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戦国武将に学ぶ!No.17~徳川家康①~



”軍師” こと、株式会社GUNSHIコーポレーションの社本です。


このnoteでは経営者の軍師としての目線で、
これからの時代を生き抜く戦略を発信しています。


私は日ごろより周りの方々から
”軍師” というニックネームで、
お呼びいただいています!(笑)

社名であることもその理由ですが、
私は自他共に認める歴史好き!
とくに戦国時代が好きです。


今回は、私が好きで見習っている、
学んでいる武将や軍師を紹介するシリーズ。


ぜひ最後まで楽しんでいただけたら幸いです。





■秀吉も唸った家康の宝



今回は言わずと知れた
徳川家康をピックアップしました!

戦国時代最後の勝者である家康は、
日光東照宮で神格化され、
東照大権現とうしょうだいごんげんという主祭神として
祀られるほどです。


それほどの人物だったので、
家康が遺した言葉というのは
当時の武士たちの中でも
教訓になっていたとされています。


これまでの記事でも、
リーダーシップに長けていたり
組織をつくる達人だったとされる
武将たちを数多くご紹介してきましたが、
実は家康もその一人でした。


部下を育て、組織で動かすことを
とても大切にした人で、
そういう意味ではナンバーワンの人だと
言っても過言ではないかもしれません。
だからこそ、250年以上続く江戸時代の
ベースを築くことができ、
天下を取れたのだと思います。


さて、豊臣秀吉が関白の時代。


秀吉は家康をはじめとする
大名たちを集め、自分たちが
持っている宝の話をさせていました。

それぞれが高価な物や珍しい物を口々に挙げ、
現代風に書くとドヤ顔で自慢する中、
『お前の一番の宝物は何だ』と、
家康も秀吉から問われました。


すると、
『私は三河みかわ(現在の愛知県)生まれの
田舎育ちなので、そのような宝物は
持っておりません。私の宝は、
500騎の有能な家臣団がいること
です』
と答えました。


その場にいた大名たちは驚き、
秀吉も『そんな家臣がほしい』と
羨んだといいます。


大名たちの自慢話の前であっても、
部下を大切にする気持ちを忘れない、
傲慢にならない謙虚さを持った
人物だった
ことが窺えると思います。

ところで、
これは有名な話ではありますが、
家康は幼少期から不遇な人生を
歩んでいます。


3歳で母親との離別を経験し、
6歳の時には人質に出されました。
織田家と今川家の間で人質として
交換がなされたり、波乱万丈の人生を
12年ほど過ごしたのです。


これは私の想像ですが、
そんな人生を過ごしていたら、
きっとどこかで人間不信になったり、
孤独を感じたこともあったと思います。


それでもきっと、助けてくれる人がいた
でしょうし、人間不信になりながらも、
一人では生きていけないことをどこかで悟り、
『人を大切にしなければいけない』と、
肝に銘じてきたのではないか…

そんなふうに想像してしまうのです。

だから自分が組織をつくるときには、
家臣を大切にしていることを
態度や行動で示すことで、良い組織を
つくろうとしたのではないかと、
私は思ってしまいます。


■人間不信が功を奏した?



しかし、人間不信を完全に払拭できた
というわけでもなかっただろうと思います。


なぜなら家康は、何か役割を与えるときに、
決して一人だけに任せることはせず、
複数人に任せる
という手法をとったからです。


岡崎城主になった家康は、
領民が安心して暮らせるよう、
三河三奉行みかわさんぶぎょうという役をつくりました。
仕事を一人に任せるのではなく、
3人に任せるための役です。

この3人は、性格も三人三様、
それぞれが異なる特性の持ち主でしたが、
家康は敢えてこの3人を登用しました。


この三河三奉行にも諸説ありますが、
それぞれの長所を引き出し、
適材適所に配置したことが功を奏し、
結果的に組織が強固になったとも
言われています。


部下を大切にする。
その延長線上には良い組織がある。
家康は、家臣を大切にする一方で、
一人一人の長所を見るようにして
組織をつくっていったのです。

しかし、家康のすごいなと思うところは、
部下の良いところを見出して登用した
だけではありません。


家康の遺した言葉に、こんなものがあります。

『いさめてくれる部下は一番槍いちばんやりをする勇士より値打ちがある』



どういうことかというと、
竹中半兵衛の記事にも書いた
『逆命利君』
に似たもので、
『君主が間違った方向へ行きそうな
ときには、改めるように忠告ができる
部下でありなさい』
と考え、
これを家臣たちに伝えていたのです。

きちんと組織のことを考えて
忠告ができる家臣のことを大切に
すべきであり、それができることが、
リーダーシップの本質である
と家康は考えていて、
実際にそのような家臣たちを
重用していったといいます。


竹中半兵衛でいうところの『逆命利君』は、
本人がそう意識することはできたとしても、
なかなか家臣たちに『こうありなさい』
と指導することは難しいと思います。
そのような部下をありがたいと受け止め、
大切にできるかどうか…
現代の組織作りにおいても考えさせられます。

想像ではあるものの、きっとその人生の中で
人間不信に陥ったであろう家康は、
自分自身の内面を克服し、
それをバネにしてリーダーシップを
発揮していったのではないかと、
私は考えてしまいます。

2023年には、『どうする家康』という
大河ドラマが始まります。


今から本当に楽しみにしていて…


楽しみすぎて…



『来週からでも放送されないかなあ…!!』



(笑)





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