見出し画像

短編小説:マニピュレーター

人は、人生の岐路に差し掛かった時、自分と同じ状況にある仲間を求める人がいるように思うことがある。

その日、何年も会っていなかった古い友人の知花から夕食に誘われた。珍しい事もあるものだなと思ったが、「久しぶりだから」というお声がけに乗って、彼女の職場近くのレストランまで出かけて行った。

予約を入れてくれた丸の内にあるそのレストランは隠れ家風のこぢんまりとした場所で、簡素でありながら落ち着いた雰囲気の素敵な場所だった。めったに来ることのない素敵なお店に、私は少し舞い上がりそうになった。

何年か振りにあう知花は変わっていなかった。

明るい声も優しい物腰も学生時代そのまま。相変わらず好みの淡い水色のワンピースにきりっとした青のジャケットを羽織り、すっかりこの街の住人となっているようだった。

商社で長年勤めている彼女は、何度か海外転勤になったと人づてに聞いたことがあった。私たちは再会を喜び、席についてメニューを広げた。

「ここのリゾットは美味しいからね」

贔屓にしているお店なのだろうか、メニューを熟知している様だった。この日の食事は彼女におまかせのメニューに決まった。

彼女が海外に転勤になっていたことを聞いたと告げると、これまでの経験を話してくれた。就職二年目でミラノに行き、その後ニューヨークの本店で勤め、その後シンガポールで新規の支店の立ち上げに携わったという。さぞかし忙しかっただろうと言うと、彼女はいきなりこう告げた。

「誰にも言わないでね。私今度結婚するの」

いきなりの知らせにこちらは面食らったが、一瞬の違和感を覚えた。結婚するのに誰にも言わないでとはどういう事だろう。

「もう数年前からずっと考えていたんだけど、このまま一人でいるのは考え物だと思ったんだよね。シンガポールから帰ってきてからこの二年くらい、知人のパーティがあれば必ず顔を出して、色々な人を紹介してもらっていたの」

それならば別に誰かに言っても構わないのでは?と思った。だが彼女曰く、その知人のパーティというのはプライベートなお見合いパーティという位置づけで、参加者は皆結婚相手を探している人達だったという。

「企画してくれているのが私の上司の奥様で、すごく顔が広い人なの。去年参加した時に会った人と、なんだかんだ言って縁があったのでしょうね。四回会ってすぐプロポーズされたから、受けることにした」

「そうなんだ、おめでとう!お相手はどんな人?って、こんないきなり聞いて良いのかな」

「いい人なんだよね。会って四回目でプロポーズしてくれた。そんな行動力のある人には初めて会ったよ。びっくりしちゃった。それに一緒にいて落ち着ける人。変に気取ってもいないし、ひけらかすところもないし。いつも自然体で」

「それはお互いにぴったりだった、ってことだよ。きっと。ちなみに何をしている人?」

「個人で事業をやっている人。学習塾をあちこちで展開している人で、最近は関東だけじゃなくて関西や九州方面、北海道とかにも広げている所なんだって」

「それじゃ仕事は?このまま続ける?」

「私、結婚したら会社は辞めようと思ってる。色々経験させてくれた会社にはすごく悪い事をすると思うんだけど、ずっと根無し草の様になっていた自分が不安になってきたんだよね。

一年日本に帰ってこられたと思ったらまた転勤。そんなことの繰り返しでこの十五年以上やってきたけど、なんだか限界を感じて。結婚を機に新しい生活に切り替えて、今までの生活パターンから完全に抜け出したくなって。
結婚して、もし子供が出来たらしばらく育児に専念して、子供が学校に入ったあたりで自分に出来る仕事をやってみようかと思っている」

「そうなのね。旦那様のお仕事を手伝うとかもありなのかな。お子さんが大きくなってからだと世の中どう変わっているか分からないけど、どこかであなたの能力を活かせる場所はあるよ」

「ただね、相手とどこで会ったかは誰にも言わないで欲しいの。実質お見合いパーティの様なところで知り合ったと言って欲しくなくて。誰かに聞かれたら、知人の紹介ってことにしておいて欲しい」

