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救世主? ★

お題が「プチプチを潰す」のフィクション(原稿用紙3枚)です。
「プチプチを潰す」からイメージして書きました。
昔に書いた作品ですが、母のお気に入りのひとつでした。


 
 大野薬品人事部部長の米田正人よねだまさとは、先ほど、部下が報告して来た、今期の大野薬品全部門の離職率を見て、ほくそ笑んだ。
 
 前期離職率3%に対し、今期は0.5%。特にコールセンター部門での離職率1%は、5年前のコールセンター発足以来の低い数字となった。クレーム対応を主としているコールセンターの離職率は高く、8%を下回ったことがなく、人事部の米田としては頭の痛い問題だったのだ。

 喫煙室で自販機のコーヒーを飲みながら、米田が一服していると、同期入社で今年50歳になる新薬開発部の新藤稔しんどうみのるが入って来た。
「これは、大野薬品離職率改善の立役者、新藤様のご登場か。お前のお陰で、明日の会議は社長に堂々と報告できるよ。近いうちにまた、家内の手料理でも食べに来てくれ」

 香りがもたらす人間への影響について、大学時代から趣味で研究を続けていた新藤は、米田からの相談を受け、離職理由を調べ、離職を防ぐ香りを開発。コールセンター内に芳香剤を設置したのである。
「まさか人の役に立つとは、思いもしなかったなぁ」
 新藤がひとり言をつぶやきながら、2本目のタバコに火を付けた時、スマホが振動した。

『お店のことで相談があるので、時間がある時に寄ってください』と、ふたつ下の弟からの連絡だった。弟は新藤の代わりに、寂れた商店街には必ず一軒はあるような、実家のケーキ屋を継いでくれたのだ。運転資金の相談だろうと考えた新藤は、とりあえず10万円を用意して、実家に寄った。

「ネットでクッキーでも売ってみないか」
 思わぬ新藤の提案に、最初は戸惑っていた様子の弟も、注文まで新藤が担当するとの申出を受け、とりあえず承諾をしてくれた。

『前月比10倍の売上です。ありがとう』
 新藤は弟からのメールを感慨深げに読み、昨日受付分のネットでの注文と併せ、メールを返信してから、米田の自宅へ向かった。

 弟の店のクッキーを米田の奥さんに渡し、米田と居間で飲んでいると、隣のキッチンから、クッキー缶に入っている気泡緩衝材、いわゆるプチプチを潰す音が聞こえて来た。米田は新藤の耳元に近づき、「おかげで、最近、離婚話は出ないよ」と小声で言った。

この物語はフィクションです。実在の人物や団体やクッキー缶などとは関係ありません。

 ネット通販限定、『熟年離婚防止クッキー缶』。缶入りクッキーに付き物のプチプチに、実は、あきらめの境地になれる香りが封入されている。なぜかプチプチを潰してしまう、人間の行動を利用して香りを撒き散らし、妻からの離婚を思い止まってもらおうという、切ない中高年男性のヒット商品になっているのだ。


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