミングが悪かった

令和四年一月十五日(土)

飛行機の離着陸は意外と平気。

気圧でペットボトルがへこんだ。

外国人の機長による片言アナウンスが印象的で和む。


「雪を見て喜ぶのは犬と静岡県民だけ」らしい。

野良犬を狐と見間違える世田谷区民。


煉瓦の倉庫群とロープウェイから夜景を見た。


貰っても困らないお土産第一位、昆布。

逆に貰っても困るお土産第一位、木彫りの熊。

熊の顔が右を向いている物は、珍しい。


北海道で買ったお茶、静岡茶葉100%

アイヌ語で晴天のお祈り。「にさたっか しり ぴりか くにね」


喫煙所で見ず知らずの人と意気投合する祖父。


温泉から出た後、スキンケアに備え付けの化粧水と乳液を存分に使う。


令和四年一月十六日(日)

 北海道旅行二日目。

 深夜に津波注意報のサイレンが鳴り響き、同室の全員が起きた。幸い、泊まっていた地域では大事にならなかった。しかし、一時は旅行どころではなくなるかもとひやひやしたものだ。

 そんなこんなで夜が明けて、朝六時半。スケジュールの関係で慌ただしく身支度を整え、朝食も手短に済ませた。正直に言うと、この時に何を食べたのか記憶に残っていない。

 その日、最初の予定は朝市だった。しかし、私としては興味はない。かといって、皆が朝市を見ている間ずっとバスの中で待っているのは、味気ないうえに窮屈だ。私は、駐車場近くで海を眺めることにした。外の新鮮な空気を吸えたが、少し磯臭かった。ただ、様々なものを見る事が出来た。旋回と滑空を繰り返すカモメが、魚を捕食しようと海面に頭から突っ込む場面を見たときは、少し感動した。海の近くに住む人からすれば日常風景なのかもしれない。しかし、私にとっては大げさでもなんでもなく、朝市よりもよっぽど価値のある光景を目撃できたと思っている。

 次に向かったのは五稜郭公園。私の五稜郭タワーに昇りたいという希望を叔母が聞き届けてくれた。そうして、旅行のツアー代とは別料金だった五稜郭タワー入場券を支払ってくれた。たしか、大人一人九百円だったように思う。

 五稜郭タワーはエレベーターからして凝っていた。壁に函館戦争の関係者などの偉人の言葉が書かれていた。その中には、新選組『鬼の副隊長』として有名な土方歳三のものもあった。私が驚いた凝った仕掛けとは、昇降中に暗くなったエレベーター内に、それらの言葉に関連した絵などが浮かび上がってくるようになっていたことだ。せっかくなので、じっくりとそれらを見たかったが、他人の体で遮られてあまり見る事が出来なかった。少し残念である。

 残念といえば、バスで通った付近にも文豪記念館などがあったが、立ち寄ることはできなかった。まあ、ツアーだから当然のことで仕方のない事なのだが。石川啄木の墓や小林多喜二の所縁の地などがあったらしく、非常に気になった。

 話を戻して、五稜郭タワーの展望台に着くと、そこから五稜郭が見えた。上からよく見えたので、本当に星型のような形をしているのだと確認できた。これも、敵に攻められにくくするために考案されたものらしい。さらに、当時は珍しい西洋の大型建築物だということで注目を集めたとか。

 五稜郭タワーのゆるキャラのパネルとも写真を撮ったが、全く可愛らしさがなかった。その後、コンピューターによる手相占いを試してみた。前半の性格に関しては、想像力豊かだとか書かれていて納得できた。しかし、後半の恋愛と金運は、「若くして結婚し、結婚後の家庭では裕福になる」とあった。私には、あまりそのような未来は想像できなかった。

 このとき、祖母に五稜郭の歴史をまとめた資料を買ってもらった。これが北海道のお土産で唯一、私の手元に残るものだ。

 昼食はホタテとジャガイモ、それから鍋の食べ放題だった。しかし、私は目玉であるホタテをひとつも口にしなかった。あまり、ホタテが好きではないのである。食べれないこともないが、今回は遠慮させてもらった。

