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自分を犬だと仮定したら、毎日お散歩をする習慣がついた

私にはどうしても毎日のウォーキングの習慣がつきませんでした。
健康的に生きたいから習慣化するといいなと思うし、
毎日〇㎞ウォーキングやランニングする人への憧れがあるし(かっこいい)、やってみたい気持ちはある。あるのに、続けられない。

なぜか。

だって、家の周りを歩いても代り映えないしなー
目的地がない中で歩くのなんて無理だよー

と思っていたからです。
「歩く」を目的に歩けないんです。

と思いつつ、まあ1日だけなら歩いてみるか
と、早起きした日に歩いてみることにしました(ある冬の日)。

ドアを開けて、息を吸い込むと、
清々しい空気がお腹の底まで流れ込んできます。
この時点で「お、ちょっと気持ちいいぞ」という快の感情に気づいても、
こんな、さわやかな空気だけじゃ、お散歩を習慣化するモチベーションにはならないんだぞ、と自分を戒めてみたり(戒める必要はない)(想像以上の爽快感にやや動揺)。

外に出ると、まだ出歩いている人はいなくて、活動をしている生き物は私と鳥たちだけのように思えます。

歩く。
どこかに行く目的もないので、ただ歩く。
歩く。
(健康的な行動をしている自負があるから)お散歩自体は悪くないけど、
とはいえ目的もなく歩くのはつまらないように感じてきて、次の日からはお散歩に行かなくなる、といった一連の流れを何回繰り返したことか(はーあ)。

ただ、私は今回新たな取り組みとして、
自分を犬だと仮定してみることにしました。

私は小さいころから犬が好きで、
祖父母の家に行っては愛犬と散歩をしています。

愛犬はそれはそれはお散歩が好きで、
私が「お散歩に行こうか」と誘うと、
からだ全体・表情筋全体を使って喜びを表現してくるんです。
口角を上げ、しっぽをぶん回し、飛び跳ね、
お散歩に行ける喜び楽しみをこれでもかと私に伝えてきます。

🐶「おさんぽだー!やったー!」(希望込みの幻聴)

その様が愛らしくて、一緒にお散歩できるのが嬉しくて、
彼とのお散歩は私の大好きな時間なのです。

愛犬とのお散歩と私が習慣化したいお散歩は
何が違うんでしょうか。

犬の存在の有無、これに尽きます(大したことない考えで恐縮ですが、最大の違いです)。

私は犬と散歩するときに「犬と歩く」ことを目的として歩いています。
重要度でいうと、
私の健康維持 < 犬と歩く喜びそのもの
となるでしょう。

犬と一緒なら歩けるのだったら、
いっそのこと自分を犬だと仮定してみる
イマジナリー犬が足元にいる体で散歩してみるかすれば
お散歩しようという気持ちになるのではと考えました。

👸「犬がいないなら、いると仮定すればいいじゃない」(心のお姫を召喚)

定期的な運動のため、排泄のため、社会との関わりを持たせるため、
犬は散歩させなければなりません。
それは私の中の犬も同じです。

近頃は朝起きて、ちょっとばかりの身支度をして、散歩に行くことにしています。
私の中の犬は、私が起きたのを察知してからそわそわし始め、身支度が終わるのを今か今かと待っています(と想像)。
私がお手洗いを済ませ、マスクをつけるといよいよ出発の合図。
犬が騒ぎ始めます。
🐶「おさんぽだー!」

今日も私はお散歩に行きます。
尻尾をぶん回した犬を心に連れて。


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