「どうして?」私は素直に聞いてみた。

「千穂子って覚えてる?」

千穂子と言えば、知花の友人だったはずだ。友人というより親友だったはずではないだろうか。知花は話を続けた。

「あの人、こっちの話を聞かないことが多いし、話したら話したで誰にでもすぐしゃべっちゃうじゃない?・・・それに自分の話したい事ばかり話して、挙げ句の果てに話に尾ひれをつけるし・・・

あの人の耳に入ったら、お見合いの事とかどれだけ尾ひれをつけて広められるか、ちょっと分からなくて。

幸恵が今の旦那さんと付き合い始めた時も、その馴れ初めとかお相手がどんな人で何をやってる人か、すぐにいろんな人に事細かに言っちゃうんだよね。幸恵はその時はまだ結婚を意識してない時だったから、ちょっと引いたって言っていた。

あとね、大分前の話なんだけど、三人で食事に行くことになっていたのね。それが、行ってみたら知らない男性が同席することになった時もあって。しかも私が結婚相手を探していることになってたんだよ。その時、私はまだ婚活とか考えてなかったから正直引いた。

千穂子の旦那さんの知り合いとか言っていたけど。それならそれで始めから言ってくれればいいのに。しかも相手は、お見合いの席に来ているつもりだったのよ。考えられる?」

「そんなことあるんだね・・・確かによくしゃべる方だと思っていたけど、友達に対して結構扱いが雑なんだね・・・」

「幸恵も色々言われてから、千穂子とはちょっと距離を置いたって言っていた。千穂子は良い人なんだけど、口がちょっと軽すぎて」

「分かった。知花が心配するなら、誰にも言わないよ。誰かに何か聞かれても最低限の事だけを言うだけにするね」

「ありがとう。千穂子には悪いんだけれど、海外にいた時の方が楽だったんだよね。ある意味彼女と距離を保てたから。

私の海外転勤を結構な枝葉をつけて人にしゃべっちゃってたみたいで。彼女の知り合いの間だと、私はニューヨークの五番街の億ションに住んで豪遊してた、ってことになってるらしいよ。

アメリカ時代は安月給だったし、予算の関係でニューヨークにはとても住めなかったし。ニューアークって言って分かる?ニューヨークから少し離れた隣の州の街なんだけど。そこの狭いロフトから初めて最終的にワンルームに移動して。これ千穂子にも言っていたんだけどね・・・」

「ニューアークのロフトがニューヨークの五番街の億ションねえ・・・ちょっとそれはいただけないね。単なる嘘じゃない」

本当に友達に対してやることなのかと耳を疑った。しかし、千穂子はおしゃべりなだけではなくて話を盛ってしまうようだ。

こんな人とは友達でいるのは辛いだけだろうと思った。知花は行動力のある人に惹かれるたちだから、千穂子の様な行動力には長けている人とどうしても一緒にいてしまう様だった。

その日はお互いの近況をもう少し話して、デザートに移った時、知花はこういった。

「あなたもお見合いのパーティ、出てみない?さっき言ったみたいに、主催の人があなたに合わせて色々な業界の人を紹介してくれるの。人に会うだけでもいい経験になると思って」

私は知花に今付き合っている人がいることを話した。

修二と知り合って半年以上になるが、付き合い始めたのはこの二か月くらいだろうか。

五歳年下の彼とは仕事のプロジェクトで出会い、プロジェクトが終わるころに付き合い始めた。

お見合いパーティなどに出たらさぞかし怒られるだろうな、と苦笑しながら私は彼の顔を想像した。

「そっか・・・これ、もう皆知ってる?」

「いや、まだ誰にも話してなくて。話すタイミングもなかったから、知花が知ってる人は誰も知らないよ。ただ、まだ付き合い始めたばかりだからもう少し静かにしていてくれるとありがたいかな」