 このあとも、天気に恵まれたようだ。大雪でよく足止めをくらう中山峠なる場所もスムーズに通過して、ホテルについた。しかし、その後の自由時間兼夕飯時間は寝て過ごした。前日は、ほぼ徹夜状態であったうえに、バス車内で仮眠もとらなかった故だ。流石に、疲れも溜まるというもの。

 その日に泊まったホテルはビジネスホテルで、大浴場などはない。部屋の備え付け風呂はビジネスホテルによくある狭いタイプのものだった。前日の温泉で念入りに入浴しておいてよかったと思った。

 その後は、特に何事もなく就寝して夜が更けていった。

令和四年一月十七日(月)

 北海道旅行最終日の朝は、前日のそれよりかは時間に余裕があった。おかげで、ゆっくりと朝食を楽しむ事ができた。朝食はまたもやバイキング形式であったが、今まで食べた中で最も美味に感じた。それもそのはず、このホテルは全国で三番目に朝食が美味しいホテルだと評判とのことだった。なるほど、風呂などではなく、朝食に力を入れたホテルということだろうか。

 最終日までも天気に恵まれたようで、問題なく観光地の小樽に着く事ができた。小樽は観光地であるので、土産屋がずらりと立ち並んでいる。その街並みはとても雪景色に映えるものだった。郵便局までもが、景観に配慮して茶系統の色味で統一されているのだ。

 お菓子の土産屋にも立ち寄ったが、一番印象に残ったのは硝子細工の店だ。少し覗いただけだが、あまりの値段の高さに驚いた記憶が鮮明に残っている。次に向かう空港では時間が取れないこともあり、ここ小樽で残る旅行記念品を自分用に買おうと思っていた。しかし、想定していた金額より文字通り桁違いの値段にしり込みしてしまった。唯一買っても良いかと考えた手のひらサイズのヴェネツィア仮面は千円だった。短時間だが脳内で真剣に審議した結果、買わないことにした。他の商品を見て金銭感覚が狂っただけで、自分のためだけの土産品に千円は大金だ。

 次に着いた千歳空港では時間があまりない。しかし、ここで母に頼まれていた土産菓子を買わねばならない。さらに、昼食も調達する手はずとなっている。当初の予定では、ここで札幌ラーメンを食べるはずだった。しかし、時間が足りない。そのため、土産を買うことを優先するか、札幌ラーメンを食べることを優先するかの選択を迫られた。即断即決が求められる場面であったので、私は迷わず土産優先と即答した。母と約束したからである。

 そうと決まれば即行動だ。祖父は理琴と約束した蟹を買いに、祖母と叔母は土産を買いに、私も土産に指定された物を買いに、とそれぞれ目的地が違った。よって、集合場所を定めて解散して各自行動に移った。

 地図があったことと、目的がハッキリしていた私はとてもスムーズに事を運ぶ事ができた。難なく集合場所に戻ってこれて、どことなく誇らしい気持ちになった。大人なのでできて当たり前なのだが、私は精神が幼いことを自覚しているので。

 昼食はお弁当を買って飛行機内で食べることにした。札幌ラーメンにはありつけなかったが、その鶏肉弁当がバター風味のものだったので、札幌のバターを味わえたのだと自分を納得させた。

 帰りの飛行機内では後ろの席にいた赤ちゃんと目があったことしか特筆すべきことはなかった。

 帰ってきて、お土産を渡すと母は喜んでいた。母が土産代を払おうと値段を聞いてきた。当初から母が土産代を払うことになっていた。だが、私はここはひとつ日頃の感謝も込めて、お金は払わなくてもいいと言った。自分からのみやげだから、と。母はさらに喜び礼を言ってくれたが、やや反応が薄かった。内心では当然この場面では私が払うべきだと持っていたのだろうか。感謝もつたわっていない気がして残念だ。本業での仕事が来たので、その給料が振り込まれたら、リベンジとして母に昼食でも奢ろうか、と計画してみる。

令和四年一月二十日(木)

 最近は音ゲーがマイブームだ。旅行中でもその片鱗が見えていたが、帰ってきてからより熱中するようになったと思う。それから、散歩の時間を延ばしている。目指せ、一時間!

