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戦国武将に学ぶ!No.3~丹羽長秀~



”軍師” こと、株式会社GUNSHIコーポレーションの社本です。


このnoteでは経営者の軍師としての目線で、
これからの時代を生き抜く戦略を発信しています。

私は日ごろより周りの方々から
”軍師” というニックネームで、
お呼びいただいています!(笑)

社名であることもその理由ですが、
私は自他共に認める歴史好き!
とくに戦国時代が好きです。


今回は、私が好きで見習っている、
学んでいる武将や軍師を紹介するシリーズ。


歴史には諸説ありますが、
中でも私が好きなエピソードや、
『ビジネスや人生に役立つのでは?』
という目線でご紹介しています!


ぜひ最後まで楽しんでいただけたら幸いです。



■”組織ファースト” な武将!



”戦国武将” と聞くと、
どんなイメージが思い浮かびますか?


目立った人物であればあるほど、
『俺が!俺が!』と手柄を立て出世していく、
野心溢れるイメージがあるのではないかと思います。


そんな戦国時代に生きた武将の中に、
丹羽長秀(にわながひで)という武将がいます。


丹羽長秀は、織田信長の家臣の一人でした。
家臣団の中には、明智光秀、豊臣秀吉、
柴田勝家…という有能な家臣たちがいて、
もちろん皆、野心がありました。


家臣たちは信長に気に入られようと、
家臣団の中でも上を目指し、争っていました。


一方で丹羽長秀はというと、
信長から出世の話があっても、
『組織をまとめるためには、自分は皆を
サポートする方がいい』と言って、
出世を自ら断った
といいます。


他の家臣たちが出世していく状況の中では
傍目に見ると目立たないため、
『出世から漏れたのでは?』と
思われがちな武将です。


ですが実は、自ら率先して同僚のサポートに
ついていた、稀代の武将です!

丹羽長秀に関しては、他の武将たちに
比べて残っている資料が少ないため、
どこまで本当かわからない部分があります。
ですがこの話が正しいとするなら、
丹羽長秀は組織の中における自分の持ち場や
力量をわきまえていたのではないか
と思います。


『こういう働き方をした方が自分らしい。
そして周りの人にも良い影響を与えられる』
という、例えるなら “潤滑油” のような役割を
認識していたのではないかと思います。

『俺が!俺が!』という戦国ならではの
熾烈な時世であっても、長秀は欲がなく、
組織ファーストの武将だったのです。


■なくてはならない存在



これは現代にも通じる、
組織の生き残りの形だと思います。

『木綿藤吉、米五郎左、懸かれ柴田に、退き佐久間』

〇木綿藤吉→豊臣秀吉
 木綿のように柔軟で縦横無尽。
〇米五郎左→丹羽長秀
 米のようになくてはならないもの。

〇懸かれ柴田→柴田勝家
 先陣を切って敵に向かっていく。
〇退き佐久間→佐久間信盛
 戦の去り際を整え、勝利を収める。



これは信長が家臣4人を称した言葉です。


この言葉からわかるように信長は、
長秀のことを必要不可欠な米に例えて
『絶対になくてはならない存在』
だと言っているのです。


他の3人も負けず劣らず歴史に名を馳せた
有名武将ですが、どんなに目立つ功績がなくても、
織田信長にここまで言わせた人物は
丹羽長秀の他にいないのではないでしょうか。

こんな野心だらけの家臣団の中にいたら
敵だらけになりそうなものですが、
皆をサポートするその振る舞いからか
敵をつくらず、豊臣秀吉も尊敬していたといいます。

丹羽長秀の生き方は、
『こんなリーダーとしての生き方もあるのか…』
ということを教えてくれる、
とても素晴らしい生き方だと思います。


自分を知り、自分の力量を知り、
どのポジションにいたら自分の存在価値を
最も発揮できて、
周りに良い影響を
与えられるか
ということを、
きちんと自分で見極めることができた武将。

丹羽長秀という存在がいたから、
信長も秀吉も邁進していけたのです。
どんなに優れた武将であっても、
支えてくれる存在がいたからこそ、
成功できた
のです。

丹羽長秀のように君主を支えた武将というのは、
歴史上あまりいません。
他の武将に比べて目立った功績がないためか、
史実があまり残っていないのも、魅力の一つです。



野心的に天下を目指した武将も好きですが、
地味で謎が多い丹羽長秀も素晴らしい武将!!
大河ドラマで丹羽長秀を取り上げてほしい!!!(笑)





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