「なんだあ・・・私と同じようにお見合いで結婚する人がいてくれればいいと思ってたんだけどね・・・そっか、付き合ってる人がいるんだ。それじゃしょうがないね」

その日知花は結婚式の日取りを教えてくれ、出席して欲しいとまで言ってくれた。

私は最近引っ越したばかりの新しい住所を告げ、最後にもう一度おめでとうと言ってその日は分かれた。

その晩、出張中の修二から携帯に着信があったので、折り返してみた。

「そうだ、清香、今日は友達と食事に行くって言ってたっけ。忘れてたよ」

「よく思い出しました。その子、今度結婚するんだって。私にお見合いパーティに出ろ、みたいなことを言ってたよ」

「何、浮気すんの?」

「するわけないでしょ。修二と付き合ってる、って言ったら引き下がってくれたよ」

「しかし自分が結婚するとなると、話し相手にも結婚の話を持ち込むんだね・・・なんだか考えが及ばないよ」

「自分と似たような境遇の人が欲しいみたいだよ。色々話したいんでしょう。同じ経験を分かち合える人が欲しいんだと思うよ」

「何度も言うけど、浮気とかしたら怒るからね」

「大丈夫だって。ちなみに出張は今月末までだっけ?三十日には戻ってくる?」

「いや、仕事が終わったらその日のうちに帰ることにした。遅くなるかもしれないけど寄ってって良い?」

「了解。金曜日だよね。美味しいお酒でも用意して待ってる」

月日があっという間に流れ、知花の結婚式の日が来た。あまり派手にしたくないという新郎新婦の意向で、披露宴はご家族と友人、プライベートで付き合いのある人達のみが招かれていた。

千穂子と幸恵も少し離れた席についていた。私は共通の友人の鞠子の隣に座って、これも久しぶりの再会だったので、近況報告に花を咲かせた。
鞠子が短い髪を少しイラついたようにかき上げながら言った。

「ねえ、知花ってどうやって旦那さんと知り合ったか知ってる?さっき千穂子や幸恵と話したんだけど、二人とも知らなかったし、婚約中もお相手と合わせてもらえなかったそうだし。それどころか何をやっている人なのかも今日の今日まで教えてくれなかったんだって」

私は一瞬焦った。話して欲しくないとは言っていたものの、知花がここまで誰にも話していないとは思いもよらなかったからだ。私は悟られないようにごまかした。

「私も今日初めて知ったよ。どうやって知ったかどころか、何をしている人かもこの披露宴で知った。塾の経営者とはね」

「清香も知らなかったんだ。知人の紹介にしても随分分野の違う人と会ったものだよね・・・」

「人のご縁って分からないものだよね。」

「それにしても、あれだけ仲が良かった千穂子や幸恵まで知らなかったんだよ?さっきの千穂子の友人代表のスピーチ、聞いた?あれじゃ教えてくれないのを暗に非難しているようなものじゃない」

「何でも知ってないと気が済まないんでしょう」

「そうだ、千穂子といえばなんだけど・・・清香、この後時間ある?ちょっと話したいことがあって」

「うん、いいよ。お茶でもしようか」

「ありがとう。ちょっとここで話すのもなんだから」

披露宴が終わり、新郎新婦やご家族と挨拶を交わした。知花の前でおめでとうと声をかけた時、知花は私を引っ張って顔を近づけてこう言った。
「結婚する、っていろんな人に言ったけど、おめでとうって言ってくれたのはあなただけだったよ」

いきなりの発言に私が返事をしかねていると、「ありがとう」と言って、知花は旦那様の隣に戻っていった。

披露宴の後、私と鞠子は披露宴会場の近くの居酒屋へ行った。披露宴でさんざん飲んではいたが、鞠子がもっと飲みたいと言うので、とりあえず個室で飲めそうな場所を選んだ。

大通りで見つけた和風居酒屋は、週末ということもあり大勢の客で賑わっていた。私たちは廊下の角の二人用のこぢんまりとした部屋に通された。
掘りごたつのある部屋の紺色の座布団に腰を下ろしておしぼりで手を拭くと、鞠子はさっそく大ジョッキの生ビールを注文した。私は黒ビールと生ビールのハーフ&ハーフを注文した。

