旅先の東北で、キセルがばれ、真冬の見知らぬ駅で降ろされる話。前編
昔むかしのお話し。
大阪在住の僕が、旅先の東北で、キセルがばれ、真冬の見知らぬ駅で降ろされる話。
その頃ぼくは21歳だったと思う。
今から20年以上前だ。
パチンコと競馬とスーパーファミコンが生活の全てで、
今この瞬間のことしか考えていない、虫のような存在だった。
そんな僕にも友達がいた。
東北は山形に住んでいる。
中学生時代からのつきあいで、人間としての堕落具合が同じだった。
写真撮影旅行の名目のもと、はるばる山形にまで、会いに行くことにした。
全くの無計画で、その日暮らしの僕にはお金の余裕はなかった。
いわゆる在来線のみで、山形を目指すことにした。
当時では、大垣発の夜行列車が東京へ向かう、唯一の選択肢だった。
確か夜中の12時位に岐阜県は大垣駅を出発、朝の7時位に東京に着く夜行列車だ。
特急料金がかからず、普通切符で乗れるのだ。
素晴らしい夜行列車だったが、ただ一つ欠点があった。
座席がボックスシート、2人がけの向かい合ったヤツしかなかった。
しかもその席はリクライニングせず、角度は完全に90度。
クッションはなく、カチカチ。
つらくて、全く眠れない。
疲労困憊の状態で東京に到着することになる。
山形県への行程を考えれば、まだ半分しか来ていない。
乗っても、乗っても、一向に近づかない。
鈍行列車の歩みの遅さを、思い知らされる。
ようやく山形駅に着いたのは、夕方だった。
乗り継ぎが悪かったのもあるが、半日以上かかった。
友人が迎えに来てくれていて、無事合流する。
ここから久しぶりに会った友人との山形生活が始まる。
お互い、パチンコとゲームにしか興味がない。
昼間は二人でパチンコ屋へ、ある程度勝負がついたら、帰宅。
友人宅でひたすらゲームをする。
生活パターンはこの二つだけ。
名目であった写真撮影は、近所の公園に一度、行っただけだった。
はるばる、大阪からやってきて、
なけなしのお金を絞り出すように使って滞在しながらも、
本当にパチンコとゲームしかしていない。
結局、パチンコの負けが重なり、滞在費が厳しくなる。
所持金が厳しくなると帰るしかなくなる。
渋々、僕は帰ることにした。
僕は運賃を節約するため、大阪から福島までの切符を往復で買ってあり、
福島から山形までは別に切符を用意していた。
そのほうが安くついたからだ。
これが裏目にでてしまう。
このとき僕は、自分の所持金もちゃんと把握していない。
友人が山形駅まで車で送ってくれ、
駅のロータリーで感動の別れを済ませる。
切符販売機のところまで行って、福島までの料金を見て青ざめる。
重大な事実に気付かされる。
たった数百円、所持金が足りない。
こういうとき、普通は友人に電話してお金を貸してもらうだろう。
素直に頭を下げればいいのに、できなかった。
友人と大げさな別れをしたあと、
もう一度駅まで呼び出し、
数百円を借りることは、どうしてもできなかった。
見栄なのか、プライドなのかわからないが、
僕には無理だった。
その代わりに安易に考えた。
「キセルで行こう、大丈夫だ」
何とかなるだろう。
甘い見通しで、最低料金の切符を買い、列車に乗り込む。
本当にJRをなめていた。
福島ゆきの列車に乗り込み、座席を確保して一息ついた。
頭の中には、この先の長い行程のことしかなかった。
列車が発車して、少し経った。
まだ次の駅にも着いていない。
なのに、車掌が検札に来ている。
頭の中は軽くパニックになる。
当たり前といえば当たり前過ぎる展開でしかない。
この列車は山形発福島行きの長距離列車だ、
都会の通勤通学電車とは違う。
車掌が検札に来ないほうがおかしい。
しかし当時の僕には、そんな簡単なことが、想像にも及ばなかった。
とりあえず、寝たふりでやり過ごすことにする。
持てる全ての力をそそいだ、精一杯の寝たふりで気配を消す。
その間、頭の中をフル回転させる。
もし万が一、キセルが見つかった場合、
おそらく追加料金を取られるだろう。
しかし、所持金は福島までの運賃には足りない。
クレジットカードもない、銀行の口座にもお金はない。
見知った土地なら、電車を降りて歩くこともできるが、
ここは冬の東北、未知の土地、絶対に無理だ。
僕にできることは、
全身全霊で寝ることだった。
幸いにも、車掌は僕の横を通り過ぎ、次の車両に向かった。
後編に続く
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