自由設計と注文住宅ってどうなの?

前の記事の続きです。多分


パッと調べてみたら自由設計って自由な設計ではないようです。

自由設計=間取りは自由設計

注文住宅=自由に注文できる住宅

って感じみたいです。ややこしいですね。


まさにこの自由設計とか注文住宅っていうのは住宅の”オーダーメイド”という感じですね。問題はオーダーメイドは良いのか?というのが考えていきたいところです。

建築家、設計事務所といわれる類の設計は基本的に”オーダー”はあるわけですが、オーダーメイドとは少し違います。


料理に例えてみます。食べる側は、パートナーの手料理だろうが、一流のシェフだろうが、機械だろうが、とりあえずおいしいものが食べたいわけです。

そして食べる側は、自分が何をおいしいと感じるか、今何が食べたいか、自分が一番わかっているはずだ!と思っているので、今日はカレーを食べたいなぁ、ハンバーグが良いなぁと”思考”し、作る側に”オーダー”し、メイドしてもらうわけです。(?)

これを聞くとオーダーメイド最高!という感じですが、これが毎日3回ずつ何日も考えた時に、いつか限界が訪れてきます。なんでもいいよ、今日・・・。と

そして次に作る側の技量が問われてきます。最初は細かいオーダーがあったものの、だんだんとしょっぱいもの、辛い物、とオーダーが抽象的になってきます。自分の中の”ふんわりとした思考”がありつつもはっきりとしないオーダーになるわけです。

こうなるとオーダーメイドしかできない機械などは大変です。(最近は学習するでしょうけど)どう大変かは割愛しますが想像してください。

そしてふんわりとしたオーダーを受け取った作る側は様々な思考をし、食べる側のおいしい!にたどり着こうと努力するわけです。

パートナーは食べる人の普段の言動や好き嫌いからメニューを考え、一流シェフは海外の技術や評論家、自分の舌信じメニューを考えます。

そして両者はオーダーを満たした”全く違う料理”を完成させ、食べる側はどちらもおいしい!と思うのです。(当然口に合わない場合もあります。)


つまり設計事務所には、施主自身が自分のオーダーがふんわりしているとか、自身のオーダーが至高ではないと思っている人が依頼をしてくる場合が多いと思います。(シェフに材料を全部買って、作り方も教えて作ってもらうのっておいしいものはできたとしてもなんかもったいないですよね。)

本当はあのシェフの料理は絶対おいしいはずだ!食べたい!と思ってるだけが多いですけどね。


対して注文住宅、自由設計の意味通りの設計を望む人というのは、ひたすら自分と家族の欲望を考え抜き、これだ!というオーダーのもと設計を依頼するものと思います。(この場合、自由設計する設計者もシェフなのですが、ちょっと意味合いが違うのは何となくわかると思います。)


というわけで僕が思うに自由設計の名のもとに施主の要望(オーダー)を聞きまくるのって本当に良いものができるのか?と思うんですよね。

施主で、オーダーを聞いてくれるという快感に踊らされ、設計者を怠けさせたあげく良いものもできない、ということをしている人は多いと思います。

いやいや完全注文住宅が悪いなんて決めつけるな、最高の暮らしをしているぞ、という人もいると思います。

ですが、人は住宅においてある程度の困難であれば”思考”については順応します。それは自分が困難と思っていなくても、です。というか困難と思ってない時点で順応しています。住宅だけでなく地球においても順応しているし、異常気象にもある程度は順応します。

最高の暮らしをしているという”順応した思考”をして過ごすのは自由ですが、実は自分の体、本能、意識のレベルではストレスが加わっています。タバコ吸ったりお酒飲むのと本質的にはそんなに変わらないですけどね。

住めば都、というのはあくまで思考レベルの話です。


今回は設計事務所とその他くらいで対立させてしまいましたが、オーダーメイドの設計事務所もあれば、そうじゃない工務店やハウスメーカーもあると思います。


何が大事かというと、施主にとっての自由、注文というのは自身の頭の中ので決めたオーダーであり、それが達成されることはただの快感でしかない危険性があるよ?ということです。その快感を忘れないように必死に思考を順応させ、気づかぬストレスを自分に与え続けることになるのです。

そんなこと考えることがストレスだわ、と言われそうですがおっしゃる通りだと思います(笑)


いよいよまとまらなくなってきましたが、住宅の最大の難題、お金と人生についても考えていきたいですね。

住宅にお金をかけるべきなのか?

めちゃめちゃ難しいです・・・。

おわり

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