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「変わり続けるもの、変わらぬもの」・・・巨星落つ。



さいとうたかを先生が亡くなった。
ここ数年、一時代を席巻した漫画家の方々が次々と亡くなっていくが、また一つ大きな星が消えてしまった。

「ゴルゴ13」や「影狩り」「無用ノ介」などで一般に知られている為、
現代劇画や時代劇画の人だと思われがちだが、
デビュー当時は、「SFもの」を描きたいと語っていたらしい。

その意向に沿って、初期にはSF漫画も描いている。

確かに、私が初めてさいとう作品に出会ったのは、
「デビルキング」「サイレントワールド」という二つのSF作品だった。

ともに連載ではなく単行本であったが、
他のSF漫画には無いアクション重視の絵柄が印象的だった。

その後は、あの「バロム1」である。

こちらは、「ぼくらマガジン」での連載時から読んでいたので、同世代には、さいとうたかをと言えば、SF漫画家と思っていた者も少なくない。

「バロム1」が特撮ヒーローTV番組として実写化された時に、
単行本か雑誌のインタビューであったと思われるが、

「僕にはこれ(バロム1)が限界」とおっしゃっていた。

二人の少年が合体してヒーローになる、という画期的な設定。
霧状で本体が不明な敵「ドルゲ」、一見可愛らしいシャボン玉が人を襲って溶かすという意外な展開など、ワクワクする展開が多いのだが、さいとう先生はなぜ「限界」と語られたのであろうか。

それは「限界」と「魅力」が表裏一体であったからではないだろうか。

例えば、漫画版「バロム1」の武器は、主に「銃」である。
SFらしく光線銃だが、ちゃんとホルスターに収まっていて、
抜け出ないように、ベルトと留め金まで付いている。

これは一例だが、それらの今いる場所と地続きに思えるところが「さいとうSF」の魅力であった。

しかし、作者にとっては、それらの作品全体のリアリティを
ないがしろに出来ないところが、逆にSF的妄想力やセンスオブワンダーの飛躍には足かせに感じておられたのかもしれない。
だから、「限界」という言葉を使ったのはないだろうか。

その後、「無用ノ介」などで時代劇という舞台を得て、そこで創作の妄想力を発揮し
多くの作品を描いてこられたことは、ご存知の通りである。


そして、もう一つ言いたいのは、さいとう作品における「効果音」の表記である。
「ザクッ」「クン」「ザザザー」などの効果音の表記文字がほとんど変化していない。

これは作者が「作品の普遍性の為に変えない」と語っておられるが、
一方で自らの作品の舞台は、SF、時代劇、現代劇、ピカレスクロマンと
様々に変化し多様化している。
それぞれの作品の中でも変化しているのだから、
さいとうたかを先生の中では、「普遍性」と「変化」の両方をバランスよく
持っておられたのであろう、と思う。

全く惜しまれてならない。
今夜は、手元にあるSFから、時代劇まで全部読み返そう。

                       おわり











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