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「麻田君、原稿の無いプレゼンに挑む」・・・ワンマンと噂の社長の前で。


「会社に泊まり込むこと三日。ついにビデオの編集が終わったぞ!」

ようやく見えたゴールに、麻田君は胸を撫でおろした。

麻田君の会社では数年前から、販促ツールを社内で制作する事になっている。

例えば、チラシなどの紙媒体は、宣伝担当がパソコンのアプリで作り
印刷だけ外部に発注するのだ。メリットは、ギリギリまで変更加筆が可能な上、外注の経費も少なくて済む。

それに味を占めた上層部は、今度は動画の販促ツールや、
新製品の取扱説明ビデオなどの動画も社内で製作する事にしたのだ。

そこで白羽の矢が立ったのが、
学生の頃に映画研究会に所属していた麻田君であった。

「ネットの動画でビデオの編集を研究して、見よう見まねで
撮影から編集までやってみたけれど、結構ひとりで出来たな。
もしかして俺って映画監督の才能があるのかもしれない」

作業を知っていることと、芸術的才能は全く違うということも
知らずに、麻田君は少し悦に入っていた。

「あとはこの汚い原稿を、今日一日かけて仕上げれば良いだけだ」

初の社内制作のビデオという事で、
わざわざ大阪本社から社長が来て、試写を行う予定になっている。

それまでに原稿をワードでプリントしておけばよい。楽勝だ。

そう思った時、課長が声を掛けてきた。

「麻田。お疲れの所悪いが、社長が来られたから会議室に急げよ」

「え? 社長が、もう?」

「何を言ってる。10時からだろう。その為に徹夜したんだろう。急げよ」

麻田君はスマホの日付を見直した。
徹夜続きで一日間違えてしまっていた。

今からではワードに打ち直す時間は無い。
映像はあるが、同時に必要なナレーションの原稿は
書きなぐって汚いだけではない、いくつかのページは白紙のままなのだ。

急いで、デスクの上に散らばった手書きの原稿を集め、
編集し終えた動画データをUSBメモリに転送し、
課長の後を付いて会議室に向かった。

「おはようございます。今すぐ準備します」

「ああ。急げよ」

課長が急かす。
社長は会議室の一番奥の椅子に座っていた。
その後ろには優秀だと噂の女性秘書。
その二人を挟むように、麻田君の上司である広報部長と課長が
薬師如来と日光菩薩・月光菩薩のように、鎮座している。

麻田君は、正面のスクリーンを下ろし、
USBメモリをプロジェクターに繋いで、再生の準備に入った。

新しい企画や新商品のプレゼンは、
まず最初に、社長に行うのが、この会社の方針である。
新人社員でも、ベテランでも、それは変わらない。

裸一貫で会社を興し、ワンマンで有名な社長は、
社長が気に入ったらすぐにでも予算が付き実行されるが、気に入らないと、どんなに良い企画でも没にするという噂だ。

これまでにも、たくさんの企画が没になり、
何人もの担当者が左遷されていった。

麻田君は、機材のセットをしながら、気味の悪い脂汗が背中に流れるのを感じた。

『どうしよう。説明ナレーションが全然できてない』

手元にあるのは、書きかけの汚い原稿があるだけ。
その内の大部分は空白のままなのだ。

だが、麻田君は覚悟を決めて、束ねた原稿を社長たちに見せた。

「すみません。ご覧のように、原稿の清書が終わっていなくて汚いままなので、私がここで読み上げます」

「ああ。いいよ。始めて」

「では始めます」

麻田君がリモコンを操作すると、スクリーンに動画が映し出された。

1ページ目はほぼ出来上がっているから、修正の赤文字を読むだけで良い。

2ページ、3ページと進めていくうちに
修正がされていない文章が増えていく。
逆に、書いている文字は減っていく。

数ページ読み終えたところで、ついに真っ白ページが現れた。

麻田君は考えていた文章を必死になって思い出し、
原稿を追っているようなふりをして、読みあげた。

動画が最後まで行ったところで、何か所か確認したいと言われ、
白紙のページを何度も読み直した。

「いかがでしょうか?」

部長の問いかけに、社長は少し考えてから答えた。

「良いんじゃないか。後は広報部で上手くやってくれ」

そう言うと、社長は立ち上がり会議室を出て行った。
部長と課長が腰巾着のように後に続いた。

「終わったぁ~」

緊張が解け、ドスンと椅子に座りこんだ麻田君に、
まだ会議室に残っていた社長秘書が声を掛けた。

「お疲れ様」

「あ。お疲れ様です」

麻田君はもう一度立ち上がった。

「私、歌舞伎好きなの。大した勧進帳だったわよ」

『勧進帳』とは、歌舞伎の有名な演目で、山伏に扮した義経と弁慶一行が
安宅関を越える時に、「山伏ならば勧進帳を持っているはず」と問われ、
弁慶が白紙の巻物を見ながら勧進帳をそらんじて見せると言う物語である。

この人は気付いてた!

麻田君は再び気味の悪い油汗が流れるのを感じた。

しかし、女性秘書は麻田君を責めもせず、そのまま会議室を出て行った。

「はあ~。良かったぁ」

ホッとしたのも束の間、会議室の開いたままのドアから、
女性秘書が顔を出して言った。

「ちなみに社長も、歌舞伎は大好きだから」

彼女は嬉しそうに手を振って、ドアを閉じた。

今日何度目かの溜息をつき、麻田君は椅子に沈み込んだ。

            おわり


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