「酔っぱらっちゃう前に言いたいんだけど・・・最近千穂子とは会ってる?」

「ううん。二人で会ってはいないよ。しばらく前に美恵の誕生日の時の食事で会ったくらいかな?鞠子もあの時いたよね、ほら、珍しく仁先輩が来てくれた時」

「あー、あの時か。私千穂子の隣に座ってたんだけど、あの時、最悪だった」

「何、どうしたの?」

「千穂子がお見合いの席をゲリラで儲けているの、知ってる?」

「ゲリラ??」

「そう。いきなり「今度食事に行こう」って誘ってきて、行ってみると知らない男の人が来てるのよ。そこでいきなり紹介されて。話しをしてみると、私が結婚相手を探していることになっているのよ。わたし、ちゃんと彼氏がいるのにだよ?

相手はお見合いのつもりで来ているからぐいぐい前に出てくるし、千穂子は千穂子で、食事が終わってから「ありがたく席を設けてあげたんだから感謝してもらわなきゃ」とか言ってくるのよね。

私、これからベトナム駐在で結婚がどうとか自分の彼氏とやっと話し始めた所なのに。・・・」

「事前に何にも話が無くて、いきなり男の人が飲み会に来るの?しかも相手はお見合いだっていう理解で来てるのね?なんだか変な話だね」

「ほら、千穂子って婚活サークルに入って学生時代から結婚相手を探してたじゃない?だからなのか知らないけど、人に対してお見合いのセッティングをする事が良い事だっていう発想があるみたい。

私、千穂子とはもう久しぶりになるし、今の彼と付き合ってる事とか全然話してなかったんだけど、「食事」って言っておきながら勝手にお見合いをセッティングするってどういう事?って感じだよね」

「鞠子、自分の彼氏の事、千穂子に言ってなかったんだ。その場でちゃんと言った?」

「言ったよ。その時来てた男の人、なんか騙された、みたいな顔してて。でも千穂子は知らんぷりで。もうどういう風に場を取り繕っていいのか分からなかったよ!あんなに気まずいというか気もちの悪い食事会は出たことが無い」

「そうだよね・・・私、千穂子に同じことされた人、聞いたことがある。その人も驚いたって言ってたよ。何で食事会の趣旨を事前に話さないんだろうね。しかも、私の知り合いの人の時も男性の側がお見合いのつもりで来てる、っていうパターンだった」

「お見合いパーティだって言うと、そもそもその食事会には行かないでしょ。だからじゃないの。なんだか良いように使われた気分で、不愉快だよね」

「そうだよね。それにしても千穂子は事前に鞠子の最近の事情を調べないんだ・・・」

「私が独身だからでしょ。それ以外に理由がなさそう。清香もまだ結婚してないから話が行くかもよ。いや、それどころかもっと別の事があるかもしれない」

「どういう事?」

その時ビールが運ばれてきた。鞠子は待ちきれないと言う様子で大ジョッキを飲み干して、追加を注文した。

「正樹って覚えてる?」

「えっと、確か途中でサークルをやめた人だっけ。」

「そうそう。これ、この間の美恵の誕生日の時に言ってたんだけど、正樹が結婚相手を探しているんだって。それを話してた千穂子が、こう言ったのよ。

(私たちの仲間にいるわよね、まだ結婚してない人。じゃあ、既成事実を作っちゃいましょうか?正樹君とその人がもう付き合ってて結婚することになってる、って!サークルの人に回しておくわ。そうすればもう逃げられないわよね)だって。

私、思うになんだけど、その独身の人って清香のこと言ってるんじゃないかと思って」

修二に報告することが増えた。いや、下手すれば、そんな虚言を振り回されたら修二に相談しなければならなくなるかもしれない。

「多分、次にサークルで食事会があったら、あなたターゲットにされるかもしれないよ。それだけは言っておこうと思って・・・」

そう言って鞠子はお代わりの生ビールをあおった。

話を聞いていて、気分が悪くなった。価値観が違いすぎる。

お見合いは現代の世の中にも確かにあるが、既成事実という名のでたらめをでっちあげて、それを知り合いに吹聴するということは、まず考えられない発想だった。

「千穂子はサークルの人に回すって言っていたんだよね?ってことは、私と正樹君は結婚直前だということになっているのかな?」

「多分ね。千穂子ならもう人に言っていてもおかしくないでしょ」

私は話を聞きながら、これは本当に修二に相談をしなければならないと思った。

正樹という人は社交性が無く、確か友達が出来ないという理由でサークルを辞めていったはずだ。親しい仲ではなかったのでその後どうしているのかはわからないのだが、陰気で我が儘な人物だったという事だけが印象に残っている。