令和四年一月二十二日(土)

 ようやく、仕事先から資料が届いた。つまり、これから下読みが始まるということだ。最初に送られてきた資料は文字化けしていたが、すぐに解決したので問題はない。

 今回、担当した応募作品群は全体的にレベルが高いようだった。しかし、一次審査を通過させることができる作品は担当者一人に付き一作品であるので、悩むところだ。まあ、文章力が一定の水準を超えているので読みやすくて助かる。



令和四年一月二十三日(日)

 下読みは順調に進んでいる。最初に読むことに決めた作品も完成度が高い。文章も読みやすいし、展開に無理が無いのでストレスなく読める。ただ、いかんせん文章量が想定より多く、予定が僅かにおしている。まあ、余裕を持って立てた計画なので、多少の遅れは想定内であり許容範囲だ。

 散歩の時間も増やしていくことに成功している。難なく一時間は歩いて入れる。

 間食を控えることが、思っていたより難しい。どうしても、変な時間に空腹になってしまう。そして、あまりの空腹さに何も手がつかなくなる。これでは、いくら歩いたり運動しても太ってしまうだろう。カロリーの少ない蜜柑や煎餅類なので空腹をしのぐ作戦を試してみることにする。

令和四年一月二十四日(月)

 今日はこひつじ心療内科で受診する日だ。普段は土曜日なのだが、前回行く予定であった日が北海道旅行に被っていたので、行けなかったのだ。朝になんとか起きて、病院へ向かった。しかし、不調により車の中で待っていた。薬はきちんと欠かさず飲まなければならないと戒めた。

 夕方ごろにようやく一本目の作品を読了した。文句の付け所が無いと言っても差しさわりが無いレベルであった。この作品に最高評価をつけようか迷う。とりあえず、保留にして次は実績のある人の作品を読もうと思う。この二作品を比べることで評価の基準をハッキリさせることが狙いだ。

令和四年二月十日(水)

 またもや前回の日記から月日が流れた。もう二月になってからしばらく経っている。

 あいも変わらず、同じ仕事をしている。変わったのは前期から後期に移ったことぐらいか。その際に、なんどもダメ出しをくらい、やり直しになった。同時並行で後期の仕事を進めつつ前期のやり直しをする作業は、期限に間に合わせるために必死にならざるを得なかった。それなのに給料は雀の涙。まったく割に合わない。はやくこんな日々とはオサラバしたい。自由に創作もできないんじゃ、執筆の腕も落ちるというもの。対策として、こうした日記など文章を書くようにしているが、それもどれほどの効果があるのか……。


 以前、日記をつけていたノートに長々とした自分語りを書き散らそうと考えている。というのも、ここには日々のこまごまとしたことを書くつもりだからだ。何の脈絡もなく、前から考えていたことなどを長々と書くことにこの場は適さないだろうという判断だ。

令和四年三月十四日(日)

 今日は理琴が帰ってきた。理琴は受験のために、神戸へ数日間行っていたのだ。残念ながら第一志望校には落ちてしまったようで、そのためもう一つ大学を受験したらしい。それが帰ってくるのが遅れた理由だ。

 帰ってきた理琴はなにやらプロテインを買ってきたようだ。それを報告される一連の会話で知ったのだが、『プロテイン』とは商品名ではなく、タンパク質の一種であるんだとか。これには驚いた。まだまだ知らない事ばかりだと痛感した。


