見出し画像

雄琴にて

 ある昼、いなりずしを食べ終わった時、これはもうぐずぐずしていられない、と思ってしまったのだ。――――

 金曜日が休みで、何の予定もない三連休が目前に迫ってきているのに、ぼくは何の予定も決めていなかった。いや、実際のところ、連休二日目の夜にも、三日目にも予定は入っていた。大学からの友人が京都を訪ねてくるのだった。問題なのは、ぼくが主体的に、積極的に決めた予定がまるでないことだった。ここ最近、休日の内容はルーティーン化し、まして昨年彼女と別れてしまってからというもの、遠出もしなければ、心躍る外出はご無沙汰だった。
 三連休突入の一週間前、ぼくは部屋のソファーで見るともなく日本地図を眺めていた。元来ケチなので、近畿周辺ばかりピンチイン・ピンチアウトしていた。旅費は抑えたいのだ。和歌山がいいかもしれない、と思った。太平洋側というのはそんなに訪れたこともないし、和歌山自体行ったこともない。和歌山といえば、延々と続く海岸と、それに覆いかぶさるような鬱蒼とした森のイメージしかなかった。調べてみると温泉があるらしい。太平洋を一望しながら露天風呂に入浴し、旅の疲れを癒すことが出来るという。なかなか粋な温泉だと思った。「崎の湯温泉」とは古来から湧く温泉で、日本書紀や万葉集にも登場する温泉らしかった。白浜、という地名も、なんとなくクリーンでさっぱりしていて、一人でぶらぶらしていても受け入れられそうな気がした。列車を調べると、特急くろしおが京都駅から出ており、乗り換えなく白浜駅まで運んでくれるという。白浜周辺の宿を調べると、丁度いいゲストハウスが見つかった。オーナーの人柄や情報通ぶりを称賛する口コミばかりで、事前調査を怠りがちなぼくでも、最終的に満足な旅になる予感がした。
 その日は調べるだけで体力を使い果たしてしまい、そのまま寝てしまった。それがいけなかった。
 気づけば木曜日の夜になっていた。明日から三連休なのに、結局なんの予約もしていなかった。しまった、と思った。ぼくはズボラである上に、旅の前夜に旅程を組みあげて、列車や宿を予約するようなせかせかした作業が嫌いだった。きちんと確認していなかったが、特急くろしおは往復で一万円以上するとのことで、ぼくのケチさも相まって、全てがどうでもよくなってしまった。一時は素敵なゲストハウスオーナーとの出会いや、大海原に突き出した露天風呂を想像して興奮していたのだが、いかんせんぼくはやる気を失った。
 しかし何もしないのも気が進まなかった。午前中にジムに行って、午後は昼寝か読書か自慰するしかない。漫然として何の刺激もなければ学ぶところもない、嫌いな休日の過ごし方だった。かといって、ぼくにはしょっちゅう遊ぶような気の置けない同僚もいなければ、資格勉強するような目的意識もなかった。片やぼくに根を張る怠惰は、旅の計画を立てるくらいの作業をも許さなかった。自分が嫌になってきた。
 和歌山で太平洋を見るはずだったのだから、京都で日本海を見ればいいのではないか、と思った。理屈もへったくれもなくて、ただの思い付きだった。京都の自宅を出て、とにかく北へバイクを走らせる。じきに日本海に出て、日本海に飽きたら帰ってくればいい。時間がどのくらいかかるかとか、どの道を使えばいいかとか、ちっとも考えなかった。そんなことより、ドロドロとして漂白された休日を過ごすよりずっとマシだと思った。

 金曜日の昼になった。ジムで汗を流し、スーパーで買ってきたいなりずしをゆっくりと味わった。かなり蒸し暑い日で、きっとバイクに乗っていればちょっとは過ごしやすいだろう、と思った。
 持ち物は、スマホ、財布、本だった。自宅の正面の自販機で、スポーツドリンクを買った。自販機の裏は駐車場になっていて、蝶々が一匹、ひらひら舞っていた。この蝶々には時間の区別はあるのだろうか。好きな時間だとか、嫌いな時間だとか。カルロ・ロヴェッリは時間は存在せず、熱の移動だけが存在するという。ぼくはこれからどれだけの時間がかかるかわからない旅に出ようとしていた。

