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戦国武将に学ぶ!No.16~豊臣秀長①~



”軍師” こと、株式会社GUNSHIコーポレーションの社本です。


このnoteでは経営者の軍師としての目線で、
これからの時代を生き抜く戦略を発信しています。


私は日ごろより周りの方々から
”軍師” というニックネームで、
お呼びいただいています!(笑)

社名であることもその理由ですが、
私は自他共に認める歴史好き!
とくに戦国時代が好きです。


今回は、私が好きで見習っている、
学んでいる武将や軍師を紹介するシリーズ。


歴史には諸説ありますが、
中でも私が好きなエピソードや、
『ビジネスや人生に役立つのでは?』
という目線でご紹介しています!


最後まで楽しんでいただけたら幸いです。




■最強のナンバー2

今回ピックアップしたのは、
豊臣秀吉…ではなく、弟の豊臣秀長ひでながです。


先日ご紹介した
黒田官兵衛や、竹中半兵衛など、
いわゆる『軍師』と呼ばれる武将たちは
外部から雇われた右腕的存在ですが、
秀長は血族ということもあって、
同じ右腕的な存在でも、
少し印象が異なります。

名将を支えた、最強のナンバー2…
現代風にいうと、“敏腕副社長”

というイメージでしょうか。

私個人的には、名将に仕えた
“敏腕副社長” 的戦国武将の中で、
秀長は最強の人だったと思っています。

(さらに個人的には、
豊臣秀吉を語るときに秀長の話が
もっとクローズアップされてもいいのに!
と思う反面、あまり表に出ていないところが
逆にかっこいい…!(笑))

さて、豊臣秀吉が元々は農民だった、
という話は有名です。

武家に生まれれば、
代々仕えてくれている家臣がいて、
そのままその関係を受け継ぐことも
ありますが、秀吉は農民だったので、
武士として成功していく課程で、
当然ですが家臣がいませんでした。

そこで秀吉は、
『(最初の)家臣になってほしい』
と、弟である秀長にお願いします。


もちろん弟なので、
秀長も農民だったわけですが、
兄の願いを聞き入れ、
秀吉の最初の家臣になりました。


秀長は温厚で人の話をよく聞き、
気遣い、気配りがとてもよくできた人
だったようで、人望もあったと
言われています。


秀吉がどんどん出世していくのを
バックアップする中で、
内政にも外政にも力を入れ、
死ぬまで兄、秀吉を支えた人でした。


秀吉は天下統一を果たしましたが、
それを納めていく中で、四国や九州を
征伐したとき、実は秀吉に代わって
秀長が総大将として平定したと言われています。

このエピソードだけでも、
秀長がとても優秀で、秀吉からの
信頼が高かったと想像できます。
その証拠となるような、
秀吉の言葉をご紹介します。

九州征伐の前、秀吉の元へ
相談に来ていた大友宗麟おおともそうりんに対し、
秀吉は次のように語ったとされています。

内々の儀は宗易そうえき(=千利休)に、
公儀の事は宰相(=秀長)存じ候、
いよいよ申し談ずべし

(意訳:秘密裡のことは千利休に相談し、政治については秀長に相談しなさい)


政治のことは、
秀長に一任していたことが窺えます。


秀長は政治的な手腕も発揮しましたが、
人を育てるのが上手だったとも
言われています。


これに関連してさらにもう一つ、
大きな貢献だったと私が思う秀長の特性は、
戦に勝って手に入れた土地の人たちは、
当然、反豊臣派の人が多いわけですが、
その人たちの間に入って上手く巻き込みながら
良い国にしていく、という国作りをするのが
とても上手だったことです。

現代の会社に当てはめてみると、
カリスマのような社長の下には
やはり秀長のようなナンバー2がいるものです。
現代の優良企業などでもそうですよね。


表には出ないかもしれませんが、
“支え続ける” という役割の人が、
戦国時代においても現代においても、
なくてはならない存在なのです。



■だからこそ、ナンバー3、ナンバー4を育てる



兄である秀吉を支え続けた秀長ですが、
秀吉より7年も早く、亡くなりました。


秀吉は最初こそ『人たらし』のように
世間から言われ、かわいがられたものですが、
秀長を失い、自分が亡くなるまでの間は、
悪政に傾いていってしまいます。


自分と家臣、あるいは民の間に入って
緩衝材のような役割を果たしていた
秀長が亡くなり、さらには千利休が
自害させられたり、子供も亡くなったりと、
さまざまなことが発生して、
どんどん豊臣家は揺らいでいきました。

秀吉が亡くなった後には関ケ原の合戦が起き、
大阪夏の陣が起こり、豊臣家は滅びてしまいます。


いろんな流れを詳しく見ていくと、
秀長が亡くなったあたりから、
歯車が狂っていった印象が拭えません。


これは、ナンバー2がいなくなったときに
孕んでいる問題
を、私たちに教えて
くれているのではないでしょうか。


ナンバー2は企業にとって大切な存在です。
いなくなったときのことを考えるのは
少し寂しいような気もしますが、
時代の変化や時間の流れの中で、
人が移り変わっていくのは
仕方のないことでもあります。

だからこそ、ナンバー3、ナンバー4を
しっかり育てておくということが、
やはり大切なのではないか。


そんなことを、秀長を思い出す度に
考えさせられてしまいます。


秀吉はよく知られていますし
人気もありますので、
もっと秀長の魅力を知ってほしい…


秀長で大河ドラマを熱望…!!(笑)





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