予防線を張るために、私は修二と付き合っていることを鞠子に告げた。
「ああ!そうだったんだ!それなら安心だね。清香がターゲットになってもそれなら大丈夫だよ」

鞠子の予言が当たっていたのか、その日の夜、私は親友の優香から電話を貰った。

「清香ちゃん、変な噂を聞いたんだけど・・・なんか、今日ね、学生時代の友達と飲んでたら、清香ちゃんが同じ学校の同級生とかいう正樹さんと結婚直前になっているって聞いたのよ。

ねえ、修二さんとはまだ付き合ってるよね?この間まだ付き合ってる、って言ってたし。私、一瞬どう反応していいか分からなくて、清香ちゃんには付き合ってる人がいるはずだよ、って言っちゃった」

「うん、修二とつきあってるよ。その噂話が出ること、私も今日聞いたわ。勝手に吹聴している人がいるんだって。千穂子って覚えている?彼女が嘘をついてるんだとさ」

「ああよかった・・・私、清香ちゃんの所がもう別れちゃったのかと勘違いしそうになったよ。本当に結婚間近で新居がどうのとか、正樹さんが清香ちゃんにべた惚れだとか色々聞かされて。ひどい事言いふらす人がいるんだね」

「千穂子はどうやら、そういうタチの人みたい」

「あとで今日の飲み会の参加者に言っとくわ・・・修二さんの事、皆に言って良い?」

「うん。もう隠す必要なさそう。ごめんね、色々心配かけて」

「ううん、聞いてよかった。修二さんとその後は?あちらはお元気?」

「うん、元気だよ。もう付き合って一年目になるし、今度また会社のプロジェクトで一緒に働くんだ。また組ませてもらえるなんて嬉しいし」

「やだ、のろけないでよ!」

「ごめん!とりあえず順調です!」

その後も似たような話を聞いた。

人によっては私が正樹君に結婚を申し込んだという話になっていたり、新婚旅行先がカリフォルニアになっていたり、私が仕事を辞めることになっていたりと、妄言がどんどん友人・知人たちの間で広がっていった。

祝福のメールを送ってくる友人もいれば、馴れ初めを聞いてくる友人もいた。

知人という知人が半ば興味本位で、半ば本気で噂話を本当のことだと信じている。

私は怖気が止まらなかった。

自分のあずかり知らない所で妄言が広まっている。

連絡もその後止まる気配がなく、ありとあらゆる共通の知人たちに広まっていっている。

話の出所については、皆教えてくれなかった。ただ、「メールが来て知った」という理由が大半だった。

私はその都度自分には付き合っている人がいて、正樹君の話はすべて千穂子が作った嘘だと説明した。

しかし、話はなかなか収まらなかった。

私が照れて嘘をついているだけだと言う人もいれば、本当の事を言って欲しいという連絡まで来て、その度に対応をしなければならない。煩わしい事この上なく、また気味悪くも感じた。

