ねこ大生

つれづれ。心理学徒。好き勝手に書いています✏︎

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自分を満たすものが愛じゃなくても

ずっと、わたしには愛が足りないから空っぽなのだと思っていた。貰った愛が足りないから、いつもこんなに虚しいのだと。そして、もう大人になったわたしが満たされることはできなくて、これからの人生、ずっと何かが足りないような気持ちのまま、死に向かって歩いていくしかないのだと、そう思っていた。 自分で自分を癒したり愛したりすれば、今までの不足を補うことができると、どこにでも書いてある。でも、自分を愛するって何?わたしはわたしの身体を以前よりは大切にするようになったし、心の声を聴くように

    • 小説:いつか

      朝日は眩しく、それは希望に見えたり絶望に見えたりする。美しい光景を美しいと思えることは幸福なことなのだと知った。ある日、私は世界を美しいと思えなくなり、それからずっと、朝日は私にとって絶望の象徴だった。いつも通り苦しい1日の始まりを告げる合図に見えた。 それでも1日は始まり、そして終わりを迎える。今日は、いや今日も、ただ美しくない世界で、美しくない私は呼吸をした。 そんな毎日を繰り返しているある日、私の元に古い友人から一通のメールが来た。「お久しぶりです。聞いてほしい話がで

      • 今を幸せに過ごすこと

        わたしはずっと自分の幸せをおざなりにしてきたのだと気づいた。それは過去の失敗からくる罪悪感のためでもあるし、植え付けられた他者貢献の思想のためでもある。わたしは自分の幸せを優先せず、努力や我慢を自分に強いてきた。自分の幸せを優先していいのだと思うことは難しい。でも、今必要なのはきっとそれなのだ。 例えば苦しい日に。わたしは「なぜ頑張れないのだ」と思う。けどそれは違う。苦しい日は苦しいのだ。苦しい日に、せめて苦しくない過ごし方をすることが必要なのだ。アニメを見る、YouTub

        • 意味の無い日々を重ね続ける

          何もしていない。本当に何もしていない。睡眠時間がびっくりするほど長く、起きている間も食事やお風呂で気力が使い果たされ、せいぜいYouTubeやゲームをするのが精一杯。大切な毎日を何も積み重ねずに生きている。でも、きっと何も無い日々にも意味があるのだ。 わたしは気分が循環しているというか、元気な時期と元気じゃない時期を繰り返している。つまり今は元気じゃない時期なのだ。ここで大事なのは、待っていればそのうち元気な時期がまたやってくるということ。元気じゃない時期はネガティブ思考が

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        自分を満たすものが愛じゃなくても

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        • のびたやつ
          5本

        記事

          愛について

          愛について考える。わたしは人を愛せているだろうか。愛とはなんだろうか。わたしは人を愛せるのだろうか。 空っぽの心がばれないように、いつも取り繕っている。貰えなかったものも貰ったふりをして、手に入らなかったものも入ったふりをする。わたしは怖いのだ。満たされたことがないとばれることが。貰ってこなかったとばれることが。 遡っても、誰が悪かったのかわからない。誰も悪くなかったのかもしれない。わたしは友を持たず、人に嫌われ、愛を貰わずに生きてきた。寂しさを抱えて、「寂しい」と言うこ

          愛について

          僕が僕であるために

          例えば、友人を1人失ったとして。それは悲しいことだけど、わたしがわたしでなくなるわけではない。例えば、恋人がいなくなったとして。それは寂しいことだけど、わたしの人生がなくなるわけではない。 永久にあるもの。なくならないものを探し続けている。それは人でもいいし、ものでもいいし、実体を持たなくてもよい。わたしにとって"これはわたしの世界の全てだ"と思えて、そして、なくならないもの。自分を支え続ける何か。 ずっと、自分が自分であることが不安だった。自分から逃げられないことが恐ろ

          僕が僕であるために

          さみしいねえ

          鬱がやってきた。わたしの場合は鬱になると世界の彩やかさがなくなって、全ての物事が意味を失って、自分ひとりでは立っていられないような気がしてさみしくなる。世の存在意義について考え抜いた哲学者ってこんな気持ちだったんだろうか。 世界が全く彩やかじゃない。色はもちろんわかる。わかるけれど、ビビットじゃないというか、鮮明じゃないというか、ただの色見本を見せられているみたいに、感情がそこに伴わない。全部がプラスチックで作られた街にいるみたいに、色は色として存在しているだけで、そこに自

          さみしいねえ

          詩:生きる

          きっと全てに意味はなく、わたしたちにできるのは終わるまでの隙間を埋めることだけだ。終わりがあることは始まった瞬間から決まっていて、終わってしまえば全てはなくなる。悲しみも、喜びも、努力も、才能も、憎しみも、愛も、全てはいつかなくなる。 それはひどく虚しいことのように感じるし、荘厳な自然の摂理とも思える。わたしたちはいつか終わる。いつか全ては終わる。なくなる。終わる。消える。 地球からしてみればわたしの人生が終わるのは誤差ですらなく、宇宙からしてみれば地球が終わるのは誤差で

