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こんなに時間が経ったよ

大人になると何も無い。もっと何かを得られると思っていた。もっと何かを得た大人になっていると思っていた。現実は、毎日ひとつずつ何かを失ってるような大人になった。

学生の頃教室の窓から見た朝日の眩しさとか、友達と帰り道に見た夕暮れの色とか、自転車を押しながら歩いた時にハンドルに感じる重さとか、「他愛もない」という言葉がぴったりの会話とか。「また明日ね」って言って別れたあとの一人になった空気とか。思い出さなきゃ、思い出せないようなこと。あの時感じたものってずっと心にあるのに、大人になると瞬く間に忘れていく。わたしは覚えていても、もうあの子は忘れたかもしれないようなことが、わたしはずっと大切だった。

大人になると仕事が大半を占めて、休みの日だけが希望みたいになって、合間に挟む恋愛で自分を保ったり駄目にしたりの繰り返し。何かあれば友達に連絡して、時間が合えば会ってエネルギーをチャージさせてもらう。でも気付いたらその友達だって、もう昔のままの友達じゃないのかもしれない。誰かがわたしを置いていく。あの頃のみんながわたしを追い越していく。でもそれってみんなにとっては「当たり前」で「普通」のことだから。だからぐっと堪えて、気付けば自分を責めることしか出来なくなっていた。ありのままの自分を、自分ですら受け入れられないことは、こんなに生きにくいことだったんだ。

20代後半のとき、たくさん諦めた。諦めることを受け入れることで、本当に生きやすくなったと思った。これが自分なんだって思ったら、心がふっと軽くなった気がした。30歳になってから、なんだか自分のことが信じられなくなった。これが自分なんだって現実を直視しなきゃいけない瞬間が多くて、心が鉛のように重くなった。世間を渡り歩く人たちが手に入れてるものは、自分には手に入れられない届かないものなんだと気付いた。わたしが変わればいい。わたしが変化していけばいい。でもそれっていったいどこから?どこから変わればいい?どこからやり直せばいい?どこから間違っていたのか教えて。もう分からないよ、ずっと。

大人になると自由だ。なんでも自分で決めていい。なんでも自分で選んでいい。数ある選択肢のなかで、自分で手にとって確かめていけばいい。自分のせいにしすぎなくてもいい。勝手に他人のせいにしてみてもいい。それでも「全部自分が悪い」という言葉が常に頭の片隅でうずいている。気を抜けば涙がぽろっとこぼれてしまいそうな、そういう危うい夜が何度もある。

誰かが誰かに優しく背中を撫でられてるとき、すべてを許してくれるような優しさに抱きしめられてるとき、わたしはいったいどんな夜を見ていたんだろう。暗い部屋に聴き慣れた音楽で、明日もぐっと堪えて生きることを想像していたんだろうか。ほんの少しでも未来に期待していたんだろうか。

大人になると何も無いと感じてるのはきっと自分だけ。だってみんな、何かを手に入れたような顔してる。きっと無理にでも。本当にあの頃なんてくっきりと無くなったみたいに。仕事や恋愛で手に入れたものが「大人になって得たもの」なら、わたしは本当に何のために生きているんだろう。

どこに価値があって、どこに希望があって、何を求めて生きていけばいいんだろう。これから。

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