 これは昨日の話なのだが、クトゥルフ神話TRPGのルールブックをまた買ってしまった。以前買ったのは第7版、今回は第6版だ。最新版の方が良いだろうと、最初は第7版を買ったのだが、普及していたのは第6版の方だった。シナリオも第6版準拠の物が多く、私自身も第6版のほうが馴染み深い。フリマアプリで買ったので届くには時間がかかるだろうが楽しみだ。

令和四年三月二十九日(火)

 最近、現状に甘えていては駄目だと思うときがある。

 仕事で収入を安定して得られていないことを母に責められて肩身が狭い。妹たちからも無職かのように扱われることもあり、辛い。

 シナリオライターとしての給与だけでは足りないと感じ、文字おこしの仕事もしようと考えた。今は、その試験中だ。


 シナリオライターに続き、文字おこしと自宅でできる仕事を選んだのには理由がある。私は計画的に物事を遂行する能力が致命的に足りないと自覚したからだ。私は今まで、やればできるタイプではないかと勘違いしていたが、実際はやらなければならないときになっても締め切りまでにタスクをこなせない人間だ。普通の企業に出社するようになっても、長続きしないだろう。

 だが、本当にこのまま社会に禄に出ないまま日々を過ごしていて良いのだろうか……?


令和四年八月十八日(木)

 ここに日記を書くのも、随分と久しぶりだ。

 言い訳はしない。また私は継続できず、日記を習慣化できなかったのだ。


 最近、創作したいという意欲はあるのに、筆がのらない。スランプとも違った絶不調だ。調べてみると、これは「ライターズブロック」と呼ばれるもののようだ。

 その中でも、私が陥っている状態は原因不明のもののようなので、荒療治じみた「内容は何でもいいから、とにかく書く」という解消法を試してみる。この日記もその一環だ。

 近々、原神の世界観ガイドブック(仮)の監修を仕事で任される予定なので、早くこの不調を治したいものである。

令和四年八月十九日(金)

 ゲーム感覚で続けられる習慣化ツールがあるらしい。さっそく試してみると、なかなか面白い。これなら長続きしそうだ。


 今日は、神戸にある母の実家にいる。まあ、滞在日数は短いけれど。

令和四年八月二十日(土)

 メルブラ最新作のボスラッシュで敵として七夜が登場するらしい。

 ここ最近、七夜に情緒を狂わされ、七夜難民をしていた私にとっては朗報だった。

 ただ、まだ実装はされていないらしいので、実装されたらswitch版かsteam版を買うことにする。


 ダンカグ楽しい。サービス終了するなんて信じられない……永遠に続いてほしい。

令和四年九月十一日(日)

 先日、コロナワクチンを打ってもらった。これで4回目だ。

 3回目のときより、副反応が強く出て、辛かった。特に昨日の夜中は頭痛と悪寒のせいでろくに眠れなかったほどだ。

 また、母の代理に出席する予定だった地区行事にも行けなかった。内容は草刈りとのことだが、場所も調べたうえに道具についても準備万端だったというのに参加できなかったことが悔やまれる。

 ひどい頭痛があまりに長引くものだから、今日一日中は痛み止めに頼りきりであった。


 他に特筆すべきことと言えば、最近はソシャゲのストーリーも読みだしたことだろうか。

 今まではゲームを進行することを優先して、ほとんどのストーリーはスキップしてきた。それは、ことソシャゲというゲームジャンルでは、ストーリーのクオリティーが平均して低く、同じゲームでもストーリーの出来がピンからキリまであるからである。

 とはいえ、それでもストーリーを読まないと完全にはそのゲームを楽しめないので、そろそろスッキプしてきたストーリーの山を消化せねば、と思い至ったのである。


 それと、些細なことなのだが、以前やり込んでいたカードゲームアプリを再びインストールして遊び始めてみた。

 というのも、以前は対戦ゲームであるのに中々相手とマッチングせず待ち時間が長くて辞めてしまったのだ。

 しかし、あのカードの美麗なグラフィックや豪奢な演出をまた見たくなったのだ。なにより、日本妖怪などを題材にしているところが、とても好ましい。

 まあ、中国産ゲームであるからストーリーの誤訳は多いし、キャラクターの口調にも違和感を覚えるところは欠点だ。

 運営が「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」精神で悪名高いネットイースなのも気になる……サービス終了しなければ良いのだが。