知人が皆、千穂子に操られている。自分の状況を理解してもらうことすら儘ならないのが悔しくてならなかった。

そんなある日、知花から連絡があり、私たちは前回行ったお店でまた食事をした。知花は来月で仕事を辞め、自宅で出来る仕事をすることにした、と言っていた。

「会社の方からは引き止められたんだけど、どうしても環境を変えたくてね。そしたら今いる部署の仕事で在宅でできるものがあるから、それを担当して欲しいって言われたの。

社員ではなくて契約社員という形になるの。心機一転、とはならないけれど、何か続けられることがあるのはありがたいね」

そういう知花は少し嬉しそうにうつむいた。旦那様も在宅での仕事には喜んでくれているという。

「やっぱり知花は必要とされているんだよ」

「そうだと嬉しいけど・・・あのね。結婚式の日に「おめでとう」って言ってくれたの、清香だけだって言ったのを覚えてる?あれ、本当なの。

千穂子や幸恵からもおめでとうの言葉がなかった。代わりに何を言われたと思う?「何をしている人?」だって。そっちの方が大事なんだね・・・」

「あきれた。もしかしたら自分達の婚約の時におめでとう、って言われなかったのかもしれないね」

「そうかもね。それはそうとね、清香のことで・・・変な噂が出てるって、聞いている?」

「千穂子が吹聴している噂でしょ?聞いた聞いた」

「私は信じてないからね。清香の彼の事、他の人に言って良い?」

「うん。もう付き合いも長くなったし、どんどん言って大丈夫。ありがとう、なんだか気を使わせちゃって悪いね」

数日後、学生時代の友人の文人から連絡があり、地方に住んでいた同級生が上京するから飲み会に来ないかと誘われた。私はなぜかいやな予感がした。飲み会には参加すると返事をして、その後すぐに修二に連絡を入れた。

飲み会では、案の定千穂子が席を仕切り、私と正樹君は婚約済という話になっていた。

しかも正樹君は、私が正樹君と付き合いたいと言っている、と聞かされていたそうで、向こうはこちらに好意があるような素振りを見せている。正樹君は学生時代よりもさらに陰気そうに見えた。

私は正樹君の隣の席に通されることになった。気味の悪さにすぐにでも席を立ちたかった。

私は落ち着いて、集まっている人達には修二の事を告げ、もう一年以上付き合っている事、会社のプロジェクトで最近また一緒に働くことになっていることを説明した。

しかし、千穂子は折れなかった。

「清香、そんな嘘ついちゃだめでしょ、正樹君の前で。あなたと正樹君が付き合ってるのを私は聞いてるし、照れてるからって胡麻化しちゃだめよ。
正樹君もあなたの事が好きだし、あなたも正樹君が好きなのよね?両想いなんだから早く結婚しちゃいなさいよ!

大体、うちの学校の卒業生は結婚するのが遅すぎるんだから!早く皆結婚して、同じ立場になって色々話したいのよ、こっちも」

「千穂子、自分が何をやってるか分かってる?さっきから嘘ばっかりついているけど、本当に大丈夫?

私は正樹君とは学生時代から今日まで会ってないし、付き合ってもいない。結婚なんてましてや大嘘だよ。それ以前に私には他に付き合っている大事な人がいる」

「またまた、照れちゃって・・・清香はそういう嘘が多いわよね。何かあると逃げようとして誰かと付き合ってるとか言って。正樹君はあなたの事が好きなんだから、ちょうどいいじゃない。

現実にいない彼氏のことを言ってるくらいなら、正樹君と早く結婚しちゃいなさいよ!

私も結婚している物同士の話が早くしたいのよ。知花もやっと結婚したし、あとはあなたや鞠子だけなんだから!」

「あくまでこっちが嘘をついているって言い張るんだね。そんなに嘘をついているとね、千穂子、人が離れていくよ。それに正樹君に何か言った?

私は好きな人がちゃんといるし、正樹君に、いかにも私が正樹君に気があるかのように煽り立ててこんな場所に呼び出すのは失礼じゃない?」

私たちの話を聞いていた周囲がすこしざわつき始めた。何人かが千穂子の言っていることを疑い始めた様だ。
瑠香が割って入った。

「え、じゃあ何?清香には本当に付き合っている人がいるの?」
「いるよ」

「じゃあ、婚約したとかハネムーンの話とかは?」

「千穂子が嘘ついて吹聴しているみたいね。優香から聞いたよ。色々噂になってる」

「あなたは正樹君の事が好きじゃないの?」

「うん。それどころか私には彼氏がいるんだってば」

「その彼氏は、清香が嘘をついて作り上げているんじゃないのね?」

「そうだよ。私の一番大切な人。もう一年以上付き合ってるの。今日も会ってきたところだし。

っていうか、この話、もうやめない?千穂子の嘘で何人かひどい目にあわされている人がいるって聞いているけど、こんな茶番に付き合っていられないよ」

今度は千穂子が割って入ってきた。

「私のせいでひどい目にあった人がいるって、どういう事よ?そっちが嘘ついてるんじゃないの!」

「あなた、人を食事に誘っておいて、実はお見合いの座を勝手に設けているんですって?