          詩:生きる

          もう今日はどうしようもない

          しんどい。ここ最近の安定具合を考えるとめずらしいくらいのしんどさに襲われている。原因はおそらく、寒波、低気圧、禁煙の離脱症状、寝不足あたりだと思う。1つくらいならまあ対処できることが4つも重なってしまったので、もうどうしようもなくなってしまった。 こんな日は寝てるに限るのだが、体調が悪い日というのは大抵頭の中の調子も悪く、今日もぐるぐるといろんな思考が浮かんでは消えていっている。脳の情報量がパンクしていて、心も体もついていけない。たぶん脳自体もついていけていない。ぐちゃぐち

          もう今日はどうしようもない

          地獄を見て、それでも、生き続ける。

          この世の苦しみというのは比べられるものではないけれど、わたしが見てきた地獄も相当なものだったと思う。精神疾患が見せる地獄は生易しいものではない。死んだ方がマシだとすら思う、長い長い苦しみ。 とあるきっかけで飛び降りた時、ふと、希死念慮がなくなった。なぜだかわからないけれど、人生の選択肢から「死ぬ」というものが消えた。おそらく、死ねないことがわかったからだと思う。人の体は思っているより頑丈で、そう簡単に命を失えないことがわかったからだと思う。別に、家族の愛を感じたなんてキラキ

          地獄を見て、それでも、生き続ける。

          コトコト煮込みカレーを作る

          昨日から恋人の家に遊びに来ており、夕食作りを行っている。普段はそこまで手伝わないのだけど、恋人が大きな試験を控えており勉強しなければならないため、家事を手伝うつもりで来た。 昨日はシチューを作り、今朝は味噌汁を作り、今日はカレーを作っている。煮込む料理が好きだ。コトコトと透明なお湯の中で具が踊っているのを見ると、心が落ち着く気がする。 恋人は勉強のために朝早くから学校に行っており、置いてけぼりにされたような気持ちもあるが、あまり気にせず眠ったり買い物に行ったり煮込んだりし

          コトコト煮込みカレーを作る

          満たされない心について

          自分について考える。好きなもの、好きなこと、嫌いな人、嫌いな場所……。自分を構成する要素について考えても、自分というまとまりを捉えることができない。自分という人間を理解することができない。 思い返すと、心理学を始めたきっかけは「自分を知りたいから」だった。自分の心について、その時は精神状態が酷いものだったのでその原因について、そして自分がこんな人間になってしまった理由について、知りたいからと心理学を始めた。 心理学はヒントにはなってくれるが、答えをくれることは今のところない

          満たされない心について

          幸せな日々とそれを失うこと

          彼氏くんと幸せなクリスマスを過ごしている。ケンタッキーを頼んで、クリスマスケーキのデコレーションをして、それを一緒に食べる。イルミネーションを見に行こうと話して、いざ当日に面倒くさくなって、家でだらだらと寝る。幸せなクリスマス。それを過ごしながら、それを失うことについて考える。わたしの幸せには、いつも失うことへの恐怖がまとわりついている。 今までも、幸せだと思う瞬間は幾度となくあって、これだけ幸せなら今死んでもいいと思った時だってあった。でもそれらは全て長続きしなかった。最

          幸せな日々とそれを失うこと

          詩:孤独と錯覚

          毎日愛で心が満たされることを幸せと呼ぶらしい。それならば、不幸せなこの僕には、愛が足りていないのだろう。満たされない心を抱えながら、日々を過ごすこの僕には、本当は何が足りていないのだろう。 夜になると涙が出る。人の身体はさみしさに耐えられるように作られてはいないのだ。誰もそばに居ないことが、今夜も僕を苦しめる。 いや、誰かがそばに居たって同じか。 僕たちは、分かり合えるように作られてはいないのだ。そばに居て、わかりあえたと錯覚しながら、本当はわかりあえていないと気づいて

          詩:孤独と錯覚

          詩:夜空の下、ひとり。

          悲しい日ほど星が綺麗に見える。星を数えているといつの間にか眠っていて、だから、夜空を見ながら眠るのが好きだ。 どんなに泣いたってひとりで立ち上がるしかなくて、強くなるにつれ何かが減っていくのがわかる。へこたれて、立ち上がって、繰り返すうちに、優しくなくなっていくように感じた。 本当は、誰かに助けてほしかった。誰かに救ってほしかった。叫んだ声は反響して、誰も伝わらずに消えていった。「泣いてもいいよ」と言ってもらえるのを、ずっと待っていた気がする。 想う君なんていない。生ま

          詩:夜空の下、ひとり。

          回想:地獄から抜け出せなくても

          気づいたら時が過ぎていて、もうこんな時間なんだって思ってからまた、ベッドに戻る。 眠れない日々が続いていて、夜も昼も横になったまま、意識がなくなるのを待っている。 簡単に言ってしまえば楽になりたいのだ。意識がある限り襲い続けてくる苦しみから、逃げ出したいのだ。いや、眠っていても悪夢を見るから同じか。悪夢のような現実。現実のような悪夢。 きらきらとした日々がわたしにも訪れるのだと、なんの疑いもなく思っていた。いつか治るのだと、いつか全てが良くなるのだと、信じていた。信じてい

          回想:地獄から抜け出せなくても