 自宅を出発してバイクを走らせること30分、なじみのある繁華街をぬけて、景色は平穏な住宅街に変わった。気づけば青々とした山が見える。京都は盆地なので、京都から出ようとすればどこかの山にぶち当たる。方向としてはやや東寄りの道路に乗った。
 河岸をなぞって走っていると、次第に河から離れ、山道に入った。まず匂いが変わった。砂の匂いが主となり、小学生のときの運動会を思い出した。蒸し暑くて息苦しい天気も当時と同じだった。建設業者の出入り口が点在していて、コンクリートだとか軽油のような匂いも混じった。時に両側を木に囲まれ、時に何の前触れもなく開けた土地に出た。おとなしい大型草食動物よろしく、間隔をあけて昔ながらの一軒家が並んでいた。悠久の時の中で一軒家が自然死を迎えるなら、きっと低い唸り声をあげながら崩れるのだろう。田んぼやビニールハウスも増えてきた。この辺りではトマトの栽培が盛んらしい。次第に空気が変わり、しまいには大型百貨店の空調くらい冷え込んできた。勾配が急になり、道の蛇行が激しくなった。後続車は山道を極めた猛者ばかりらしく、何度も道を譲った。猛者たちはエンジン音を響かせながら素早く脇を通って行った。ぼくが道を譲り続けたのは、一定のスピードを超えると、周りの景色を楽しめなくなるからだった。木の生え方、傾いたバスの時刻表、捨てられた缶、百葉箱の一面が取り払われたような物置(おそらく融雪剤の保管場所)、赤茶けた標識、それぞれなんの変哲もなくても、立て続けにインプットすることで、ぼくの道程に何らかの決まった印象が宿りそうだった。

 ぼくは二つの山を思い出していた。ひとつは地元石川の山だった。毎冬、山の上にある大学がセンター試験の会場だった。そのため受験生たちは、北陸の雪吹きすさぶ中、チェーンをつけた特別バスに詰め込まれ、山を登って試験を受けに行った。うねうねした山道はどこも同じに思えた。
 もうひとつはオーストラリアのマウント・ダンデノンだった。大学三年に留学したオーストラリアで、オーストラリア人の友達と日本人の友達と、ダンデノン山にドライブしたことがあった。運転手はオーストラリア人のリチャードで、ラジオDJみたいによくしゃべる男だった。ひょろひょろしたその男は訛りも強く、リスニング力が鍛えられたかもしれない。ダンデノン山の木々は太く高く、まるで映画ジュラシック・パークに出てくる原生林のようだった。山の冷気と木漏れ日のぬくもりは、日本とオーストラリアでも大差ないように感じた。

 それはそれとして、だんだん頭が熱くなってきた。いくら山の空気が冷たくても、直射日光を受けるヘルメットは僕の頭を蒸し焼きにしていた。歩道に停車して、スポーツドリンクをぐびぐび飲んだ。キンキンに冷えてなくても十分おいしくて、全身に潤いが行きわたっていくような気がした。ふと地図を確認すると、思っていたよりもだいぶ滋賀に近づいていた。というより、ぼくは滋賀と京都の県境を北上していた。このままでは京都の日本海ではなく滋賀を突っ切って福井の日本海に行き当たることになりそうだった。ぼくは山の空気や何の変哲もない風景を十分楽しんでいたので、この際細かいことは気にしないで、とにかく日本海をめざし、そのまま北へ向かうことにした。

 道中、ぱらぱらと民宿の看板が目に入った。「民宿」に泊まったことは記憶にないし、キリのいいところで引き返して、飛び込みで宿泊してみようとも思った。気の向くままの予測不可能な旅、というのがだんだん気に入っていた。自分でも思っていなかったイベントを発生させ、ハラハラする刺激的な旅に仕立てられると思うとうれしかった。