相手の男性にはお見合いと言っておきながら、女の子たちには何も言わないで食事に来させて。しかも女の子たちの方がお見合い相手を探している、と男性の方に言っているんですって?

そのくせ、女の子たちの状況は何も理解していないで。彼氏がいる女の子たちまで平気でそんな場に呼んだりして。不愉快な思いをしてる人が沢山いるよ」

「あれはサプライズでやってるのよ!なに、皆こういうサプライズは嫌い?せっかくの結婚につながる場なんだもの、結婚した後の思い出に残るようにサプライズは必要でしょう!

大体、皆結婚するのが遅すぎるのよ。いつまでたっても家庭を持とうとしないで。私が結婚しても周りはいつまでたっても独身の人ばっかり。すごくつまんないわね。

皆早く大人になりなさいよ!仕事とかにかまけていると、どんどん年を取るのよ?相手もいなくなっちゃうのよ?

それに私は、二人が一緒になればぴったりだという人達にわざわざ出会いの機会をあげてるのよ?せっかく私が動いてあげてるんだから、感謝されてもいいはずじゃない!」

これを聞いて、テーブルはしんと鎮まった。瑠香が重い口を開いた。

「じゃあ、千穂子がずっと嘘をついていたんだね。もしかしてサークルの仲間でこれまでに色々聞いた話って、嘘が混じってるの・・・?」

文人も口を開いた。

「まさかこんな場になるとはなあ。犯人探しは別として、嘘は良くないよね。謝ったら?」

千穂子は答えなかった。

結婚を早くした人には、それぞれの事情があるのだろう。早く結婚せざるを得なかった人もいるだろうし、なんとなく早く結婚した人もいるだろう。
その時、自分の周りに、自分と同じように結婚している人がいない場合、恐らく何か寂しさのようなものを感じるものなのかもしれない。

人は人生の岐路に立たされた時、自分と同じ境遇にある人を求めるものなのだろう。そしてそのために出会いを広げていくものだとは思う。自分が行動すれば、同じようなタイミングで結婚をした人に出会うこともあるはずだ。

しかし千穂子の場合は、自分の行動範囲を広げなかったのかもしれない。自分の行動を変える代わりに人を操って自分の思い通りにしようとしている。
それを善意から出た行為だとも信じているようだ。

他人の事情にお構いなしにお見合いを強引にセッティングしたり、嘘を吹聴したりすることには何の罪悪感も持っていない様だ。

私は怒りを通り越し、千穂子が哀れに思えてならなかった。

食事が終わり、何人かが二次会に行こうという話をしていた。その時、私は道の角に修二の車が止まっているのを見つけた。

「ごめん、私は今日はこれで」

私は瑠香に告げると、そのまま修二の車の方へ足を向けた。

正樹君が私の後を追ってくる。

私が車に近づいていくと、中から修二が出てきてくれた。

「沢山飲んだ?」

「少しね。でも飲みなおしたいくらい」

「じゃあ、うちでのんびりしようか」

「うちでも良いよ。この間買ったワイン、まだあるよ」

「じゃあ清香んちにしよう」

運転席の隣に座った時、私は今までの緊張と怒りが徐々に解けていくような気がした。

この人となら安心できる。知花が言っていた言葉がちらっと頭をよぎった。
エンジンが鳴り、車が動き出すと私は後を振り返らずにそのまま前を向いて、ゆっくりシートに身を沈めた。

今日の事を修二に言ったらどんな顔をするだろう。そんなことを考えながら、家路についた。






この記事が参加している募集

眠れない夜に

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?