令和四年九月十三日(火)

 今日、仕事先から案件の斡旋が来た。どうやら、ソニーの対話人工知能に学ばせる文章を執筆する依頼のようだ。賃金が発生する仕事は貴重なので、受託したいところだが……転職の件がある。というのも、現在カラフルパレットという別企業の求人に応募しており、その結果が出ていないのだ。案件の途中で転職なんてことはできないので、困ったものである。はやく、結果を知りたい。

 カラフルパレットへの採用されるか否かの話繋がりなのだが、求人への応募から二週間が採用にかかる期間だという。しかし、私が応募したのは九月五日だ。この後、面接を2、3回するというのだから、そろそろ書類選考落ちなのか違うのかぐらいはわかっても良いと思うのだが……?


 あと、ワクチンの副反応はだいたい治まった。腕の痛みも普段は気にならない程度である。

令和四年九月十五日(木)

 今日はあまり特筆すべきようなことが起きなかった。だがまぁ、平穏は良いことだ。

 祖母に頼まれて、るなを駅まで迎えに行ったぐらいか。それだけでは話の種にもならないだろうが、祖母の言った時刻が大幅に間違っていて、数十分も外の暗い中で立って待つことになった。とんだ災難である……というほどの事でもないか。このような些事すら話題に出すほど変わったことは起きていないということだ。

令和四年九月十六日(金)

 PCの容量がカツカツなので、今日は念入りに整理することになった。普段からこまめに不要データは消去しているが、もともと容量の少ないPCなため、いよいよデータが入らなくなってしまった。

 クリーンアップなど色々と試してみたが、無理そうだったので外付けSSDを五千円で買った。ちゃんとした代物なら、かなりお買い得だ。本来なら何万とするもののはずだからだ。

令和四年九月十七日(土)

 FGOで美味しめのイベントが始まって嬉しい。……と、ゲームの話は置いておいて、創作の話をば。

 ワールドトリガーの二次創作を書きたいが、将来の事を考えるとオリジナル小説を書くようにした方が良いだろう。

 主人公がスパイで戦争軍人モノとか、日本的怪異の話とか書きたいけど、素材となる知識が足りない!

 インプットの時間を増やそうかな……。

令和四年十月二十四日(月)

 仕事が忙しいことを言い訳に、日記や創作活動を怠っていた。

 まだ仕事も一段落したとは言い難いが、今は待機するしかないので、とりあえず日記だけでも再開した。

 本音を言えば、創作活動も再開したい。しかし、熱意はあるが具体性に欠けるため、文章へ昇華できずにいる。

 

 創作活動といえば、みんチャレのグループから退室した。執筆活動を皆でしていくグループなのだが、最近はグループ自体の活動頻度が下がっていき、メンバーも減っていったから仕方がない。別の良い執筆グループを見つけられると良いのだが……。


 二次創作ではない、完全にオリジナルの小説を書きたい。いや、本当は読むのも書くのも二次創作が好きな人間なのだが……契約に「二次創作は全面禁止」とあるからな。

 それに、将来を見据えると一時創作の方が良いから、スラスラと書けるようになりたいものだ。

 思うに、私はこと一時創作においては、拘りと慎重さが強すぎるあまり、筆が重くなる。

 特に、最初の書き出しやプロット制作時などは酷い。丸一日費やして、タイトルとコンセプト、あらすじを考えたうえでそれを丸ごとボツにする……といった具合に。

 これらの悪癖を治し、一時創作に慣れるためには、数をこなすしかない。そう結論付けた。

 というわけで、日記はこれぐらいで切り上げて、創作へ戻ることにする。

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