 そうこうしていると道路案内が目に入った。
 「小浜 67km」
 楽しい妄想は瞬時にフリーズし、ぼくは途端に冷静になった。小浜市といえば日本海に面した町だが、その町が時速67キロで一時間かかる距離にある。手元の時計は既におやつどきを過ぎており、時間と距離の概念がぼくの立ち位置を明確にしようとしていることに気付いた。はっきりいってお尻が痛み始めていた。誰の機嫌を窺うでもないリラックスした旅ではあっても、運転とは緊張を強いられるものである。まして知らない道ばかりずんずん進むので、体はずっと強張っていた。
 バイクを停め、スポーツドリンクで一息ついた。
 このままお尻の痛みや蒸し器と化したヘルメットに耐えながらバイクを走らせたとして、夕方には日本海にでるかもしれない。だが耐えられるだろうか?果たして耐える意味はあるのか。
 日が落ちるまでには帰ろう、と思った。日本海はきっぱり諦めてしまった。ぼくはそもそも海をみたって感動しないし、ひとつのチェックポイントとして分かりやすかっただけで、日本海にも太平洋にも立てる義理はないと思った。
   初志貫徹、という言葉はぼくには似合わない。
 かといってこのまま帰るのも癪だった。美味しいものを食べて帰るとか、美女としゃべって帰るとか、面白い村人に会って帰るとか、この旅を折り返すきっかけというか、けじめのようなものが欲しかった。

 自宅を出てから一度もお手洗いへ行っていなかったので、コンビニに寄った。用を済ませコンビニを出ると、ぼくの隣のバイクに目がいった。ぼくのより上等なバイク。ぼくのバイクは、バイクとはいえ原付に毛が生えたようなもので、排気量125ccの通勤用バイクだった。お隣のバイクは排気量250ccかそれ以上の、かっこいいバイクだった。
 バイクのそばに男女が座っていた。ふたりとも二十代前半で、コンビニコーヒーか何かを飲んでいた。さしずめバイク旅の途中らしい。ふたりはスマホで経路を相談しているようだったが、ふとコーヒーを飲み干す女性と目が合った。女性は美人だった。少し疲れてはいたろうが、色白で目鼻立ちがはっきりしていて、きっと笑ったらかわいいだろう。このふたりがどこから来てどこへ行くのかぼくの知ったこっちゃないが、寂しがりのぼくにはこのカップルが羨ましかった。ぼくは、恋人がそばでにこにこしてくれることほど良いことはないと思っている。悲しいかなそんな恋人はかれこれ半年以上不在なので、ぼくは熱々のヘルメットを装着しながら、悶々としてきた。
 「温泉かな。」
 温泉で何も考えず、頭の熱とお尻の痛みを癒しながら、この行き場のない知恵の輪みたいな感情を一旦みえなくしようと思った。元はといえば温泉に行って帰ってくるという旅の予定だったし、旅のけじめには良いと思った。
 検索すると、近所にスーパー銭湯があった。すぐさま目的地に設定し、街を目指した。十五分ほどの道のりだった。

 当のスーパー銭湯は有料老人ホームの近くにあった。名前は「スパリゾート雄琴 あがりゃんせ」。渋い名前に思わず唸った。渋くて良い。お尻をもみながらお金を払い、さっそく館内を散策した。パンダが四匹じゃれている絵画や、お食事どころ、しぼんだ老人が並んで畳敷きの椅子に座っていた。階段を上って二階へ。

「あっ」

 琵琶湖が広がっていた。マッサージチェアが整然と並ぶだだっ広い部屋の一面がガラス張りになっており、湖面が風になぜられて輝いていた。こちらの照明が暗いので、マッサージチェアの上で彫刻のようにじっとしている人々の顔を、外の光がぼんやり照らしていた。どこからともなく、漫画のページをめくる音だけが聞こえてきた。
 期待に胸を躍らせながら露天風呂に直行すると、思った通り、琵琶湖を眺めながら湯に浸かれるようになっていた。
 ぼくはひとり興奮の絶頂にいた。和歌山の崎の湯温泉で太平洋を望むことは叶わず、ほとんどやっつけで始めたような、旅ともいえぬ旅だった。しかし、最終的に露天風呂で琵琶湖を望みつつ疲れを癒すことができるのだった。瓢箪から駒、これはこれで楽しかった。

 十七時ちょうどに「スパリゾート雄琴 あがりゃんせ」を出た。帰りは道に迷いつつ何とか日没前に自宅に着いた。疲れはしたが、爽快だった。

画像1

おわり

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?